Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

クリストファー

題して、「明るい抑うつ闘病記」。

 30を過ぎたいい大人の自分が自転車に乗り始めた2011年。

 実は、抑うつ症状になっていたのです。そう、このブログで取り上げようと考えているテーマの一つ、「抑うつ」との付き合い方がここで出てきます。発症の原因からとりあえず自転車に乗るまでのお話、しばしお付き合いを。

 

  2011年2月末。

 それまで10年いた部署から、本社への逆出向という形で3月からの異動を告げられた自分。自分のスキル・性格的に合わんだろうなと思いながらも、30を超えた社会人として会社の意向には従わざるを得ず、異動を承諾。

 

 しかし2011年3月といえば。

 

 未曾有の大震災が発生するのです。

 前任者が会社を辞める都合で急遽発生した人事、引き継ぎは4日間。北海道全域を4名で担当しなければならない圧倒的な業務量。更に東京本社を含め全社で大改革のまっただ中、どこの部署も新体制への適応を模索している中での震災。そう、文字通り 

「誰も経験したことのない」環境の中で、絶望的な任務が開始。

 細かなことは省略するけども、身体に影響が出始めるまでに1ヶ月足らず、服薬で症状を抑えられたのは2週間程度。そこからは、朝の吐き気と帰り道のめまい、深夜の寝付きは瞬時でも1時間おきに目が覚める。明け方に目が覚めては動悸で寝付けない。週休2日はキープされていたが、土曜の朝には「休日の残りが40時間...」などと考え、趣味にも全く手がつかない。

 ストレスを解消するには、休日に趣味のことをするなどして気分転換、などと言われるけれども、実際に抑うつ状態になってくるとまずその趣味に手を付ける気力が起きないのだ。とにかく身体が、頭が動かない。

 後に治療の過程で特に言われたのが、「休みは身体を休めることに集中しなさい」ということ。今思うと、身体も頭も(精神的にも)疲れきり、それを回復するための睡眠が必要なのに、休日を何とか気分転換に使わなければと考えて休めていなかったように思う。

「寝たら明日が来てしまう」

 某理系漫画のよしたにさんの作品でそんなネタがあったが、そのネタが絶望的な悲壮感を持って襲ってくるのだ。

 

 当時「マルモのおきて」で「マル・マル・モリ・モリ!」が大ブームになっていた頃。あの楽しい音楽が、日曜終わりの悪魔のカウントダウンに感じられて今でも聞くことができない。同様に、朝の日テレ「ZIP!」の6時半のジングルを聞くと、未だに若干動悸がする。昨年12月、2年半かかった治療が寛解を迎えても、そうした傷が残ってしまったのだ。

 で、2011年7月中旬。ドクターストップがかかり、ベイルアウト。半年間の休職。大人の夏休みの始まり。

 休職して3日間程はまさに「死んだように眠り」。目が覚めて燃料を補給するも、身体が起き上がり続ける命令をきかず布団に戻りまた睡眠。約4ヶ月、溜まりに溜まった疲労と睡眠不足からくるものと後で分かったが、これが肉体のオーバーホールなのだと妙に感心した。

 外は真夏の北海道。起き上がれる様になった身体で、気分転換に街に出る。会社にもどこにも所属していない(正確には休職中なので在籍はしているのだが)、圧倒的に不安定な立ち位置。だからといって怖さは感じない。今30代なかばにして、この病気になったのは何かの運命であり、他では経験できない何かを得ろということなのだろうと、まだ霞がかった頭で考えていた。

 

 主治医に言われたのは、「いろんなしがらみはとりあえず全部置いて、自分のことだけを考える時間を作って」。会社で精神を壊したのだから、まずは会社のことを一旦綺麗に忘れろと。そりゃ完全にデリートはできんけれど、自分が生きている実感を得るための何か、そうだ、子供の頃から好きなことを、純粋に楽しんでみるのはどうか。

 

 まずは買うだけ買って、休日に動けずに作れなかったプラモを作ろう。

 電車通勤で乗ってやれなかった愛車を手入れしてやろう。

 

 そこでふと思う。

 

 実家で眠っている自転車で、どこまで行けるか試してみよう。

 

 それが全ての始まりだった。