タイトルとは裏腹に、好きというだけでいいじゃないかという話だよ。
・単純に楽しむこと
技術追求、というのが苦手だ。
以前、自転車趣味のいいところは「人と競わなくてもいい」ということだと書いた。勿論競技としてのイベントに出る人たちにとっては人と競うこと、そのために技術を磨き身体を鍛えるわけで、それを目標とする人たちを否定することは全くない。むしろすげぇなぁと感心することしきりである。
自分が趣味をする上で、時々忘れがちになることがある。それが「単純に楽しむこと」。
自転車なら、何十キロ乗らなければとか、何キロで巡航できなければとか、そういうものに支配されそうになる。
ガンプラを作ろうとしたら、やれディティールをどうしなければとかただ組み上げるだけではどうだとか、そういう囁きが自分の中で沸き起こる。
お前は何のために趣味をしている?
そもそも、生産的なことではないのだよ、趣味というのは。
ただ心の平穏のために、日常のズギャァァァァァァァ!!!となることを全部ぶっ飛ばして(ここ大事)、自分の心と向き合うために行うことじゃないんかい。もっと言えば、
「子供の頃のお遊びを大人が「お遊び」と言えないから「趣味」なんてカッコつけて定義してる」
だけなんじゃないかい。
ただそこに、大人としてのしがらみが絡んできたり、子供の頃に自由にならなかったことが自由になる(時間だったり資金だったり)からこそ、「趣味」という枠付をしないとならないだけなんじゃないか。大人だから、何となく崇高なものでなければ、と。
大人だからこそ、仕事や生活で色々な自分を演じなければならない。そのバランスをとるために、好きなこと・没頭できることを求めて趣味というものを行うのであれば、そこでの自分はせめて心の思うままに動かしてやればいいんじゃないかと。だからこそ、誰かと比較しないで、競わないで、自分のペースでできることが大事だと、自分は考えるのだ。
最初にも書いたけど、それは勿論人によって様々だ。仲間を見つけて人とつながり、その中で自分の趣味を顕示することで楽しみを見出す人もいるだろう。コンテストだったりイベントだったり、そのために趣味をしているという人もいる。そこから人生の目標だったりライフワークに出会う人もいる。ただ、自分はそういう方向ではないんだろうなというだけの話。
好きならば、好きだと言おう。なんかの歌詞みたいだが、別に会いたかったわけじゃない(笑)。なんのことやらさっぱりだがそれはさておき。
正解がないものであれば、自分が思うままの自己満足で構わない。それが趣味なんじゃないかな。
「上手くなければ価値がない」という人もいる。そういう人は、どうぞプロでも目指してください。でも、あんたもプロじゃないでしょ? きっとプロからしたら、やっぱりあなたも価値がないことになるんだよ、その理論だと。
初めて補助輪を外して乗れた自転車。初めて握ったニッパー。初めて音を出せたヴィオラ。そんな初めてが誰にもあり、その時からしたら、きっと驚くほど上手くなっているものだ。だから、自分が上手じゃないと卑下するのはやめよう。最初の場所を思い出して、そこに立ってみるのも楽しいもんだ。その時にきっと自分の本心が見えてくる。その心に従えば、また世界は楽しくなるのだと。
さて、あなたの「始まりの場所」はどこですかね。
この漫画、大人の趣味としての自転車を「じこまん」として書いているのだが、変に競技志向じゃなくて緩く読める回もあってオススメ。