ガラスの十代
磨りガラスの四十代。液晶保護の話。
・ガラスの十代
Xperia10 plusを使用し始めて1ヶ月半。日本未発売だから仕方ないのだが、当然そこらの量販店に行ってもケースや保護ガラスフィルムは存在しない。Amazonなどで調べてみるも、どうも日本語も怪しい出品者からの激安商品が並ぶ。や、AlumaniaとかDeffみたいなバンパータイプのゴツいのもいいけど、そもそも日本企業で開発していたら国内販売していなくて採算も取れない機種用なんて作るわけがない。
結局むき身で過ごしていたら連休の前半、液晶画面に薄っすらと違和感。
あ、もしかして傷か? いや、これヒビになる前のなんかか? ともかく液晶画面だけでもなんとかせねば。
というわけで、ドン。
どうせ初めてのSIMフリー機、初めてのことを重ねてみよう。液体コーティング。なにやらガラス強化液なるものが最近出始めているようで、札幌のヨドバシでは完売、お隣のビックカメラで購入。ホコリを取って液晶面をきれいにして指で(!!)塗り伸ばし待つこと1時間で皮膜が完成するそうな。
お手軽なのでとりあえず施工。1時間経過。拭き取り。うーん、違いが全くわからねぇ。でもまぁ、指滑りは心なしかなめらかになったかもしれん。塗り伸ばしているとき、すでに被膜化が始まるのかガラスのような物体がシワのように引っかかりはじめるというか。わかります? 例えるなら湯葉みたいな感じ。手早く塗り伸ばしてやらんと硬化が早いのかも。
なんて若干半信半疑で持ち歩くこと2週間。液晶の傷らしきものは広がることもなく、一応保護はされてんのかなぁと。そんな昨日の週末金曜日。
スーツの外ポケットに入れてちょっと急ぎの仕事でダッシュをかけた瞬間。
するりと落下。コンクリート路面に液晶側から派手に。むき身なので当然ボディの素材は傷だらけ。液晶はというと。
うん、まぁ大部分は傷もついてない。角の部分はさすがに一部キズと削れができてしまったが、もともとのゴリラガラスも相まってきちんと保護されていたという感じ。
ともあれ心臓に悪いことは確か。仕方なく帰ってからAmazonで最低限のケースと追加の保護フィルムを注文しましたとさ。
なんでもないや
遅ればせながら、まことに遅ればせながら。
・なんでもないや
公開から3年経ってようやく「君の名は。」を見た。
いいですね。甘酸っぱいですね。そしてここでSFが入るってことか。キービジュアルの彗星がそういう意味だったとは。冒頭30分程度は明るいテーマに見えて、そこからズンッと重くなる。や、2回見たほうが繋がりがわかるってのはこういうことか。
最終的にきちんと話が収束して大団円になる作品が好きなので、いい話。今の十代の日常、というか息子もこういう生活で育っていくのかなぁとか、俺が同じ頃の生活とは違うなぁとか、でも誰かを想うことは変わらないんだなぁとか。そうして出会えた人を、大事に思い続けるためにはどうしたらいいんだろうなぁとか。
映画とか作品って、そこで思いが通じたところで大体終わる。だから恋愛とかに幻想が膨らんでいくのかもしれないし、現実世界でも告白から付き合い始める、というところが一番楽しいのかもしれない。でも実際には、そこから果てしなく長い現実の生活があって、綺麗事じゃ済まないよしなしごとが立ちはだかる。付き合う、結婚がゴールじゃないんですな。
だからなのか、自分ができなかった恋愛や疑似生活をエンターテイメントやゲームに求めるのか。それじゃ物足りないもっと即物的なものを求める人は、そういう店に行っちゃうとか。んー、ちと俺とは違うか。
前のエントリで短い日記を書いたが、朝目覚めてふと思ったのさ。初めて付き合った人、最初の日。高校の帰り道、長い坂の途中。最後は傷つけて終わって、今はどこかで幸せでいるんだろうなと思いながら、もう20年以上昔になってしまったそんな日を。
そう思うと、人並みに恋をして、人並みに辛さを知って、人並みに立ち直ってを繰り返してはこられたんだな。そうして出会った、つながった相手を大事にしないとと思う5月の青い空。
とはいえ、素直に泣いてみたりいい話と感じてみたりする感性は持ち続けていたい40代。ヨドバシドットコムでコミカライズを購入。それが冒頭の写真だったり。ほとんどアニメ(映画)に忠実に作られていて、最後のエピローグだけが視点が逆転していたり。で、エンディングの「なんでもないや」にじわっときて。「前前前世」よりしっくり来たかな。
とりとめない話。
札幌市豊平区豊平5条11丁目1-1
やっとこのタイトルを使える!!! 令和なのに平成の怪物の話!!!
・札幌市豊平区豊平5条11丁目1-1
いや、なんのことかって思うでしょ? 曲名なんですこれ。CUE DREAM JAM-BOREE 2010でヤスケンこと安田顕さんが歌ってた...歌ってた? 曲。
最初特集番組で見たんですわ。その時の歌詞はまたちょっと違うんですな。2番と3番が違うんじゃなかったっけ。オクラホマのお二人が口上とかセリフを歌っていた記憶。何事か!!! と思って検索してしまったじゃないか。で、曲名が「札幌市豊平区豊平5条11丁目1-1」。検索したら、北海きたえーるなんですね。この近所に平岸の文教堂ホビーがあるので、近くを通るたびに何とかネタにしてやろう!!! と思っていたのだけど、用事があるわけでもないので何となく通り過ぎていたら数年たってしまったわけ。
昨日は2019年の自転車シェイクダウン。といっても数キロ軽く回す程度で、腎臓結石の術後経過のために少し体を動かさねばなぁ、という理由。それなら天気もいいし、豊平の近くで車を停めて行ってみるか、というノリで。あーすっきりした。
自動車ショー歌
世間一般的10連休も残り今日を入れて4日!!!
・自動車ショー歌
といっても腎臓結石の破砕から今日で1週間。まだ結石が出切っていないんだろうなぁ、と思うような痛みが2回ほど。昨日は息子を連れてサッポロファクトリーの「トミカ展」へ行ってきた。
いやー、子供向けではない。大人が懐かしむイベントという方が正確か。1970年だったかの初代リリーストミカから始まり、歴代のトミカが年代順に並んでいるわけで。膨大なコレクションをすべて網羅するわけにもいかんだろうし、それには展示スペースが狭すぎる。自分の子供の頃がほぼトミカの歴史にバッティングしているため、展示されているモデルの結構な数(といっても初期のものだが)が「まだ家にある」状態。
とはいえ、息子にとっては古いトミカは知ったこっちゃない。触れない展示物よりも遊べる現物!!! とばかりに、ショップゾーンへの移動をせがむ。そりゃそうだよな、ずっと並んで待機ばっかりじゃ疲れるよな。
NIII360やら、
ダットサン1号やら、
ボンネットバスの大行列や、
ペーパークラフトとトミカの融合やら。じっくり見たかった!!! 息子にぐいぐいと引っ張られて、写真に写せたのはこんな感じ。ペーパークラフトのあれこれは、本当は結構な数があったのです。これはもっと写したかった!!! 年取ったらこういうのをチクチク作りながら過ごすのもいいなぁ...。
さて、展示中心の第一会場を通過し、ショップスペースと子供向けプレイスペースがある第二会場へ。チケットは第一会場を入場したハンコがないと第二会場へ入れない様子、そして両方とも一度出てしまうと再入場不可とのこと。まぁ並ぶ並ぶ。日本人行列好きねぇ。子供連れのお父さんがたもちょっと疲れ気味のお顔。一緒に頑張りましょうぜ。
結局ショップスペースで息子お目当ての初代ミゼット(イベントモデル)と、せっかくだからと現行型シボレーカマロパトカー(同じくイベントモデル)を俺用にゲットして、会場を後にした。プレイゾーンのアトラクションやトミカ自体もあれこれ欲しがらないので楽といえば楽なのだが、しかし渋い選択。
サッポロファクトリーのイベントはほとんどアトリウムなどで行われるが、ちょっと会場構成何とかならんかと思うねぇ。でも、久々に息子とお出かけできて楽しい連休の一日でしたっと。
Leyla
ド定番・ベタ!!!
・Leyla
「令和」だけに。
さて、前回の日記(といってもちょっと前だが)から明けて5/1。いつもならアイルトン・セナ没後何年(今年で25年...四半世紀!!!)というネタをやるところだが、今日はまぁ日本人ということで新元号で。
朝刊も新天皇即位や昨日の神事などについての記事が大々的に。儀式などの費用がどーの宗教色がこーのという無粋な記事があったりしてちょっとゲンナリ。なんでも費用は昭和から平成になった頃に比べて3割増だとか。それでも166億円、大幅に増加したのは国賓・来賓対応費用が41億円増の50億円...って、3割増しの原因これじゃないか!!! 国際的な立ち位置や役割を考えたらこれは仕方ないんじゃないの。
宗教色が云々の話って、じゃあ日本のアイデンティティって考えたときにそれを持ち出さないで天皇家のあれこれをどう説明するつもりなんかな。相手がローマ法王やイギリス王室だのの儀式について「宗教色ガー」とか言えんのかい。昨日の退位礼のお言葉の順番にしたって、平成天皇からお言葉を発する順番だとなにやら違憲になってしまうらしいだので安倍首相からの言葉から始まり、それにお応えする形になったとか。そこまで細かな配慮を強いたうえで、どこまで皇室の自由を制限するのか。
なんてな憤りを感じつつ。
神格化なんて俺も考えちゃいないが、日本国民としてどこか特別なものである、あって欲しいとは思うし、それ以前に皇室という枠組みであるが人間である以上、同じように感じ生きる当たり前の生活を常に衆目から見られている閉塞感を思うと、とてもじゃないがあんな発想にはならない。どうすか。
政治的主張は一切意図していない。ただ、おひとりの人間として、一つの家族として、日本人のあるべき姿=象徴として生きることを強いられてしまうなら、どうか平穏に過ごしてほしいと。ただそれだけだ。
という、ダジャレから始まった日記はこんな着地点。
馬を下りた王様
静かに時代が変わった。
・馬を下りた王様
王様じゃないけどな。タイトルはASKAから。
平成最後の日、結局腎臓結石で休んでいた分の仕事を片付けるべく出勤。いつも通りの時間に起き、少し早めに出勤していつも通りに仕事。家族はもちろん休みだから、気兼ねなく遊んで来いということでリリース。取引先も関係部署の内勤系もみんな休みのため、ほぼ自分の仕事のみに集中できた。それはいいや。
帰りの車でちょうど平成天皇の退位礼のラジオが流れていた。生前退位についてまだいろいろあるのかもしれないが、個人的にはとてもいい形であり、上皇陛下のいわゆる「終活」がきちんとなされたという意味で、高齢者のあり方としても「象徴」のお姿を示されたんじゃないかとすら思う。日本人の品格、あり様を示すのが「象徴」であるのなら、地位に固執せず争いを起こさず穏やかに後任に引き継ぐという潔い姿を体現なさった、と。
生まれた時には神格化され祭り上げられ、戦争によって存在を大きく揺らがされ、そのあとも憲法や対外的な印象を常にご配慮されながら、そして国政を動かす権限は持たれず、それでも国全体の安寧を願い様々に活動される。その生活は意外にも質素だというのは近年の皇室特集などで開かれ始めている。退位なされた後、この国が軌道に乗るまではご健在でいてほしいと願わずにはいられない。
翻って、同じ高齢者でも、選挙の票集めに血道をあげる連中や居丈高に店員を怒鳴りつける俗物こそ退場してほしいもんだ。