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Think Like Talking.

変わりゆく変わらないもの

CANNED HEAT(7"EDIT)

N-ONE 毒? 自転車 それでも、生きていく

 早く起きたワンオフの朝、ワイドショーでガソリン値上がりについての話題。


Jamiroquai - Canned Heat [Official Video] - YouTube

・CANNED HEAT(7" EDIT)

 自分が学生の頃=1990年代最後の頃は、ガソリンが確かリッター80円台後半、軽油が70円台だった記憶があるのだが。実に15年で2倍に跳ね上がった計算になる。そりゃ燃費主体の車が売れるようにもなるさと思うが、自分にとっては「今更!?」という感があるのさ。

 

 大体、70年代のオイルショック時代に、石油資源の枯渇が危惧されていたわけで、そこから目を背けて40年近くも現在の経済構造(日本の場合は自動車産業に付随する製造業・輸出入産業・物流システム等)が肥大化されてきたわけで。様々な零細製造業や企業を含めると、どこかしらで自動車産業につながってしまう。そのために、こんな狭い国土の中で過剰に自動車が溢れ、公道を走っていてもまるで歩道の人のように自動車が並んでしまった。

 

 1台の車を維持することの大変さを感じている人が大半だと思うが、想像して欲しい。それが国内だけで「何百万台」という単位で年間に製造・販売されている現実。自分には想像もつかない。どれだけの資源が消費され、買い替えに伴い廃棄されているのか。当然リサイクルや環境負荷の軽減が研究され推進はされてきているけど、それは開発側・メーカー側の部分であって、ユーザーの側はそんなこと気にもしていないのが大半のはずだ。焼け石に水だよ。

 

 自動車・飛行機・インターネットと、物流や情報の流通という点で世界がいびつになってきていると感じてしまう。Amazonで買った品物が「翌日に」届くというのは、物流システムの端くれにいる人間としては「凄まじく精巧なシステム」の上に成り立つ「危うい賭け」なのだ。それは一つの歯車が狂う(天気であったり災害であったり、もしくはJRや航空便の遅れ一つ)だけで担保されないものであるのだが、エンドユーザに取っては知ったことではない。日本の物流システムや交通システムを考えてもらうとわかるが、こんなにもパンクチュアルな国はなかなか無い。

 だが、それは便利であると同時に、自分たちの感覚を麻痺させ「待つ楽しみ」をスポイルするものだと自分は考える。何日までに確実に届けたいと思えばそれなりのスケジューリングで余裕を持って発送すべきだし、急ぎで欲しいと思っても途中に介在する様々な要素を考えて「本来であれば数日かかるもの」であると認識した上で注文するのが自然な姿だと思う。「すぐに手に入らなければ癇癪を起こす子供のようなユーザ」(≒少しの遅れも許容できずクレームだ損害賠償だと言い出す「神様」(笑))が多いとは思わないだろうか。

 

 自動車の話に戻す。

 そうしたシステムを下支えするエネルギーとしての石油資源が、とてつもない速さで消費されている。自分は、確かに家計にとって苦しいが石油資源の値上がりは行き着くところまで行くべきだと思う側面がある。あ、灯油とかの生活物資は別よ。ガソリンに限った話というダブルスタンダードぶりで(笑)

 

 温暖化対策だの石油資源保護だの叫びながら、どうして大型自家用車が未だに作り続けられているのか。自分はそこにこそ疑問を感じる。エネルギーを余計に消費するとわかりきっているものを、「環境性能」だの「エコ企業」だのとのたまうメーカーが作り続けている矛盾。自家用車を軽自動車にしてつくづく思うが、日本は完全に「軽規格」をまず前提として自動車所有資格制にでもした方がいいんじゃないかとさえ考える。

 

 さあ暴論始めるぞ。

 

 独身でほとんど一人でしか乗らないのに3リッターだのLサイズワゴンだの必要ない。介護だ家族の移動だという正当な理由を申請・承認制にして購入許可制にするべきだ。大排気量の車など全くもって必要がない。高速道路で100km/hまでしか出せないのに、まして冒頭の方に書いた通り道路が飽和しているのにそんな性能がどこに必要か。これだけで相当の石油消費が抑制できるはず。

 

 え、バリエーションや選択の楽しみをどうするのかって? 世界が閉塞しかけている時にまだそんなこと言えるのですか?

 

 そういう人は寝言は寝て言ってくださいね(笑)

 

 更に日本の道路計画の基礎部分(特に都市部か)は、モータリゼーション黎明期の360cc規格の大きさがかなりの部分で残っているはず。そこに3ナンバーだのの車を無理に通そうとするから余計に狭く感じるのではないか。東京を自転車で走ると、「こんなところを対面通行にできるわけがない」という道が「現行の自動車サイズを基準として」考えると痛感する道によく出くわす。

 モデルチェンジの度に「もっと余裕を、もっと横幅を、もっと大きく」という一つ覚えの改悪を続けてきた結果が現代の車じゃないか。

 

 基本的なスタンスとして、自分はでかい車が性に合わん。存在を全否定するわけじゃないよ。用途として必要なら有りだと前置きしておく。それは特殊用途で特化した「必要な機能」を実現するためのものだったら、ということだ。救急車が小さければ話にならないし、途上国の奥地を移動するために頑丈に作られなければ命に関わるクロカン車のような。

 しかし、そうでない今の大型車は大嫌い。具体的に言えばLサイズミニバンと言われるトヨタのアレ(AやV)や日産のコレ(E)、マナーのいいのが乗っているのを見たことが無いトヨタのハイクラスブランドのソレ(L)。かつてヘビーデューティの代表だったトヨタのドレ(LC)なんて、今やオンロードタイヤ履かせてローダウンなんて嘆かわしい乗り方のユーザが出てきやがった。勿論ドイツのウォレ(BやB○WやA)もそうだが、車格が大きくなるほど自分が偉くなったと勘違いしている輩が多い。そうしたのに限って運転は荒く、他人様に「ドケドケ」と言わんばかりの傍若無人な振る舞いをする。広くなった室内ではセンターのアームレストに左肘、だらけた姿勢で右手をハンドルセンターにぶら下がるように乗せて時々悪びれもせずスマホいじり。車線変更を繰り返して危険運転なんのその。反対車線を大外からかぶせて信号待ちの先頭に踊り出て、ひどいのになると信号無視でそのまま突っ切って行く。

 

 おいメーカー。そんなのが「上質を知るユーザー」かよ

 そんなのが生活道路の路地でバカみたいにスピード出して歩行者巻き込んで事故るんだよ。単独事故死んでくれたほうがよっぽどこの国のためになる。

 

 ガソリンの話に戻すと、いち早く環境負荷の小さいサイズの車に回帰したユーザや「常識的な」運転をしている人間にとっては、実はそこまでのダメージではないのではと想像する。むしろ、おざなりにしてきたオイル交換やタイヤ空気圧を始めとしたメンテナンスを意識することで、自動車に乗るという責任までも再認識するのではないかと思う。

 

のりりん」という漫画の中で、極論としての「自家用車禁止にした場合の世界」が話題になった回があった。インフラを整備した上で、自転車が基本となる移動手段。公共交通が現代版としてシステムを洗練させ、自家用車が行き渡らない場合の補填手段として再構築するというもの。

 

「でかい車に乗ってないと威厳を示せないつーのも、自分の中身の無さを喧伝してるようだわな」

「社長やヤ○ザやセレブってやつまで、全部軽自動車とか小気味いいわな」

 

 というセリフに、思わず頷いてしまったよ。

 それくらい、現代のシステムを転換しなければならない時点に来ていると思う。資源消費抑制につながり、暫定税率が道路整備ではなく復興財源や福祉財源に振り分けるということになるなら、現在のガソリン高値も許容してもいいんじゃないかなと。

 

 これだけ物質が溢れた時代に、自分の身の丈すら認識できていないというのでは余りにも愚かではないか。本当に必要な機能・サイズは何なのか。自分の人間としての本来の力はどれくらい残っているのだろうか。それを振り返る転換点に、我々は生きているんじゃないかなと、真面目な話で締めくくってみる。

 

のりりん(7) (イブニングKC)

のりりん(7) (イブニングKC)

 

 件のエピソードはこの巻に。いろいろ考えさせられますな。