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RUNNING TO HORIZON

「明るい抑うつ闘病記」、今回は思い立ってテーマは「逃げる」の話。

・RUNNING TO HORIZON

 既に四半世紀も経ってしまった(!!)小室哲哉の曲をタイトルに、テーマは「逃げる」ということについて。

 抑うつからの回復に必要な第一段階は「とにかく睡眠」というのは何度も書いたとおり。眠くてたまらないというのは、恐らく身体や脳が睡眠を欲しているということで、まずは心の体力を回復させないと治療に入れないというのが、経験からの実感。

 

 それではその次ってなんだろう、と考えた時、自分にとっては「逃げる」ということだった。

 

 それは、単なる「逃走」ではなく「転進」や「撤退」を意味すると考えてもらいたい。よく「それは逃げだ」とか「卑怯だ」みたいな概念が語られる時があるが、抑うつからの回復を経た今ならはっきりと言える。

 

「自分を守って何が悪い」と。

 

 社会的生物として自分が生存・存在するために、取りうる選択の一つにある「逃げる(撤退)」を選ぶのが、そんなに悪いことなのかと。馬鹿正直に逃げることを否定し、限界を超えるほど戦ってきた結果の抑うつ発症であったり、時には更にひどい状態への転落なのだ。言ってしまえば「心の瀕死」の状況。そこから生きるための復帰の選択肢として「勇気ある撤退」をセレクトしただけ。

 それを「卑怯」などという非難をするなら、自分が壊れる感覚を持った上でそこから逃げずにやり通してもらおう。あなたには出来るかもしれないけど、自分はそこまでのHPは持ってない。RPGだって、勝てない・パーティーが全滅しそうなら逃げるコマンドを選ぶでしょう。それともそれを「卑怯だ」と選ばず全滅するかい? やり直しの利く仮想世界でそれを選び、やり直しの効かない現実世界でそれを選ばせない理由って何なんだろう。

 

 自分も、抑うつが限界に来てベイルアウトした時、しばらくは「戦わなくていいんだ」という気持ちと「逃げてしまった卑怯者だ」という気持ちがないまぜになって混乱していた。正直、今もたまに後者の気持ちにさいなまれる時がある。

 でもそんな時、すぐに切り替える考えが出てくる。

 そこで自分を守る選択を出来たからこそ、嫁や家族を悲しませなかったんだ。

 最後までそれを選べずに、自分を閉じてしまう人が多数なのに。

 それは、きっと「抑うつに一矢報いた」ことなんだと。

 

 抑うつになる人の傾向として、逃げるという選択肢を選ぶことにものすごい罪悪感を感じる人が多いように感じる。だからこそ自分がそこで踏ん張らなければ仕事に穴を開ける、という思考ロジックにハマり込んでしまい、結果的に抑うつを発症したり更に逃げられない(治療に専念できない)と鬱症状が進行したり自分を壊す方向に行ってしまう。

 

 でもね、そこでこういう考え方に切り替えられると実は非常に楽になる。

 

「自分一人がこの世界からいなくなっても何も変わらない」

 

 ものすごく後ろ向きな字面に見えるでしょ? でも、これって裏を返すと「自分が居なければ職場や仕事など回らない」という思考から「別に自分が居なくても誰かが代わりにやってくれる」ということなんですな。そう、企業や職場は自分がダメになっても代わりの人をそのポストに入れて企業活動を続行してしまうのだ。例えば今休職している人、自分が居なくて職場はどうなってるだろう? と考えるだろうけど、大変にはなっているかもしれないけど、仕事自体は続行されているんだわこれが。

 そこで「仕事が回っているんだったら自分は療養に専念するのが仕事」という思考に切り替えるのが第一段階。もう一つ治療を加速させる考え方ってのがあったりするのですよ。それが

 

「自分をこんな風にしやがって、会社は何もしてくれない」

 

 という怒りの感情に切り替わればなかなかです(笑)。

 や、実際には休職扱いでポストを空けておいてくれたり手当てや保障という意味で何もしてくれていないわけではないんだけど、取り返しの付かない状況になるまで手を打ってこなかったのも事実なわけで。ならば、それに義理立てすることもあるまい、と。治療するための制度があるなら、最大限使わせていただきましょう。そのための制度なんだから。そして自分がその制度で回復できたら、いずれ同じように苦しんでいる同僚や職場の人に、フィードバック出来るようになる。「転んでもただで起きない」プラスのスキルを引っさげて復帰できるというもの。

 

 復帰した後の考え方も大幅に変わる。それまでは「自分がやらなきゃ誰がやる」という鋼鉄の責任感で仕事していたかもしれないけど、こんにゃくのようなしなやかさで仕事をするようになれればしめたもの。無理なものは無理、だって発症してまたあんな状態になったら、今度こそ立ち直れないかもしれない。何より、この病気は再発率が非常に高い。長い人生の中で、仕事と自分の人生比較して、どっちが大事か考えていただければ。それでも仕事が大事、という方ならお目汚し失礼しましたっと。

 

 逃げない、というのは確かにかっこいいのかもしれない。でも、レミングの行進のようにただ前へ前へというのを出来る人・出来ない人がいる限り、それを全てに当てはめるわけには行かないと思う。人生の最終到達点が何なのかも人それぞれだけど、多分それは幸せに生きる事だと思うし、そのための選択肢やルート分岐は自分が知らないだけで無数にある。例えば変更したルートの先でやっぱり立ち向かわなければならない時があって、でもそれは自分が得意とする分野だったり、なんとか超えられそうなものだったら、その時に全力尽くしてやればいいんじゃないかな。手を抜いていると自分で感じたとしても、元々が度を越して妥協せずギリギリと仕事してたんだから、それくらいでやっと他の人の全力並みにペースを落としてるんだから。

 

 そう考えるだけで、ものすごく楽に生きられるようになったよ。

 

 ちなみにある種理想の生き方・かわし方は、パトレイバー後藤隊長かな(笑)。

 

 脈絡のない終わり方で、今回のお話はこれにてお開き。