Childhood’s End
初期のTMの曲名。「さよならの準備」と迷ったが。
・Childhood's End
「子供時代の終わり」とでも訳せばいいか。
実家を建て替えるため、今月末の取り壊しまでに引っ越しの準備をしなきゃならん。不要になる大型の家具や家電を資源回収に出すため、先月から両親は片付けを開始していたが、独立した後もある程度の物を残していた俺の部屋のこまごましたものを片付ける必要があった。要る物要らない物、やたら細分化された分別など含めて、自分で判断しなきゃならん。
てなわけで2オフの初日、実家で子供時代の自分と向き合うことになる。
何度か書いたが、自分は幼稚園の頃から4つほど年上の従兄弟の影響でプラモを作ったりしていた。と言っても接着剤を使い始めたのは小学校からだが。それまでは、当時のいわゆる「ビッグワンガム」系のガムのオマケ(オマケがガム?)についてきていたプラモデルを一人で作っていたり。今思うに、そこそこ細かい部品もあってよく親も学校に上る前の子供にそんなもの与えたもんだ。
そんな子供だったことから、玩具といってもほとんどがプラモデル。なんでこんなことを書くかというと。
親が約30年以上前のそうしたプラモや玩具類を大事にとっていたから。
そう、納戸に仕舞ってあった箱から一杯に、子供の頃に遊んだ玩具が出てきたのだ。
当時の実家は家計がカツカツで、超合金の玩具(戦隊モノのロボットとか)はほとんど買えず、先述のオマケプラモで縮小版の変形合体ロボなどを自分で作って遊ぶしか無かった。それでも当時としてはよく出来たもので、オリジナルのメーカー製玩具じゃなくても十分に遊べ、想像力をかきたてるものだった。
上の写真の左側、ゾイドのウルトラザウルスや太陽の牙ダグラムも主役機・ダグラムが見えているのが分かるだろうか。これらも、本物はとても子供の小遣いでは買えるものではないし、また置き場にも困るものばかりだ。
そんな感じの物が箱一杯。茶箪笥のような(というか古い茶箪笥だが)玩具ケースごと納戸に仕舞ってあったのを、親がダンボールに移し替えたからだが、さすがに四半世紀前からのプラモデル、部品の欠損やプラ・ポリキャップ・ゴム部品の弾力性はとうに無く。少し動かしたらそこから壊れてしまいそうで触るのすらためらわれた。とは言え仕分けなければ進めない。
手に取るたび、それを作った、遊んだ記憶が溢れ出す。
10歳頃のクリスマスの朝、大きな箱で手渡してくれた1/100 Zガンダム。
地方の街の玩具屋には入荷しなくて、当時は札幌まで行かなければ買えなかったデラックス版のボトムズ・スコープドッグ。
部品はシャープさが欠けていたけど、かっこいいと思っていた食玩のガリアン。
リメイクされない沢山のトランスフォーマーのシリーズ。
もうタイヤが取れたり窓の部分がなくなっている、少し大きめのミニカー達。
泣きながら、一つ一つにありがとうと言いながら、分別していく。
小さな部屋の中でちっぽけな想像力を働かせて、ちょっとした事で壊れてしまうそれらを、そっとそっと使いながら遊んだ日々。
少しずつ、この家と、家と歩んだ時間にお別れしなきゃならないんだ。
本当はずっと、それを避けてきたんだ。
積もりに積もった埃の中で、一つ一つにありがとうを告げて。
進まない進捗に見かねた親が乱入してきて、いろんな物があっという間に区別されていった。多分、親にとっても、沢山の区切りをつけてきた数日。「たまらない気持ちになるだろ」とつぶやいていた。
次の家に持っていくもの、新しく始まるもの。全部をゼロにはきっと出来ないから、それでいいんだと思う。
自分の子供にとって、「子供時代の思い出のもの」は何になるんだろう。
そんな次への思いを巡らせれるだけ、子供ができるという今の時期で良かった。きっと一人で、夫婦だけで、実家の家族だけだったら、耐えられなかったかもしれない。それだけ、自分にとっての幼年期は大事な思い出が沢山あったんだ。
片付けの大変なところは概ね終わり。続きは次回の休みへ。
少しずつ、気持ちの整理をつけながら。