Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

雲がゆくのは

 勝ち組・負け組という言葉が嫌いだ。いや。大嫌いだ。

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・5月の青い空

  仕事を終えて空を見る。18時半の青空だ。5月の最終日。少しだけ特別な日。

 空を見よう。本当は大好きなはずの5月の青い空。よく街の中で風景と一緒に青空を撮るけども、今日はどうしても真上を向いて、何もフレームに入れずただ青空だけを収めたかった。

 

 もう15年も前。

 新卒で就職した年、今日と同じ5月31日で会社を辞めた。大卒でわずか2ヶ月で会社を辞めた。理由はいろいろあるけれど、自分がそこにいる意味と、お客さんに対するサービスのあり方がどうしても折り合わず、とてつもない嫌悪感を抱いてしまった。

 

 世間からしたら、根性無し、就職氷河期の負け組と取られても仕方ない。それでも自分にとっては、そこで自分を消耗しながら生きることと、その会社に対する不信感を見て見ぬふりしながら居続けることが「勝ち組」になることとはどうしても思えなかった。その直感は正解で、自分が辞めた数ヶ月後にその会社は未曾有の危機を迎え、業績はどん底に陥るのだがそれは別の話。

 

 これまで「明るい抑うつ闘病記」として書いてきたのは、10年選手としてある程度実績を積んだ現在の会社での一時期をクローズアップしたもの。そこでベイルアウトした自分はやはり世間的に見たら「負け組」として捉えられるのかもしれない。

 

 そう、負け続けの人生なのかもしれない。

 でも、命さえ取られなければ、何度でも立ち上がる。それがダメなら別のものを見つけてやる。おみくじを何度も引くのはルール違反、なんて誰が決めた。引けるチャンスが有るなら何度でも引いてやる。

 

 例え今充実した生活をしていて、Facebookに「友達と一緒にいます」だの「○○楽しかった!!!」だの書いていても、次の瞬間に何が起こるかは誰にも分からない。自分のようにいつの間にか抑うつになっていたりして、それに対処できずにどん底に転落するかもしれない。果たしてそれが「勝ち組」「負け組」として分類できるものだろうか。

 

 俺の人生を「勝った」「負けた」でくくってくれるな。

 

 俺は俺でささやかにやってるよ。多分、普通に生きていたらわからなかった世界を見られた。五体満足でそこから戻ってきた。誰かと比較して勝ったのではない。「生きてやる」という意思が、得体のしれない何かに勝ったのだ。そして自分ももしかしたら知らずに誰かを同じくくりで振り分けていたかもしれないことに気付けたのだ。

 

 負け続けて見えるものもある。負け続けて得られる輝きもある。勝つことだけが美徳ではない。負けたことを何につなげるか、それをこそ見つめるべきだと考える。

 

 病気になる前の力は、正直戻ってこないかもしれない。今も異動した部署でルーキーのようなつまらないミスを連発して、正直落ち込んでる。夏に向かって活動的になるはずの今の季節、色々なものを思い出して更に複雑を抱えている。

 

 上を向いて歩こう。上手く泣けないから、涙はこぼれない。ただ、上を向こう。

 

 横を見ていたら、誰かに嫉妬してしまうかもしれない。

 下を見ていて誰かより上に感じて、必要とされて気分が良くても、誰もいなくなったらどうする?

 だから、上を見ていよう。少しでも上を。

 

 ...という趣旨の文章が、むかーーーーし読んだガンダム系の漫画(Seedの外伝「STARGAZER」のコミカライズ)であったなぁ。正確なのは敢えて書きませんぜ。

 


武田鉄矢 雲がゆくのは 歌詞 - YouTube

 こんな気分の時は、子供の頃に聞いた優しい曲で。

 

 今宵はこれまで。