Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

LET IT GO

 そろそろこれに付いて書いてもいい頃か。と言うか、思うところがありすぎて長文+猛毒必至

 

・ありのままで

 公開される前にはこの映画がこれだけブームになるとは全く思っておりませんでしたな。というかなんでこんなに流行った? 話を見ずに判断するのもどうかと思い、とりあえず借りて見たはいいけど途中でうーんとなって飛ばし飛ばし。それはいいや。

 

 この映画、と言うより主題歌が流行ったという印象が強い。そのものズバリ「ありのままで」という意味に訳された日本語の歌詞が受け入れられた、ということなんだろうが、ここにものすごく違和感を感じざるを得ない。

 元々は英語の曲であり、原曲の歌詞を見ると日本語訳では入りきらない更に多くの意味が詰め込まれているのがわかる。ごく端的に言うと劇中のエルサの境遇と心理(開き直りと言うより自分への言い聞かせ?)を歌ったミュージカルにある劇中歌であるのだが、同じ音楽に日本語で歌詞をつけようとするとかなり省略せざるを得ない。そのため、日本語版の印象が「ものすごくすっぱりと切り替えて自分の好きに生きると決めた歌」になるわけで。

 

 そう、原曲の「劇中で抑圧され悩み続けていたものからの開放」というのは概ね変わらないのだが、英語版の「後ろめたさを残しながらとにかく気にしないようにしよう」というエルサの迷いの部分が、日本語版では汲み取りきれないことになる。

 

 世間では「女性がありのままで生きることへの共感を云々」というのがありそうだが、そこでガックリと思わされる。それはなぜか。

 

・あるがまま

「ありのままでいられる」という事を盲目的に「自由」と解釈されて礼賛されてはあんまりよろしくないと思うのさ。

 

 昔、みずしな孝之氏の4コマ漫画「幕張サボテンキャンパス」の中で、

あるがままに生きるというのは、他人のあるがままを受け入れるということだ

 というセリフがあった(概ねこうだったと思うが)。すでに10年以上前の漫画なので作者の意図するところの変遷もあるだろうが、どこか「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」(これも元ネタの英語では全然違うらしいが)というのに似ている気がする。

 

 実際、あるがままに、ありのままに生きるというのはどういうことだろう

 自分の思うように好きなように、気に入らないことはせず指摘するものは排除し王女様のようにチヤホヤされて生きることかい。そんなものぁリアルな王族しか許されちゃならんだろ

 現実の世界でそれをやるということは、他人の批判を気にしない図太い精神力と迷惑に思われていることを感じない鈍感力が必要になるんじゃないかね。大抵の人は、まず相手のあることに対して大なり小なりの譲歩があり、何らかの気遣いをでき、その先には「思い遣り」があったりする。

 もちろんあるがままに生きている人も実際にいるし、その人達が他人に対する思い遣りがないわけも全くない。その思い遣りの上に立脚してその心のままに生きようという人がいるからだ。そこは強く区別すべき

 しかしブームでレリゴーレリゴー恥ずかしげもなく歌ってる中で「ありのままで生きたーい」と抜かしてるのは、現実の煩わしさに責任を持てないこととそれを「社会全体的に」礼賛する雰囲気に乗っかってるだけに見えてしまう。

 

 あるがままに生きたい、でも他人のあるがままは受け入れず迷惑はかけられたくないというのは、単なるわがままであり社会生活に適さないもんだと思うわけで。

 自分だって他人に対する要求レベルや許容範囲はあまり低くも広くも無くて色々うるさいほうだとは思うんだけど、それでも「まぁ仕方ないか」と折り合いをつけながら生きざるを得ないシーンが毎日ある。仕事場だってそうだし、恋人・夫婦だってそんなことはあるだろう。完全に一致している、と思ってる奴は「相手が頑張って合わせてくれている」可能性に眼をやるべきだ。

 

 ただし抑うつの経験から少しだけ横にそれた話をすると、あまりに相手を優先しすぎるのも絶対に良くない。それはさじ加減の話ではあるけど、完全に相手に合わせた生き方も人を駄目にする。そこが難しい。あまりに自分の感情を押し殺しすぎて、自分の本心がどこにあるのかわからないというところまで行ってしまうと、戻ってくるのが絶望的に難しくなる。そうなる前に、可能であれば自分の好きなことをして、少しはわがままを言って、と言うのは全然アリだ。と言うか、そういう人は大抵周りの空気を読まない「あるがままに生きたーい」という奴の尻拭いで疲弊する人じゃなかろうか。俺も今なら言えるかな、「じゃぁお前一人で好きにやれや」と。爽やかな笑顔で裏拳張りながら。

 

 映画の話に少し戻ると、ありのままで生きようとしたエルサは、それでも常に自分を思ってくれていた妹・アナの「思い遣り」に思いを致すこと無くラストに進み、ようやく誰かとともに生きていることに気づき大団円に進む。

 自分一人の世界は確かに自分の思い通りかもしれない。でも、そこには刻まない時間が流れる。誰かを思うこと、思われることを放棄した世界。悩みがないことは幸せに感じるかもしれないが、悩んで生きられる幸せと、悩みながら共に生きる人がいる幸せは、きっと別のものだと思う。

 

・Let it be

 和訳を色々調べていたら、「Let it go」の方はどちらかと言うと「好きにさせる、好きにしなさい」というニュアンス、「Let it be」は「そのままで居させる(自然のままで)」という感じ。前者は若干積極性があって、後者は穏やかな印象? なんだろうか。

 自分はどちらかと言うと穏やかに居るLet it beの方が好きだ。つっても坊さんじゃないからいろいろ我慢の限界もあるからあるがまま受け入れられないことも多いけどな(笑)。

 何でもかんでも「さぁみんなで◯◯しましょう!!!」というのに乗っかるのが大っ嫌いな人間なんで、この話題をある程度冷静に見られるまで置いといた。もちろん人それぞれなので純粋に映画を好きな人も居て大いに結構だし、それにどう思うかも個人の自由。俺はこう思ってますよ、こういう人間ですよということですハイ。

 

 というかねぇ、この「自分に嘘をつかず思うままに生きたい」という話のつながりで最近ものすごくイラァと来る話がベースにあったのでその話はいずれ。