Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

過ちの夏

 約2週間以上止まっていた「明るい抑うつ闘病記」。前回はドクターストップが

かかっていわゆるベイルアウトしたところまで。今回はその後、大人の夏休み。

 

  2011年7月中旬、心療内科の主治医の診断により即日休職診断を受ける。

 火曜の昼間に自宅に強制送還、医師の指示は「とにかく寝なさい」。

診断書の休職期間はまず1週間。しかしまず間違いなくこの状態だと数ヶ月に

伸びるから、きっちり休むことを考えろとのこと。

 

 以前から処方されていたパキシルと、メイラックスに代わり処方された

リフレックスを服用。夜、これまで不安感でなかなか寝付けなかったのが

嘘のように眠る。

 翌日。空腹に耐えかねて起きた以外は、死んだように眠る。起きていたのは

約4時間程度。目が覚めても、後頭部がしびれる様に眠く身体を動かす指令が

上手く伝わっていない感じ。目を閉じてすぐに意識が落ちる、の繰り返し。

頭の中には、残してきた仕事のあれやこれやが浮かんで消えるが、不思議と

「なんとかしなきゃ」という気持ちは消えていた。

 

 更に翌日。リフレックスによるものだろう激しい眠気はまだ残っている

ものの、なんとか起き上がって普段通りの生活を試みる。数ヶ月まともに

見られなかったネットを見て、思い立って車を走らせずっと手を入れて

やれなかったオイル交換などしてみる。当時自分は初代フィットのMTに

乗っており、ドライブも久々だなぁと考えながら夏の札幌を走っていた。

仕事は休んでも、ある程度身体を動かして家の中で煩悶する事のないよう

意識していたのだろう。薬の副作用で身体が太るものもあるというのを

聞いていたしね。

 

 そんなこんなで1週間程経過。

 心療内科へ経過観察のために通院し、本格的に1ヶ月単位の休職診断書を

もらう。睡眠というのは偉大なもので、ベイルアウトした1週間前の状態とは

自分で分かるほどまっすぐに歩けるようになっていた。しかし、仕事に

穴を空けたという自責念慮が強いのは払拭できず、また目線も完全に

上向きには戻らず。これはまだまだかかることを覚悟。

 

 診察での主治医とのやり取り。

「○○さん、ゆっくり寝たかい?」

「ええ、薬やっぱり効くんですね」

抑うつからの回復はね、一番最初にまず脳を休ませなきゃならないから

 絶対的に寝なきゃ始まらないんですよ」

「そうなんですか」

「逆に言えば、睡眠が足りなくなって思考の整理ができなかったり体力を

 回復させることができなくなるから、うつになっていくんです」

「ああ、なるほど。色々気になって睡眠が足りなくなって、というのが

 スパイラルの様に積み重なっていくからですか」

「そうそう。ちなみに仕事の事は考えないでいられた?」

「いや、やっぱり気にはなりますね。申し訳ないという気持ちとか」

「それね、よくないんだよね。○○さんがいなくて、今会社つぶれた?

 そして、自分が持ってた仕事とか、自分でできるレベルのものだった?

 会社がそういうの配慮しなかったから、○○さんがうつになったの。

 だから、逆に『会社が悪い!!』って思うくらいで丁度いいんだよね」

「おお!!」

「よく言われるように、うつとかって真面目な人がなるんだわ。でもね、

 一回目は人よりも頑張った勲章と思うくらいでいいんだよ。二回目は

 意味が違ってきちゃうから、再発しないようにきちんと治さないと

 ならないけどね(笑)」

 

 主治医の先生は、年の頃は40代中盤。結構テンション高めの喋りで、

上の文章を見てイメージして頂けると思うが、重い話をライトに伝えて

くださる心療内科医(笑)。と言っても恐らく患者によって対応は勿論

変えているだろうし、実は日本国内の集団認知行動療法研究で有名な

先生だったりする。その話は、このシリーズが進んで行った先でもう少し。

 

 兎にも角にも、そんな感じで「診断書で堂々と治療に専念しなさい」

というお墨付きを頂いてその足で元会社からの呼び出しに応じて出頭。

ヘルプを求めた総務係長に、診断書を渡し小一時間話す。休職直後に

比べて少し元気そうに見えるけど、やはり話すときに目線が下になっている、

という話をして「数ヶ月単位になるだろうから、長けりゃ年明け春まで

かかってもいいからしっかり治しておいで」という言葉をもらう。

今まで何人もそうした社員を見てきたからこそ、そうした治療への

理解や認識があるのだろう。後日あらためて、総務課長が心療内科へ出向き

直接主治医と今後の治療方針や内容を相談し、会社側のバックアップを

検討するという話で落ち着く。

 

 自分はと言うと。

 ノートにあらためて、自分が抱えていた仕事を書き出してみる。

 ああ、こりゃ無理ってもんだ。主治医の言っていたことを思い出す。

いきなりこんな仕事の振り方したらそりゃあ潰れるさな、と苦笑し

少しだけ自分の自責念慮が軽くなるのを感じた。

 

 生きねば。

 

 抑うつになったのは不幸なことだろうか。過ちなのだろうか。

 きっと違う。34歳のこの時、俺の人生の中で起こるべくして起こり、

この先の人生を生きるために大事なことを知るための事なのだろう。

 

 それを実感する出来事は、実はもう少し先に起こるのだが、

その時はとにかく気持ちを切り替え降って湧いた「大人の夏休み」を

過ごすことにした。