迷い道
明るい抑うつ闘病記、その3。
前回は初期症状に気づくところまで。今回は更に身体に出始めた異変について。
月が変わって2011年4月。新年度の始まり。
出向を機に、年度替わりで昇進の知らせが届く。今までの主任クラスで送り出すのを心苦しく思っていた(らしい)元の上長が、せめてもと思い手を回してくれたのだろうか。ともあれ、取引先との交渉に多少なりと武器になるものを持たせてくれた様子。
その頃、朝の出社前身支度の時。
上手く歯ブラシが持てない。正確には持てるし磨けるのだが、微妙に手が震えている。ドラマで見るようなガクガクブルブルというのではなく、手を意識的に止めた時に小刻みに震えているのが分かる。コレはなんだ? そして止まらない胃痛・吐き気。吐くことに非常に抵抗があるため、なんとかかんとか胃薬で抑えて持ちこたえる。
通勤列車。朝7時前の列車で始発駅に近いため、体力温存のため空いた席を素早く見つけて座り、即座に眠る。寝付きはやはり良い為、2駅ほどで意識を落とす。高校・大学の頃から寝過ごしたことが無く、それは10年以上経っても変わらず目的の駅から正確に2駅前で目が覚める。うつらうつらしながら車内アナウンスを聞いているのだろうか。
2011年のJR北海道の車両は、アナウンスが自動音声になっていた。札幌への通勤のため、白石駅のアナウンスで目が覚める。トラウマというのは細かな部分で植え付けられるらしく、何が怖いわけではないのだが未だにこのアナウンスを聞くと複雑な感情が出てくる辺り、根深いものがあるのだろう。
札幌駅から大通り方面へつながった地下道で会社に向かう。
iPhoneで音楽を聞きながら、なんとか低い自分を奮い立たせようとするのだが、なかなかうまく行かない。視線を上げようと思うのだが、意識して上げても重いものを持った腕が自然に下がっていくように、気がつけば足元数センチ先を見るように目線が下る。
時に、言い知れない不安感から実家の母に電話をかけていた。他愛もない話。それでも、誰かの声を聞いていなければ、自分を保てない気がしていた。地下道を歩くほんの10分程度。その距離が、自分の思考を迷わせるダンジョンのように感じていた。
外の光が入らないビルの中。上階はちゃんとブラインドを開けて光を取り入れているのだが、1階の事務所は頑なに閉鎖。昼休みの休憩所はそもそも窓がない。テレビはACのCMが繰り返し流れ、原発の動向と被災地の状況を伝える報道。座ったまま一瞬の昼寝、15分ほどで目覚めてまた無音の事務所に戻る。
月曜から金曜までが一瞬で過ぎ去り、休日が待ち遠しいのに土曜の朝には残り時間をカウントダウンする矛盾。明らかに自分の変調が大きくなっていった。
ネットで自分の症状を調べてみる。
元々新しい環境に慣れるまでに時間がかかる為、適応障害を疑っていた。不安感にフォーカスして調べていたのだが、今思うとそれ以外の震えや吐き気、睡眠覚醒を総合して調べれば「抑うつ」に近いと分かる。
ともかく症状を元看護師の妹に相談してみると、早めに心療内科にかかった方がいいとの返答。自分もそれがベターだと考え、4月中旬に予約を入れて受診する。
問診と診察で、一応身体的な症状の出方がまだ病名判別で確定してしまうのは危ういレベル(抑うつか適応障害か)なので、まずは抗不安薬と睡眠薬を処方して様子を見ることになった。と言っても両方とも効き・量としては最弱の部類で、あくまで気休めレベル。
心療内科の薬は概ね1週間から2週間程度で効力を発揮し始めるらしいのだが、自分はとりあえず1週間程度で落ち着きが出始めた。一日一回の服用で、なんとか朝の吐き気や震えも収まり、眠気も残るものの中途覚醒は炊飯器の音まで起きなくなった。これでなんとか持ちこたえれればと思ったのだ。
その時は。
服薬から2週間程。
症状がまた出始める。4月末の契約ペンディング案件や止まらない本社の計画変更への対応が、頭から離れなくなる。会社支給のPHSを毎日持ち帰るのだが、着信に気づくためにテレビの前に置いておくもその方向をまともに見られない。朝の吐き気、震えがまた出始める。
GWが過ぎ、外は花見の季節になっていた。当然花見などする気は起きず、おぼろげに大通り公園に桜が咲いていたくらいしか覚えていない。その頃、同じ街にある実家に夫婦で世話になっていた。アパートを出されたわけではなく、住み慣れた実家で安心できる環境に置いて精神を落ち着かせてみる、という嫁含む周囲の配慮からだが、そうした配慮と裏腹に「申し訳ない」「迷惑をかけている」という思念に囚われ始めていた。
ある日、関係部署へ顔を出し、直帰の為列車乗り換えで駅のホームに立っていた。普通列車が来るまでのほんの数分。今日は早く帰ってゆっくりしよう、と思いながら、人もまばらな帰宅ラッシュ前のホームでの黄昏時。
貨物列車の通過注意のアナウンスが流れる。
軌道の向こうから貨物列車独特の音がかすかに聞こえ、遠くから車両の影がだんだん大きく見え始める。車両が駅の敷地に突入してきたその時。
自分の右足が、一歩だけホームに向かって出た。
誰かに押されたわけでも、バランスを崩したわけでも無い。「死にたい」と思ったわけでもない。ただその刹那、右足が出た。
ああ、ダメだ。思考が死ぬもんかと思っていても、無意識な何かが自分の制御を失わせかけている。
北海道の5月下旬。札幌では間近に迫ったよさこいソーラン祭りの準備で賑わい始めていた、俺の周囲では更に状況を悪化させる事態が起きようとしていた。