Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

Jupiter

 年末年始ガンプラ祭りの続きのお話。

・Jupiter

 嫁からの「ガンプラ趣味抑えるんじゃなかったっけ?」という素朴な疑問に対して「大人として節度あるヲタクになるだけで、ガンプラを断つとは言っておりません」という我ながら屁理屈をこねた赤乃拾参でございます。

 元旦からRGエクシアを完成させてそのまま工具をしまわずに手を付けたHGUC。これでございます。

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 左からX1とX1とX1 Carbon。このネタがやりたかっただけ(笑₎。

 というわけで、HGUCクロスボーンX1でございます。数年前に発売されたMGクロスボーンX1 Ver.Kaは組み上げて自宅の押入れに眠っておりますが、いかんせんKa系はマーキングが繊細すぎて立ち姿で飾ろうにもちと抵抗が。でもカッコイイのは間違いない。そこでHGUCですよ。最近のはプロポーションも申し分なし、変にパーツも細かすぎないから却って気軽に組めるというわけで。

 RGエクシアが余りにパーツが細かすぎてポーズをつけようとしてもどこかしらが外れそうで抵抗があるのに対し、HGUCならパーツ構成もシンプルなのでグリグリ動かしてポーズを決められると。つっても飾る場所が飽和しかけてて結局立ち姿で飾ってますが

 

 休み期間中、Kindleで買ったクロスボーンガンダム・ゴーストを7巻まで一気読みしていたんだけど、これはこれで色々考えさせられる。と言うのは、現在ガンダム系の二次創作というか、商業誌で連載されている作品の半分くらいがほぼファースト前後(更にその半数くらいがジオンマンセー)の設定。裏設定や歴史の影という枕詞で何でもありになりつつあるわけで。Seedが終わった辺りからもどうもそういうのが鼻についてしまっていたので、どうしたもんかと。

 そこに来て、敢えてのクロスボーンと。作品の初出が95年頃だからもう20年も前なんだよね、これ。まだカトキハジメも今ほどメジャーじゃない頃のMSデザイン。これが今になって思う。同じ宇宙世紀物を描いていても、この作品はきちんと「未来に」向かって物語を進めているのだ。

 数年前に完結編と銘打たれた「鋼鉄の7人」編があった上で、「ゴースト」が開始されたので最初は何事かと思ったが(事実作者もそのつもりは無かったらしい)、近年ゲーム作品でクロスボーン系のリバイバルが出てきているのでその流れだろう。しかしサイドストーリーではなく、きちんと「正史」(この場合はF91からVガンダムの時代)に絡む形で物語を構築しているのはさすがと言える。繰り返すが「絵柄は万人受けしない」(笑)。だが、もしかしたら富野御大が目指す「活劇としてのガンダム」に一番近い作品かも知れない。決してスタイリッシュではないし敵側のMSもとんでもマシンに近い。でもVガンにつながる伏線として考えた時に、整合性が取れてしまっているのだ。Vガンもとんでもマシンの博覧会だ。

 シャアとアムロの時代を神話化して焼きなおしている作品が多い中、その時代から60年後の時代を描いているクロスボーン。ニュータイプやジオンの名前もチラホラ出てくるが、それは「歴史の教科書の中」のものであり、サイコミュすら「古い」技術と一蹴される。白兵戦用機動兵器に立ち返ったシンプルなMS。ごてごてした付加装備に胸焼けする気分には、これくらいあっさりした方が読みやすい。

 

 あれ、これって単に俺が年取っただけか(笑)

 とは言え、今風の絵柄でアニメ作品として見てみたいんだよな。余計な付加物をつけず、あのままで。それに耐える物語性であるのは間違いない。例えば、ニュータイプ万能論ではなく(その存在を否定していないけど)、「ニュータイプになる前に、人が人間としてできることを全てやるべき」という、多分富野御大が自分の手から離れてしまった作品に対するメッセージが散りばめられていたり。

 ガンダムという世界に対して、一つのSF作品として向き合いたいという気持ちを整理させてくれる作品として、年末年始にハマってみたというお話でしたっと。