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趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

Yaegar's Triumph

 6月に入りましたが皆様いかがお過ごしで。久々の「明るい抑うつ闘病記」本編です。今回いよいよ!!! 自転車との本格的な関わりのターニングポイントが出てきます。

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・8月の挑戦

  復職支援のデイケアに通い始めた2011年8月下旬。最初の1週間を無事に終え、土日は普通の日勤と同じように休み。8月27日、北海道マラソン前日の土曜日。朝から若干曇りのなか、朝9時過ぎにサイクリングに出かける。最初は往復で30km程度のつもりだったのだ。

 

 そう、始まりはそんなものだったのだ。

 

 思いの外順調に、8月末とは言え若干気温も上がり始めてはいたものの身体にかかる負荷も少なく当初の目的地に到着。コンビニで補給し、さて帰り道で戻ろうかと思った時。とある看板が目についた。

 

エルフィンロード入り口

 

 自動車中心で移動していた時には全く気にも留めなかったその看板が、自分を呼ぶ。

 JR千歳線に平行するように走る歩行者・自転車専用の道。ある程度舗装が綺麗でランニング・サイクリングにはもってこいの、道央圏のジョガーやサイクリストには定番の道。その存在を知ってしまったのだ。

 

 とりあえず上野幌までつながっているとは知っていた。それなら片道10km程度、なんとかなるだろう。家まで帰ったとしても昼過ぎには着く計算だ。

 

・この道を往けばどうなるものか

 引き寄せられるようにランプから合流する。時間は10時過ぎ、徐々に空が曇りから晴れ間が広がりはじめ、気温も更に上る。自動車の接近に神経質にならないでいい分、自分のペースに集中できる。とにかく負荷をかけすぎず回転を重視して。最初千歳線をまたぐ陸橋までは延々と上り坂が続く。回転。回転。

 数日前に追加したバーエンドとエルゴグリップを交互に握り、見様見真似の立ち漕ぎで登っていく。2km程の上りが終わり、気持ちのよい下りが始まる。とは言えエルフィンロードは基本上り→下りが往路も復路も続く。途中自転車の駅で水を補給し、一気に上野幌へ。30分弱で到着。ああ、見慣れたJR上野幌駅をこんなアングルで見る日が来るとは。

 

 しかしてここまで来ると、札幌中心街まであと10km程度。時間にして30分程度で到着する計算だ。ならば行くしかあるまい

 

 だが、実はこの時重大なミスを犯しているのに気付かなかった

 

・危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし

 実はエルフィンロードから白石サイクリングロードへつながる道を知らなかった。そのため、白石サイクリングロードに入らずに274号線を札幌方面に向かう、つまり一般道を通るルートに入ってしまったのだ。信号待ちやアスファルトの照り返し、更には車の排気ガスが直撃する高温のコンディション。更に、直前にシートポストを交換していたために長さが合わずポジションがずれる。

 そんな中でも、とりあえずは札幌中心街へ到着。時間は12時前、おおよそ1時間程度かかった計算になる。

 その当日は普通のジーンズにTシャツ、更にはバックパックという今では絶対やらないような格好で自転車に乗っていた。現在はジーンズでもストレッチ素材、Tシャツもドライ素材だったり、バックパックはせいぜいモノストラップの小型のもの。約2時間半程度かかって札幌に到達した頃には当然汗でジーンズは重たくなり。東急ハンズのトイレに駆け込み、こんなこともあろうかとと準備していたハーフパンツとスポーツ用シャツに着替える(そのためにバックパックを背負っていた、という本末転倒)。

 

 さて、ここまで来たならと札幌八幡宮の大鳥居に程近いサイクル小野サッポロさんを目指すことにする。時間は13時頃、気温は恐らくピークの32度程に達していた。背中が熱い。時計台の前を通過するときに信号待ちをしていたら、地元民(広義では北海道民ではあるが、札幌市民ではないため)に間違われたのかおばちゃんに道を聞かれる。

 

 俺はこの暑い中で、何をやってるんだ

 

 サイクル小野サッポロさんに到着。背中とバックパックの間の汗と熱が極限に達してきていたため、急遽TOPEAKのデタッチャブルキャリアを購入。更にスペシャライズドの指切りグローブも購入。バックパックをキャリアに載せ、付属のストラップで固定...しようとするのだが、いかんせん幅と長さがジャストフィットとは行かず数百メートルおきにずり下がる。その度に止まって直す。

 悪いことに、当時の自転車・FLAT君の様子が怪しくなってきた。BBを固定するネジ式のアウターリングが緩んで落ちる。工具が無いためフィンガータイトでだましだまし。更に先のシートポストの絡みでどうしても無理のあるポジションを続けていたために、古傷の両膝、特に右膝の痛みが出始めた。ダメ押しで、変速の不調。シフトダウンして踏み込もうとしたらいきなりギアが上がる。その瞬間想定していない負荷がやはり膝を攻撃し始める。これはやばい。

 

・踏み出せばその一歩が道となり その一足が道となる

 札幌ドームを過ぎた辺りで補給に入る。そういえばすぐ帰ると出てきたので、嫁に電話を入れる。

「いまどこ?」

「んー、札幌ドームを過ぎた辺り」

「はぁ? そんなとこまで行ってんの!? バカじゃないの?

「...バカと言われりゃ否定できんよな。」

「帰ってこれるの?」

「帰るよ、ゆっくり。ちょっと遅くなるわ。」

「とりあえず事故だけ気をつけなよ」

 

 うん、わかっちゃいる。こんな快晴の真夏日、炎天下の下なんの装備もしないでいきなり往復100km近くのサイクリングになってしまったんだ。甘んじて批判は受けよう。

 

 でも、ここまで来たら何かが自分を突き動かす。

 尻も足も膝も限界に近い。通販で買ったFLAT君は勿論街乗り用でこんな長距離を走ることは想定していない。傍から見たら本当に馬鹿な挑戦だ。いや、世間では普通に100kmとか走る人がいるんだから、挑戦にもならないかもしれない。それじゃ本当に馬鹿の所業じゃないか。

 

 子供の頃、自転車でどこまで行けるだろうと空想した。通っていた学校(JRで通う距離)に自転車で行く夢を見た。でも、ママチャリと子供の時間ではそんなところまで到達することはできなかった。

 

 休職して1ヶ月半。鈍る身体をなんとか繋ぎ止めるために始めた自転車いじり。しかし、ただ自己満足でパーツだけを変えても、それは自分の嫌いな方向性だ。使わなければ、いや性能を使い切れなければ本当に価値の無いもので終わってしまう。それは嫌だ。ならば走ろう。どこまで行けるか試そう。そうして走り始めたこの日。気がつけば、通っていた学校など優に飛び越え、家まで帰り着けば数倍の距離を走る事になる。

 

 自分の中の小さな挑戦に変わっていたのだ。その日の旅は。

 確かに「これで途中で挫折して実家の親とかに迎えに来てもらったら、恐らく一生馬鹿にされる」という考えもあった。でも、その時失われつつあった自分の自尊心を再確認したかったのだ。新しく通い始めたデイケアを、なんとかやり遂げるための自信。仕事でベイルアウトしてしまったけど、そこでなんとか踏みとどまるために、自分のベンチマークにするために。

 

 36号線の若干荒れたアスファルトから衝撃が伝わる。日は傾いたけど、それでも20度台後半の気温。回す。回す。メーターなどつけていない頃、iPhoneアプリGPS連動させて道のりを確認する。今まで経験したことのない表示。思わず笑ってしまう。家まで後20km。

 

・迷わず往けよ、往けばわかるさ

 家を出て9時間。18時過ぎに帰宅。日は間もなく沈む時間、ようやく涼しい風が吹き始めた。後数日で9月の日、秋風と言うにはまだぬるい。

 嫁はうちのアパートから程近い俺の実家に遊びに行っており、うちの親と料理を作って待っていた。アパートにFLAT君を格納し、車で向かう。誰もサライを歌ってくれるわけでもなく、ただ頭の中に一つの曲が流れていた。それがタイトルの曲。

 


ツール・ド・フランス - フジテレビ版エンディングテーマ - YouTube

 この動画を数日前に見つけて、記憶に鮮明に焼き付いてしまったのだ。

 時期的にはブエルタ・ア・エスパーニャの時期なんだけどな...。

 

 ともかく、100km走った。全くスポーツ用でもなんでもない自転車で。ロードで100kmとかなんて簡単かもしれない。しかし車体で15kg以上、6速20インチの折りたたみで。今考えると、よくやったもんだ。密かな挑戦は終わった。

 

 抑うつで少しだけ回復してきた自分を、なんとか勢い付けて加速する。そのための目的は、果たせた。今までの人生、運動など大嫌いだったが、それでもなんとか辿りつけた。

 

「もしかしていい自転車に乗ったら、もっと楽しいのだろうか?

 そんな小さな意欲がおまけでついてきた。その当時は、bd-1は「いつか欲しいなぁ」という対象だった。その「いつか」がまさか半年も先ではないというのを、当時の俺は知る由もない。

 

 結局この数日後、腰痛でデイケアを休むというオチはつくのだが、当時34歳、小さくて大きなターニングポイントを回った夏だった。きっとあの夏の、抑うつ以外に思い出せるアンチテーゼを手に入れた一日だったんだ。