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Think Like Talking.

変わりゆく変わらないもの

野いちごがゆれるように

 忙しくないはずなのに休みが取れない不思議な2月。

・野いちごがゆれるように

 書きたいネタはいろいろあるはずなんだけど、いまいち思い出せないので雑談でお茶を濁してみる

 

 SNSで他にmixiなど地味にログインしているのだが、ニュース系のヘッドラインを見るくらいしかしていない今日このごろ。そのニュースにしたって、これで金もらえるのかいというくらいの、テレビの感想文レベルや誤字脱字満載だったりで。自分で取材したものではなく「◯日に放映された◯◯の番組でこう言っていた」ってなら中学生でもアップできるわ!!!

 

 と言っても時事ニュース以外の雑談ネタをランダムで表示している部分が日頃の話題になるのも否定できず。そういうところでこうした別ブログのネタになったりもするので。今日はそこから雑談を一席。

 

 お題は「モテ期」

 

 「モテ」というのが例えば異性に言い寄られたりするというのを指すならば、自分にそうした時期があったかと思い返すに当たり「ああ、もしかしたらあれがそうだったのか」というのが確かに存在する。とは言えイケメンというレベルには程遠い自分、更に学生時代に異性にモテそうな活動をしていたわけでも無いのです。部活は完全に文化系、バンドなんてやりたくもない、当然運動部のエースというわけでもない。宇宙船サジタリウス」のオープニングかよ!!!


スターダストボーイズ - 宇宙船サジタリウス Opening Theme - YouTube

 とは言え文化系の集まりの中ではそこそこ話題豊富で話術に長けていたらしいため、小中高と一貫して文化系エリアの中で女子が自然と打ち解けているという青春時代。まぁクラスのマドンナ的可愛い系・お綺麗系の女子とは縁遠い、今で言う腐女子やヲタ系・ぽちゃカワ系とでもカテゴリ分けしておきましょう(笑)。

 そんなだから、現在につながる人生の中でそーんなに女性と話すことに緊張することは無かったりする。や、一般の方々なら、という条件付きで。そらぁモデルさんみたいな人とは一般人たる自分みたいなのが人生の中でどれだけ接する機会があるかというところなんだけども。それは別として、よくネット上のコラムやらなんやらで「異性と自然に話す方法」やら「話題の選び方」やらの特集があったりするけど、正直なんでそんなこと悩むの? というのが感想で。ネットの標準が現実世界の標準ではないので、それを見るのは一部の本当に切実な人たちなのかもしれんのだが。でも、挨拶含め人とある程度の接点を持って社会生活してたら、どこからが失礼でどこまでが差し障りないとかってワカランのかな? と本気で思うのだよ。

 

 話がそれたので元に戻す。モテ期の話だな。

 実際自分が正式に交際したのは、嫁含め二人しか居ない。ただし、恋多き男だったのは否定出来ないので、カウントしてないけどいい感じになったのは結構居た。でもねえ、何かの祟りかと思うくらい、「これはいい感じだ!!」と思って告白しても、もんのすごく訳のわからん理由でご破算になったことが大半。そらもう、高校時代からの友人の言葉を借りると「元カノに呪いをかけられたとしか思えないちゃぶ台返しっぷりだった。それはいい!! しかし結果的に、20代の大半、高校3年からの10年間独り者だった訳ですよ。モテ期? 何だそれ。

 

 大体にして、「モテる」というのが「不特定多数に言い寄られる・言い寄って付き合うないし関係を持つ」という定義であるなら、自分は嫌だなあ。

 実際に、高校時代の同級生で部活も一緒だった男が「女なんて一生付き合うもんじゃないっしょ」とうそぶいていたのだが、若気の至りの発言とはいえ38になった今でも思い出すと沸騰しそうになる。ふざけんなよ岩S。

 

 だってさぁ、普通別れることを前提にして付き合うもんじゃないだろう? どんな恋だって、できることならこれが最後の恋になって、ずっと続いてくれればと思う心から始まるんじゃないのかい?

 

 今になって、そんなだから同世代の子に「重い」と敬遠されたのかなぁなんて思うんだけど、それくらい真剣に相手と向き合うもんじゃないのかな。どうなんだろう。

 モテ期、として選び放題の時期が人生にあったとしても、多分自分は適当に付き合えなかったからこそ10年の一人の時間が必要になったんだと思う。

 独占欲の強い自分だから、束縛してしまうことが怖かった。

 一人しか見えなくなるから、その人を壊してしまいそうで怖かった。

 それと同じくらい、恋に没頭して堕ちていく自分が許せなかった。

 

 いろんな恥をかいて、自分もいろんな傷がついて、もしかしたらいろんな人を傷つけて、やっと今の嫁に出会えた。恋愛の時期をぶつかりながら進んで、やっぱりお互いに傷つけあって、束縛しあって、それでも互いの生活と好意がバランスを取れるようになって、今の生活になった。

 一人だった10年と、同じ時間がいつの間にか過ぎていた。人生の4分の1以上、嫁にとっては人生の3分の1以上一緒にいることになる。「不思議なもんだよねぇ」とよく笑うようになった。

 

 不特定多数にモテることにこだわるのは、もしかしたら子供なのかもしれない。本当に大事にしたい人に出会っていないだけなのかもしれない。

 今でも、そりゃあ男だから可愛らしい女性と話して笑ってくれたら嬉しくないわけもないし、「男はいつになっても15の少年を飼っている」なんて軽口を叩くけれど、やっぱり間違いなく嫁が優先順位1位にくるからこそ冗談で済むのだ。

 なかなか出来ないけれど、モテるのならばいつまでも嫁にモテていたいんだ。年をとって色んなものが衰えて、弱さもカッコ悪さも誰より見せることになっても、いつか一緒になりたいと思った気持ちを抱えているから、家族になる前のちょっとだけカッコつけた男であったり女であったりしていたいんだ。

 

 結婚式の入場曲で、槇原敬之の「No.1」を使った。別に「君が一番!!」という意味でなく、歌詞全体は勿論だけど、ワンフレーズものすごく自分の根底に持っているべき歌詞があるから。

 

「二人で歩いてみよう

 一人ぼっちだった自分を

 お互いに忘れずにいればきっと平気」

 

 色々と上手くいかない時、多分ここに戻ると少しだけ今が幸せに思えるんじゃないかと思う。どんなに寂しくて悲しくても、胸をえぐられるような痛みを一人で抱えるしか無かった時を思い出す。今もしそんなことがあったとして、解決にならないかもしれないけど、一人だけで痛みに耐えるのではなく、ただ誰かそばに居てほしいと願った存在が居てくれる。その頃の自分がどんなに願っても叶わなかった存在が確かに居るのだ。そう思うだけで、いつかの自分の痛みが報われる。

 

 タイトルの「野いちごがゆれるように」はチャゲ&飛鳥の曲。

「指を折りながら思い出すのは いつか愛した誰かのこと」という歌い出し。

 モテたわけではないけど、自分も人並みに恋をしてふられ続けて、それでもその時は真剣にその人との恋愛に向き合っていた。それが今の嫁を大切にするための経験になったのなら、それはそれで無駄じゃなかったといえるさ。かいた恥も報われるというもの。

 

 今は誰がどうしているかなんて思い出すことも無いけれど、ふと思い出したとして、まぁ幸せにやってればいいななんて思えれば、それでいいのだろう。

 

 まぁた変な場所に着地した感じだな。

 つまりあれですよ。「モテるモテない言ってる内はまだまだ」(笑)。

 俺が言うな。

 

 お後がよろしいようで。

 


JAL チャゲ&飛鳥 CHAGE and ASKA cm - YouTube

「野いちごがゆれるように」はこんな感じの曲だったり。