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Think Like Talking.

変わりゆく変わらないもの

決戦は金曜日

 輝きの無い最初のプレミアムフライデーのお話。

・決戦は金曜日

 真面目な時事ネタをたまには。

 今年2月からいつの間にか導入されていた「プレミアムフライデー」とやら。去年の「ブラックフライデー」もいつの間にか煽られていたけど、こういうの最近多くないか? 政府主導の消費喚起策で経団連だのが一緒になってやってるけど、やっぱりみんなが幸せになるものとは程遠いところに見えてならないんだよ。

 

 導入最初の日ということで、各サイトだの有識者と言う人(言われる人か知らんので)がその説明や意義、成功するしないの論議をやってたけど、多くの意見は「コケる」。

 働き方だのワークライフバランスだのをきちんと整理せずに各企業勝手にやってるわけだから、そりゃあいきなり「最終金曜は午後3時に退社しましょう」なんて現場の作業無視した脳天気な掛け声一つで何が変わるって話だよ。

 それ以前に、そういう議論・決定をする人たちってのは未だに日本が基本9時17時で土日は休みの人が大半なんて本気で信じているのだろう。土日も無しでシフトで頑張って働いてくれてる人がいるから、今のサービスに溢れた日本を構成してくれてるという意識が無い。大抵そういうやつはそんな人達を根底で見下してるもんだから、自分は偉いと勘違いして飛行機の中で大酒かっくらって泥酔した挙句ご迷惑をかけて顰蹙を買うわけだ。

 

 さて自分の周りと言うか会社は勿論15時になんて仕事終わらせたら日本が回りません。インフラ業界ってのはそういうもんだと。それ以前に、現場作業者の人たちも含め仮に15時退社ができたとしよう。そのまま「消費」に走るか? 人に拠るだろうけど、それも可能性は低いんじゃないかと。だってそこまで劇的に給料上がってないもん。上がっても税金もしっかり上がってる。で、物価も微妙に上がってないか(消費増税で意外と馬鹿にならない金額になってるから、モノやサービス自体じゃない印象なんだよな)。

 

 消費行動に入る入らない。人に拠るだろうけど、今の世の中だったらどうなんだろうな。飲み屋だのショッピングだの小旅行だのという業界ばかりが取り沙汰されるけど、今の労働者層が休みの前の日に早く帰れたら何をするかの方をもっと分析しないと、全く意味のない言葉になってしまうんじゃないか。

 うちの周りでは圧倒的に「早く帰る」→「子供の面倒」→「家事」→「寝る」の比率が高いように思う。まぁ世代的にそういうのが多いからってのもあるんだろうけど、政府ってのは少子化の議論をしてる割にはそういう人たちの生活実態をよく知らずにカネしか見てないように映る訳で。

 その他はなんだろう。大都市部ならショッピングだってありだろうけど、日本の中に大都市部ってのは全体のどれくらいあるんだよ。市町村で行くと「それ以外」が圧倒的に多いんじゃないか。中途半端な都市だとそうした場所に行くにもいろいろ労力をかけないと行けん。飲み屋? 飲み会だのを敬遠する世代が増えてきてるのに? やっぱオッサンの発想にドンドン見えてくるんだよなぁ...。

 

 本気でこういう施策をやろうとするなら、多数の人間がまず「健全な生活」になるように戻すことが最初なんじゃないか。今回の件にしたって、結局は受け入れる側=サービス業界が対応するために負担が増えただけ。下手すりゃ強制的に仕事切り上げられた人にも余計な負担がかかってるのも間違いなくあるだろう。

 常々、最近世界は80年代に戻りつつあるんじゃないかと考えている。年末年始の休みや24時間営業からの撤退を宣言する企業がちらほら出てきているだの、その他風俗(エロじゃないぞ、文化という意味で)的な風向きとか。日本人の真面目さはある程度残りつつ、もう少し自分と家庭に目が向けられる時間の流れというか。

 その延長上で、土日のしっかりした休み、サービスの遅れ・不便を容認する国民の余裕ってものがもっと戻らなければならんのじゃないかと。昔は土日で開いてる店って限られてたじゃん。宅配便の翌日配達なんて無かったじゃん。夜中の番組は1時過ぎで終了、普通の店だって19時には閉まってて。ドンドン便利になっているように見えて、生き物としての人間が生活する領域から外れていった結果が今の世界なんじゃないかと。

 確かに時間を気にせずなんでも手にできる時代にはなった。でもふと夜中考えてみて欲しい。今見ている番組や、今買おうとしている商品、本当にこの時間に自分がすべきことだったのかを。睡眠時間削ってけだるい状態で手にするべき「便利」なのか。自分が「便利」を求めることで誰かが負担していて、その負担した人の「便利」を実現するために自分の時間が削り取られていて、結局こんな夜中に「便利だなぁ」と思っているけど本当はそんな時間にそこでそうしている事自体無かったはずじゃないのかと。

 

 なんだかパラドックスみたいだけど、便利に慣れた現代の歪みって結局「便利」の総量は変わってなくて時間や形がいびつになってるだけなんじゃないかとよく思う。踊らされているというか。

 技術的な「便利」は素直に喜べる。それは多分人類の英知の進んだ先だから。でもサービス的な「便利」は最近どうも微妙に思うときが多い。まだまだその裏に、頑張っている人の熱量が漂ってくるからだ。これが完全に産業ロボットとかに置き換えられて、人が介在することが少なくなっていったとしたら、今度は微妙どころか「気持ち悪い」ことになるんじゃないかと見ている。

 それは、技術としては凄いかもしれないけど、よく考えて欲しい。

 最近セルフレジやほぼフルオートの寿司屋(回転してないから回転寿司とも言えなくなってるんだよ)に行く機会があって、物は試しと使ってはみた。セルフレジはまだ百歩譲っていいとしよう。高齢者のことも子供のお使いでの対人経験の機会を奪っていることもここでは敢えて置いておくけども。でもほぼフルオートの寿司屋はいただけない。

 座席に設置されたタッチパネルから好きなネタを注文する。ベルトコンベアで運ばれてくる。食べる。繰り返す。精算。以上。

 文字面にしたら、普通の行動に見えなくもない。でも現実は結構おぞましい。注文を受ける・運ぶのプロセスに人の気配が全くしないのだ。ヘルプ要員でフロアに数名スタッフさんが回っているけど、基本的に客は機械的に寿司を食う。ある意味「作業」と言っていい。おひとりさまで入ればそれは本当に「1984」みたいな世界だ。


1984 Apple's Macintosh Commercial (HD)

 極端かもしれんけど、それくらい強烈な違和感を覚えた。寿司の味は変わってない。もともと職人さんが握っていないはず(機械でシャリを形成してネタを乗せてるはずだから)。でもそれを提供する手法として、機械の領域が増えるとこうなるのか、と薄ら寒く感じてしまったのだ。

 

 人が増えすぎて、でも知性と倫理がある中で動物のように間引くわけにもいかない。そこからそれぞれの食い扶持を確保するために労働対価の話が出てくるけど、そもそも一人あたりの消費量なんて時間の上限があるんだから決まっているはずで。その限界があるパイをシェアするんだから、どうしたって取り分は少なくなっていく。必要以上に溜め込んでるやつからはバキバキ取ってもいいだろうけど、その線引のボーダーラインにいる人は...?

 なんてところまで考えてしまうんだよなぁ。プレミアムな金曜日とやら。

 

 ズンズン話がズレていくので強引にまとめてしまおう。

「週末・休みの前は何も考えずにうまいもんと楽しいものを引っさげて家にこもれ!!!」

 家族や大事な人を大切に、一人の人は一人の時間を最大限に楽しんでやりゃそれでいいんじゃないか。楽しみ方を政府や経団連なんてカネの指標でしか見ねぇやつに決められたくないってことじゃないのかね。そう考えれば、時間が長かろうと仕事終わりはいつでもプレミアム!!! プレミアムエブリデー!!! ザッツオール!!!