Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

Chaser

 昔、ある歌手は「遠くへ行きたい」と歌って喝采を浴びたが、「遠くへ逃げたい」と歌う僕をシスター・ストロベリーは恥じているようだった。これは筋肉少女帯の「キノコパワー」だったか。

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・Chaser

 むかーし昔のツール・ド・フランス中継テーマだった気がするT-SQUAREの曲で。

 いい加減日々の仕事にすり減り、気が付いたら秋葉原も半年以上行ってない。自転車持って東京を駆けることに関しては、なんと4年もやってないではないか。これは運動不足に拍車がかかるなんて申しまして。

 

 というわけで、嫁の理解と許可を得て、朝も初便近くの羽田線に飛び乗り東京へ。行先は行き当たりばったり、どうせお台場と秋葉原。気楽に放浪してくるさ。足を延ばせればスカイツリータウンのトミカショップで今日発売のトミカを息子にお土産買っていこうか。

 

 エアポートリムジンでいつもここから、フジテレビ前で降車しまずはお台場。ついたのはいろいろと時間がかかってしまいなんと12時。午前中が丸々つぶれてしまう。実物大ユニコーンユニコーンモードのまま。

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 前回来たときは発光はしていなかったもののデストロイモードだった記憶があるがまぁそれはいいか。わき目もふらずにガンダムベース東京へ。先月終了した「ビルドダイバーズ」のキャラクター看板やらあれこれのカスタムプラモ作例が並んでいたり、9月から開催されている「逆襲のシャア」特集で結構な大きさのサザビーが展示されていたり。

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 ほとんどここに来たら新着のチェックになりつつあるな。前はUDXで11月にやってたEXPO的な展示が常設されているので少し気楽ではあるのだが。デルタガンダム2号機買っときゃよかった...HGUC Z3号機も同じ運命をたどりそうだが、こちらも生産終了になる前に何とかしたいところ。

 

 さて時間は12時半、初見というわけではないのでサラッと見終わってbd-1を駆って移動開始。天気予報は何やら15時過ぎから雷雨という不吉な表示になっているので急がねば。

 ダイバーシティ前からプロムナードを移動、武蔵野大~パナソニックセンター東京横を抜け、湾岸線を陸橋で通過し有明コロシアム、テニスの森、豊洲ふ頭。あとは有明通りを中央区へ向かって北進。勝鬨橋を抜けて築地へ。

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 といってもシーフードが苦手なので何を食うわけでもなく。ちなみにこの後ろで赤信号無視で転回して他車にクラクション鳴らされてたBMWSUVが10秒経たずにパトカーに捕まっていて、外人さんに苦笑いされておりました。恥を知れ!!!

 

 インターバルトレーニングのような自転車散策はまだ続く。

 銀座に入り歩行者天国を横目に国道1号線に入ろうと思ったが、あまりの人の多さに皇居方面へ回避。日比谷通りを北上し和田倉門前から東京駅方面へ寄り道。

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 以前来たときはまだ工事が完了していない頃だったと記憶。東京はいつもなんだかんだ工事やってるよな。

 さて本日の目的地である秋葉原へそのまま移動。先週の「あ、安部礼司」で神保町のカレー店特集を屋ていたので行きたい!!! と思ったのだが、いかんせんカロリー消費のために自転車をこいでいる側面もあるためちぃとパス。神田川を超えていつも通りの喧騒の中へ。ヨドバシ前の駐輪場に止めてここまで約1時間。距離にして12km程度だけど私鉄とかに乗らずに自由度の高い移動と考えたらやっぱり捨てがたいんだよな。

 

 そして無補給・無給水で走ってきたのでいい加減14時近くで腹も減ったし。

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 おいぃぃぃぃぃ!!!! さっきの「カロリー消費」云々はどうした俺!!!

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 いや、ちゃんとエコノミーですよ。というかヘルシー(少な目)でもよかったくらい。食わなくなったな俺。

 

 その後徒歩でラジオ会館だのヨドバシAkibaだのをいつも通り散策し、エアポートリムジンの時間を待つ。本当はスカイツリータウンのトミカショップで息子に初回限定かショップ限定のトミカをお土産に買っていこうと思ったのだが、初回限定のCBR1000はヨドバシで手に入ったのでまぁいいや。

 つつがなく羽田に到着し予定通りの便で北海道へ帰り...と思っていたら、プッシュバック直前で雨が。そのまま離陸したんだけど、途中山形上空での機長のアナウンスで「あと10分遅かったら雷雨で離陸できなかった」らしい。なんという引きの強さ!!!

 

 という日帰り東京。4年ぶりの自転車散策も気持ちよくできて、最高の土曜日でした。リリースしてくれた嫁に大感謝。

 

 

 

魂の願い

 もう25年も前の歌ですが。

・魂の願い

 徳永英明さんの曲で。

 

 最近、自殺したアイドルグループの子をめぐってのコメントであれやこれやが発生しているそうな。ダウンタウンの松本さんのコメントが何やら物議を醸していたり。そのバラエティ番組のOAを見ていないから詳しいことは言えないけど、要旨としては

「自殺した子に対してかばうという風潮ではなく、自殺自体を思い留まらせる方向にもっていけないか」ということだと読めるのだが。

 

 簡単に人の痛みがわかるなんて言ってはいけないと、40何年生きてきて分かった。その人にはその人の痛みと感じ方とがあって、ある人にとっては「大したことじゃないじゃん」と思うことでも、ある人にとっては身動きが取れなくなるほどの悩みとなって押し寄せる。自分が抑うつになったからこそ、その状態になったときの恐ろしさは少しだけ分かった。

 それでも、解決するのは容易じゃない。結局その状況から「遠く離れて」しまわなければ、もしくはその問題自体が「消滅」しないことにはまず先に進めない。自殺してしまうというのはその解決策を外部要因で何とかせずに、自分で世界から「退場」することに求めてしまうことに他ならない。

 

 松本さんやその意見に賛同する人たちの意見として、きっと「死ぬ」という選択肢はずっとずっと深いところに置いておいて、その手前の段階で何とかできるというのを周りが提示してやらなきゃならない、ということなんじゃないかと思う。ただ「死んでしまってかわいそう」で済ませちゃダメなんだと。

 

 うちの身内でも、もう10年以上前になるだろうか、自分で命を絶った人がいる。俺も小さいころかわいがってもらった優しい人だ。単身赴任が続いて、家族に会いたい、一緒にいたいという中で亡くなったと聞いた。それでも仕事から離れたらダメだと、見えない何かで囚われたかのように。

 もし誰かが、「放り出して一回帰っておいで」「そこの仕事がすべてじゃないよ」「別の仕事したっていいじゃん、自分のいたいところにいれば」と一言でも言ってやれれば、今も優しい旦那さんとして定年間近だったのかもしれない。周りの人たちも、みんなそれを悔やんでいた。

 

 今ある状況なんて、簡単に飛び越えられるものなんじゃないかといつも思う。嫌ならはぐれメタルのようにさっさと逃げちゃえばいいんだ。逃げるのが負けだなんて、それは勝ち組負け組なんて枠を当てはめようとする奴らのルールに過ぎない。息を一回するごとに、鼓動が一回なるごとに、人間なんて寿命をすり減らしてるんだ。迷惑かけない程度に、ささやかに穏やかに人生過ごしたって、誰かに文句言われる筋合いはねえ。

 

 タイトルの「魂の願い」という歌は、終盤に「頑張れ」という言葉が16回も連呼される。今なら「鬱の人とかに聞かせたら云々」とかいううるさい風潮なのかもしれないけど、自分はつらいときずいぶん救われた。

 

 精一杯頑張ってる人に、さらに一層の「頑張れ」じゃない。立ち向かう方向への「頑張れ」でなくていい。逃げ道を探す「頑張れ」でもいいはずだ。どこにいたって、どこに行ったっていいんだから。どうせ人間なんて、打ち所が悪いだけでもあっけなく死ぬときゃ死ぬ。急いで自分で終わらせなくてもいい。

 

 そう言いたいんじゃないかと思う。特に松本さんは子供が生まれてから余計にそう思うのかもしれない。

 俺も自分の子供が生まれてから、更にそう思うようになった。立派じゃなくても、離れたとしても、どこかで生きていてくれればそれでいい。

 

 だからこそ「死んだら負け」という表現をするのは、そんなにいけないことだろうかと思う、この騒ぎの話。

主人公

逆襲のシャア公開30周年で雑記。

 タイトルはさだまさしさんから。

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 ガノタの方々にとっては常識的なこととして、今年は「逆襲のシャア」公開から30周年。「00」10周年とかも今年だったか去年だったかそれはいいとして、気になる記事を見たってことで一つ。

 

「『逆襲のシャア』って結局どういう終わり方なの?」という。

 いろいろ賛否両論起こっているようで、30年たった今だにそういう話題が持ち上がるというのはある意味記憶に残るということでいいんじゃないかと。

 

 ぶっちゃけて言うと、一年戦争(初代のガンダムね)からグリプス戦役(俗にいうZの時代)を経たアムロとシャアの決着なんだけど、いろいろと言われようがひどい。「作を追うごとにシャアがかっこ悪くなる」だの、「個人のエゴのために戦争を起こして最後はアムロにボッコボコ」だの「結局生死不明であやふやに終わった」だの。ある意味もっともらしいのは「アムロとシャアの話の続編をずっと要求された富野御大がキレて今後の作品に出ないように公式でぶっ潰した」説。やりかねないけど、それは商業的な意味なので「結末」の解釈としてはちょっと横に置いておいて。

 

 見た人は分かるんだろうけど、確かにシャアがアムロと決着をつけるために水面下で軍を作って(ネオジオンですな)、アムロを引っ張り出すために小惑星アクシズを地球に落とす作戦を実行。一騎打ちで勝利したアムロアクシズガンダムで押し返そうとして、敵味方を超えて人がつながっていく...というようなざっくりした流れ。

 解釈は人それぞれでいいと思うが、変に小難しく考えなくてもいいんじゃないかなぁ...。真正面から捉えれば、初代・Zを経て人類に絶望したシャアがアムロと決着をつけようとして、ニュータイプの感応を知って人類の可能性を捨てないアムロがそれを止めようとする。本当に人類≒地球の滅亡を目の前にした一般兵が、連邦もネオジオンも超えて落下するアクシズに取り付き、極限状態で見せた心のつながりであるとか。そりゃあ、サイコフレームというトンデモ設定がどうのという話もあれど、それを言い出したらSFって基本的にトンデモ設定がないと成立しないからね、現代の科学レベルでいうと。

 

 でもそれを媒介にしたとしても、アムロとシャアが宇宙世紀の「史実」から退場したことと「人の意志の力」が具現化して隕石すら軌道を変えさせたというエンターテイメントはそこでいいじゃないかと。なんかテーマがどうのだの解釈がどうのだの七面倒くさいこといってんじゃねえ。

 

 そんなだから、個人的な話で申し訳ないが、一つ自分で気づいたことがある。

νガンダムが好きと言えない」。

 そう、主人公機であるνガンダム、そしてライバル機であるサザビーも、好きなんですよ。でも、素直にこの2機が好きと言えない。何だろう、このブレーキ。歳を取るにつれて量産機の武骨さが好きだの、ちょっとマニアックな機体が好きだの理由をつけて、王道直球主人公機の外連味が好きだと言えなくなっていく感じ。

 

 かっこいいじゃないか、主人公。ガンガンあり得ない動きで一般機を圧倒していくからこそ物語が成立するじゃないか。好きって言いなよ。あごクイするぞこんにゃろう。

 

 というわけで、齢42にしてようやく、30年の刻を超えて言おう。

ガンダム大好き!!! 主人公機が好きで何が悪い!!!」

 

 ...でもさすがにちょっと照れが入るな、文字で見ると。

 それはそれで、やっぱりあれこれフル装備のゴテゴテした状態が好きになれんのはもう個人的な好みってことでいいよね。オチなし!!!

LOVEずっきゅん

 このPVみたいな風景。


LOVEずっきゅん 【PV】 相対性理論

・LOVEずっきゅん

 というのは相対性理論の初期の曲だが。

 腰椎ヘルニアがある程度寛解して、日常生活に支障は出ない程度になったもののやはり違和感というのは残るもの。なるべくストレッチや坐骨神経痛の原因になる仙骨周辺をほぐす体操などでだましだましやっているが、それでも自転車には乗りたい。いろんな条件があるにせよ。乗りたい。

 

 去年bd-1のタイヤをKOJAKからMARATHON RACERに変更してエアボリュームを上げサスペンション効果を狙った。しかし。カジュアルな格好で通勤できる環境ではなくなってしまったため、仕事帰りにN-ONEからbd-1を展開してひとっ走り、という芸当はなかなかできない状況。

 

 今日は秋晴れ、台風が来る前の最後の9月土曜日。

 

 千歳空港近くの国道36号線を車で通るたびに気になっていたポイント、今日は綺麗に見えるんじゃないかということで、空港周辺にほど近いとある場所にN-ONEを停めてそこからbd-1展開。無理なペースで巡行するとか前のような追い込みはできないけど、軽く近所を散策する程度なら問題ないだろう。

 

 で、これ。

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 新千歳空港の滑走路はかなり国道に近く、南風のアプローチの時はまさに頭上を低空で飛行機が過ぎていく。初めて見るとものすごいインパクト。ここを車で通るたびに気になっていたのだ。

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 これは少し離れた場所から。どこかというと、

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 千歳科学技術大学の付近。敷地ではないけど、立て看板の辺り。この真上もバンバン通っていくのです。高度はもう少し高いけど。

 

 風は少しだけ強め、でも無理に逆らわず軽く軽く回す。上り坂も変にもがかず重心の移動と足の重みを使ってクルクルと。40を超えて変に筋力で回すという方向は止め。それはまじめにトレーニングしている人たちに任せた!!!

 

 そんな秋の一日。

ヘドバン発電所

 というのは筋肉少女帯の曲で。

・ヘドバン発電所

 ここ数日の報道や一部ニュースを見ながら違和感を持ったことについて。

 

 震災から2週間以上が過ぎ、自分の周りもほとんど平常の生活に戻りつつある。実際北海道で被害を受けた地域は本州でいうと本当に一部地域で、北海道「全体」が壊滅的なわけではないので。一定のスケールと冷静な視点を持つ人にとっては当たり前のことだけど、日本人の気質なのか「こんな時に北海道に行って大丈夫なのか」→余震警戒or住民感情への配慮、が過ぎるように思う。

 

 観光が産業の大きなパートを占める北海道、お客さんが来てくれなければ困るところがメニーメニー。空港の飲食店は開いてなくても、街中は普通にやってんだ。

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 実際先週、札幌の大通公園で始まったオータムフェスト2018(地震の影響で延期になっていたが)は普通にやってるし、人出も歩くのが大変なくらいの盛況。バカでかい串に焼きたて中落カルビ、おいしゅうございました。

 

 さて、冒頭の発電所の話。

 今回の震災で最も大きく取り上げられて問題視されているのが「ブラックアウト」。実際北海道全域が「すべて」停電するなんてのは完全に想定外だし、そりゃ被害にあった人たちにしちゃたまったもんじゃない。

 ただ、こうした未曾有の大災害に直面したとき、必ず出てくるのが「人災」という言葉を使って誰かを戦犯に仕立て上げること。

 

 毎回思うのだが、黙ってろや。

 普段は何もせず恩恵だけを「貪って」、その裏にあるそれを維持する人たちへの感謝など考えたこともない。第一、発電所の立地についてだって、断層を含めたリスクは計算に入れてるだろうが「ほぼ真横」で直下型の地震が起きるのをどこまで予想できるか。「それを想定するのがリスクヘッジだろう」と叫ぶのだろうが、じゃあその「来るかわからないものに対して万全の備えをするためのコスト」を日常的な「料金」として上乗せすることを承諾するのか、と言ったらどうだろう。

 

 自然を相手にして、何が起こるかわからないものへの備えはインフラ系の業界は常にしていると思う。そのうえで、「起きてしまった天災」に対して、自分の被害を横に置いて仕事に向かい続けなければならない人たちを前に、同じことが言えるのか。それはおそらく、大半の自分たちと同じように「末端の現場作業者」なのだ。

 

 発電所の規模・設置場所・運用についてもトンチキなニュースがあったな。

 大規模発電所をなぜあそこに置いただの、全体をカバーする云々だの、原発動かせだのなんだの。

 火力発電所なんだから燃料を補充するにはタンカーが入れる海岸沿いの大規模な港が必要だろうが。石狩平野、札幌近郊から小樽・室蘭方面までカバーするとしたらあれだけの規模の発電所じゃなければ足りなくないか? 北海道の道央圏以外の人口密度を考えろよ。地方の拠点都市近郊に小規模の発電所をおいてるのは、オーバースペックのものをいくつも設置したらその分コスト=電気料金に跳ね返ってくるからだろ。原発? 今回の地震で泊が文字通り止まってたからメルトダウンだの冷却だのの対応を最小限で抑えられたんじゃないのかい。

 

 地震だ台風だの自然災害は誰にも止められない。

 どうしても「人災」という言葉を使いたいのなら、それは備えをしていなかった自分たちに向けてであり、その災害から次につなげる行動を起こすのが本来だろう。誰かの責任になることを掘り起こして攻撃する暇があったら、備蓄用の水でも準備しとけ。

 

 報道が沈静化してきた今もなお、インフラ系の人たちや現地の人たちは戦ってるんだ。自分にできることは、少しでも平時の生活に戻って経済を回して、みんなに利益が回るようにすることかもしれん。

 

 北海道へおいでませ。今なら各観光地、ものすごくゆっくり見れますぜ。敢えて語弊のある言い方をすれば、外国人観光客が一気に逃げてしまったのである意味古き良き北海道の観光を楽しめるよ、と。

 

 なんて書いている今この瞬間、余震(震度1か2だな)が来ましたが(笑)。

BBQパーティー

胆振東部自身から1週間弱の札幌。

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 電気復旧後の思うところを備忘として。とっても長いです。お暇なときに。

 トップは地震から5日後11日の札幌地下街。露出の関係で明るく見えるけど本当はもう少し暗い。

 土日の休日返上仕事の代休を取って、動き詰めで疲労の蓄積していた体のメンテナンスのため札幌へ。電柱は所々傾いていたり、厚別近郊は信号機が明後日の方向を見ていたり。それでも市街地や人の波は多少の減少はあるものの普段に近い営み。人間の強さというかなんというか。

 今回、自分が「被災地」である北海道の道央圏にいて、道外の人から見たら「被災者」のカテゴリに入るようになって思ったことを。

・不謹慎だとか誰が決める

 タイトルの「BBQパーティー」というのは、SNSなどでも話題になった「被災直後にバーベキュー(北海道なのでジンギスカン)パーティーやってる」という事実。これを「不謹慎」と取るか、「冷蔵できない食材を先に消費するための合理的判断」とするか、もちろん後者なのだが、地方の文化やサバイバル術としての方策を「不謹慎」と糾弾する層が一定数いても確かに不思議はない。でもさ、普通に考えたら想像できそうなもんだ、と思うのだが。

・AC、やっぱり多く感じるな

 東日本大震災の頃ほどじゃないにしても、放送各社やスポンサーの自粛なのか、ACのCMが一気に増える。これはこれで震源に近く今も(15日現在)大変な思いをしている厚真町や安平町などの方々にとっての配慮としては間違っていないのかもしれない。

 ただ、地震に対するPTSDも徐々に判明しつつある現状で、もう少し比率を変えてもいいんじゃないかと思う。日常と同じ状況をある程度演出することで、心理的反射を抑えるというか。ACのCMに罪は全くないのだが、どうしても今の比率で流れているのを見ると「大災害」というのを押し付けられている気分になってくる。

 確かに被災で激甚災害認定もされているし、北海道が経験したことのないクラスの災害なのだ。でも、多くの人たちはすでに「普段の日常」を8割がた取り戻して復旧に取り組んでいたり、残りの2割の人たちも懸命に生きている。だから却って「そこまで配慮しすぎなくてもいいですよ」という感じになるのだ。

 サウンドロゴすらなしのCMは、おそらく東日本大震災の時の教訓なのだろうが、今は竹原ピストルさんの曲がヘビロテで流れていてなんとも(笑)。CM自体はこういう状況でなければとてもいいと思うのだが。

・情報発信の是非・信憑性

 これは本当に、その真っただ中に置かれることで本当に考えさせられた。情報が遮断された状況の中だったため、こちらから発信できるのはせいぜい一瞬つながるネットでの安否発信程度しかなかったのだが、電力が復旧した後も下手なことは発信できないと痛感。

「○○からの情報で、強い余震がいついつに来る」だの、「断水が始まる」だのという今となってはガセネタが、普段ならソースを確認してから発信すべきものがフィルタを通さずに一気に拡散されてしまう。しかも大半の人たちがテレビすら見られないから、公式情報ではない話をもとに走ってしまう。これには参った。

 仕事柄信憑性の高い情報をもとに行動する部署にいるはいるのだが、それでも情報が遮断されるというのはこういうことなのだ。

 好意による情報も、非常時には「敢えて発信しない」「簡単に信用しない」方がいい場合もあると自分は思ったよ。もちろん、避難所情報やFB・Twitterでの救援情報なども目にしてそれはそれでいいと思ったけど、ある程度の単位(個人ではなく、町内会などの少数単位)で発信すべきじゃないのかなと。こうした非常時に個人で「うちで電気が通ってるので充電どうぞ」とか提示できるのは素晴らしいのかもしれないけど、火事場泥棒じゃないが二次被害のような事件が起きてしまうのも残念ながら否定できない世の中。人間の両面が存在すること、好意のみですべての人が動くわけではないことを持っておかなければならないのかな、なんて思った次第。

・身近な人とのつながりを大事にしなきゃ

 常々、自分は友達を作ることや人づきあいが苦手だ。人当たりは悪くないと思うが、どうやってプライベートや仕事上以外の付き合いをしていいかわからない。

 そんな人間ではあるが、今住んでいるのは古くから(子供時代から)住んでいる場所。建て替えをして二世帯にしたが、周りの人たちは40年来お世話になっていたり、顔を見知っている人たち。今回、これがいかに大事なことかを痛感。

 地震直後、夜が明けつつあるころに外で声がすると思ったら近所のおっちゃんたちが昔の長屋よろしく路地で雑談。お隣さんとガスコンロのボンベを融通したり、ろうそくを分けてあげたり、普段から交流があるからこその助け合いはこういうものなのだと。

 SNSとかでの友人数を誇ったりは端から興味がないので別にいいのだが、遠くの友人との安否確認には確かに便利ではあるが自分や家族のリアルな生存を考えたときに半径100mの付き合いがいかに重要か、こういう時にわかる。

 よく、ネットで広い世界が居ながらにしてわかる、なんていうけども近所にある防災関連の設備や新しくできた店すら気づかないのは滑稽なもんだ。自分への戒めとして、ここに残しておく。

・防災物品、やっぱり大事

 食料などは買いだめしておくわけにはなかなかいかないものの、サバイバルのためのツールは本当にあってよかった。といっても前のエントリで書いたLEDランタンやモバイルバッテリー、ガスコンロは基本として、何かを加工するためのマルチツールや最悪ガス欠になったときの自転車など、「なんとでもできる」という開き直りの裏付けになるものを持っているのは心理的に大きかった。

 今回の物流打撃が落ち着いたころ、防災物品をある程度揃えておこうと思ったよ。今はまだみんなが一斉に踊っている時だから、ある程度俯瞰で。

・電気、商品、そんなにいるか?

 さてトップの画像に付随して、節電の話。

 現在も節電が呼びかけられ可能な限りの協力をしているが、家庭でできることって結構あっという間に終わってしまうんじゃないだろうか。煌々と明かりをつけるだの無駄に電気を使うようなことってあまり思い浮かばないのだが。うちだけ?

 そんな中、札幌の市街地を歩いた時、駅前の大丸や地下街を歩いていたが、普段よりかなり照明を落としているため確かに薄暗く感じたものの、個人的には全く問題にならなかった。確かに商品のライトアップや棚の照明が必要なリコメンドはあるにせよ、本当に必要かと思ってしまう。

 また自分はテックジャンキーの端くれのため、こんな時でもヨドバシをふらついていたのだが、当然ながらテレビなどの常時デモを流すような通電商品はほとんど電源オフ。ただこうしたときにふと思ったのだが、各社商品バリエーションってこんなに必要なんだろうか、と。

 テレビに限れば、ハイエンド・ミドル・エントリーがあり、さらにサイズで細分化。需要もあるのだろうけど、なんだかなぁと。ハイ・ローミックスをやると「ちょうどいいのがない」だのとぼやく層がいるのだろうが、そもそもそれに全部こたえようとするからリソースの消耗を招くんじゃないかと思ってみる。この前プリンタを買い替えたとき、日本での2トップたるキヤノンエプソンを比較したけど、本当に見事なまでにラインナップのクラスが一緒。そりゃどっち選んでもいいんだろうけど、明確な路線が分からなくなって食い合いになるんだろうな。とはいえ、既存ユーザの買い替えを考えるとそうもいかないか。

 

 なんてなことを考えた1週間。余震、どうにかならんかねぇ。

今日も誰かの誕生日

というわけで誰かの、じゃなくて俺の誕生日。

 42になりましたのことよ。後厄っていつまでなんだろう? 年末まで? 数え年なのは分かったけど、きっかり誕生日まで? 後厄の最後まで地震が来るなど油断できない一年でしたわ。

 
キリンジ - 今日も誰かの誕生日

 今年は先週の台風→地震で正直それどころでない状況の中で迎えた誕生日。家族も何とか無事で誕生日おめでとう→ありがとうのやり取りができるのが本当にありがたい。妹からも電話が来て、いつも通りの誕生日と相成りました。

 

 プレゼントなど40を超えたいい大人に対していらんよ、と言っていたのだがささやかな品物をもらえたり。

 

 何より、息子が夕飯を「自分一人で」初めて完食したのが地味に大きなプレゼント。

 

 とても幸せな、いやありがたい一日でした。