人の息子
タイトルは昔の奥田民生の曲から。
・人の息子
立派な人達は立派な人達だ。
大成功するのは知っている。
大活躍するのを待っている。
という曲だったと思うのだが、別に自分がそういう部類の人間に入っているとは思わないし、入りたいとも思わない。
仕事の職責上、部下の評価を付けなきゃならない時期が来た。細々したことに触れることはしないが、その過程で自分の仕事であるとか向き合う姿勢を改めて自分に問う。
様々な話を端折ったとして、自分が仕事を辛いと思ったことはどれほどあるだろうなと考えてみる。営業部門に居た頃かなあ。今と同じエンドレスの仕事ではあるけども、金が直接絡む仕事はホントに苦手なんだとわかっただけ儲けモン。
仕事をある程度覚えるまでは大変だけど、ひと通り覚えたら見えなかったものが見えてきて、それがどこにつながっているのかを追っていくと、また新しいものが見えてくる。そんなことを繰り返して今も生きているわけで。
大変だと思うことを、その瞬間大変だと思っても、後で笑い話に昇華して必ず元を取る。そんな繰り返し。
上からの理不尽があっても、触れさせない速さで通りぬけ。例え倒れても、更に多くの味方がいつの間にか居てくれる。
自分が求め、近づけば、なんと世界は優しいのか。
ただ、その優しさを得ようとするなら、自分も他人に優しくなければならないと思う。そうすることが「損」だと思う内は、多分誰からも損得で付き合う関係が続く。そりゃ人間だから、自分ばっかりでは疲れてしまうだろうし、無償の好意で生きようとするならそれは悟りを開いた人だろう。でも、身近な人、手の届く、指折り数えられる程度の人になら、それに近づくことは出来るかもしれない。それが出来るようになったら、きっと通りすぎるだけの人にも笑いかけられるかもしれない。
そんな「かもしれない」があるから、今自分が生きている。
風邪で休んだ後に掃除のおっちゃんに「具合大丈夫かい?」と声をかけられる。
コンビニのおばちゃんに「子供生まれるって? 奥さんと一緒に顔だしなよ!!」と声をかけられる。
別部署の管理職に「自分よう動くなあ。俺が居るときいっつも仕事やん」と笑いかけられる。
異動前の部署の人たちに「場所あけてるんで、4月から復帰ですよね?」と引っ張ってもらえる。
何気ないこんなやりとりが、いつまで続けられるかわからない。もしかしたら、そんなことのために仕事をしている、世界とつながっている。それが見えない仕事が、自分の苦手な仕事なのかもしれない。誰もが同じとは言えないけど、その関係を長く維持できるようにしたい。人は変わっていくものだから。
この日記の「変わりゆく変わらないもの」というサブタイトル。
平井堅の「The Changing Same」というアルバムから拝借したものだが、ふとそうした原点を思い出す。なるべくであれば、人の人たる優しさを持って生きられれば。時にそれを忘れてしまったとしても、なるべく早くそれを思い出してリカバリできれば。社会的な立場でどうしてもそれが出来なくても、一個人としての自分、会社を一歩出た自分はそれを忘れないでいたい。
人の仕事・自分の仕事を見ながら、その根本にある生き方を見ながら、そんなことを考えていた。
いつか自分の子供に、それを伝えてやれればなあ。
辛いことも沢山あるけど、楽しみ方一つで世界は変わる。恐れずに出てこいよ、と。
さて、今日も仕事で戦ってきますか。