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趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

戦え! 何を!? 人生を!

 それは闘志を失くしたということなんだろうか。

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・戦え! 何を!? 人生を!

 人生のいつかの時点から、物事に対する「憤り」というものが薄くなった気がする。

 20代前半までの自分は、自分で思う程かなり攻撃的な考えの持ち主だったと思う。嫌な言い方をするなら、理屈で相手を屈服させる正論クレーマーのような。当時書いていたブログに関しても、社会ニュースに対しての批判的な斜に構えたような持論だったと思う。

 

 とは言え人間の本質などそう簡単に変わるわけでもなく、今も若干過激な意見が顔を出す瞬間はある。その辺はもしかしたらいずれ出てくるかもしれないけどここでは置いておいて。

 

 世間の風潮的に、他者に批判的に、攻撃的に、自分の意見を通すべきで退いたら負けという空気が蔓延している気がする。それは生活のいたるところで見かける。

 

「自分が正しいんだからどんな言い方をしても構わない。それで言い方がキツイなら相手が悪い」

「上司だろうと関係ない、人として正しい意見と思えば堂々と言えばいい」

「自分ばかり我慢するのは間違っている。相手も同じように配慮すべきだ」

「自分が少しでも損をすることは間違っている。そうならないための主張は是だ」

 

 んんんんんんーーーーーーーー...

 

 言わんとしていることは分かる。

 しかし、生活や仕事の中の小さな事を細々損得で考えて苦しみ・憎しみに変換して、それを排除するために攻撃をしかけるってのはどうだと。

 生き死にに関わるような重大な事柄や、真に尊厳に関わるような事柄って、日常的にそんなにお目にかかるもんだろうかな?

 

 朝の一発目から気に入らない上司の通達に対して、周囲が引くくらいのバトルが現場リーダーとの間で勃発していたらしい昨日の早番職場。当然周囲はその影響で戦々恐々となるよね。結果として、自分が遅番で行く頃には負の連鎖でコタコタの状態。

 

 自分は想像力豊かなのかどうなのか、両方の立場と意見が分かることが多い。その上で、自分のスタンスを元にして意見を言うし行動する。勿論反発することもあるが、それでもいい大人なんだから感情を丸出しにして衝突することは余程のことがない限りない(ようにしている)。感情で攻撃したら、事態を収束するためのチャンネルすら消してしまうからだ。

 

 と言うより、先に書いた通りそこまで激昂するような事柄は人生にそうそうないと思うのだ。

 

 20代前半までの自分は、恐らく攻撃対象と認定したら「いかに効率的にダメージを与えられるか」ということを分析し、「実行に移していた」と思う。そのせいで、きっとたくさんの人を傷つけていたんだと思う。仲間はいなくても構わないと思っていたし、ついて来られないならそれは自分の人生に不要な人間だと思っていただろう。それが同僚であれ恋人であれ、そうした不毛な取捨選択の上で続く何も生み出さない生活。

 

 人生で嫌いなタイプの人間は、はっきりしている。ここでは省略するけど、それに当てはまる人間に相対した時上手く接する自信は、無い。とは言え如才なく当たり障りなく一定の間合いを保って関わることはできるだろう。腹の底でどう思うかは別として、無用の衝突はする必要はないし、四六時中一緒にいるわけでもないならそっちに意識を振り分けることも無いだろう。

 現時点でどうしようもできない脅威、未来にわたってあるかわからない脅威、元々存在すらしない脅威に対して、過剰な警戒と敵意に基づいて目の前の平穏を壊すことはしたくないのだ。そうしたものは、どんなに攻撃しても敵意を持ったとしても、何を持って勝ちとなるか相手を屈服したことになるかなど決まっていないのだ。例え明確に相手が降伏の意思を示したとしても、結局自分の中で敵認定が解かれない限り自分の中で「生きた敵」として存在し続ける。そして攻撃の矛先が発射されないままいつまでも「架空のロックオン」を続けて消耗していく。先の現場リーダーは仕事以外にも生活や社会の全てに対してマイナスの言葉が多く、口に出さなければ気が済まない方であり、結局は「愚痴と悪意が多い人」と見られてしまう。

 

 だから、無闇やたらにロックオンするのはいつの間にかやめていた。そのおかげで、明確に敵意を示されても初動が遅れたりもするんだが(笑)。ただ余程の事がない限りその敵意自体は他の人から見て「なんで赤乃さんに攻撃が行くの?」というくらい相手の理不尽さが際立ち、周囲の理解と助けが強くなったりする。

 

 本当に自分のリソースを傾けるべきは何なのか。それを考えだした時、多分自分は敵意を闘志にかえて突き動かされるタイプから、誰か目に留まる人が少しでも幸せになることを考えるようになった気がする。

 

 それはもしかしたら今の嫁のおかげかもしれんなぁ。

 

 だからなのか、勝ち負けというものにこだわらない部分がある気がする。自転車で速さをそこまで追求しないのもその辺なんじゃないかな。

 

 とりとめなく、そんなことを考えていた最近でしたっと。さて、今日も激務の遅番で「戦って」きましょうかね。自分の戦いを。