友よ、風に抱かれて
タイトルは木根尚登さんから。
・友よ、風に抱かれて
先日、職場の唯一の女の子の寿退社の話を聞いた。
まぁそろそろ良い歳だしむしろそうした話が出てこないのが不思議な程、器量のよろしい娘さんで。で、その旦那になる人ってのが、既にうちの会社を辞めて別の会社に移った奴。仮にAとしよう。ただし、奇妙な縁なのはそのA、俺の小学校時代のクラスメイトだったりするのだよ。
会社の部署統合の時に、奇しくも同じ職場になって数年一緒に働いていたのだが、俺が外部出向になって抑うつでベイルアウトしていた頃に会社を辞めていたため、4年ぶりくらい会ってない。つってもその一緒の職場になった時だって小学校以来だから20年近くぶりだったのだが。小学校の頃からのイケメンぶりは変わらず、例えるならTOKIOの山口達也をもう少し細くした感じ。くそう。
俺と同い年のため今年39の立派なアラフォー。しかして嫁さんは現在30今年31。
...あれ、うちと同じじゃん(笑)。
まぁそんなこともあり、最初に話を聞いた時は若い嫁さんもらいやがってコノヤロー、ってな感じでやっかみ半分(俺もか!!)だったのだけども。
今日、もうすぐ臨月のうちの嫁と近所のショッピングモールに買い物に出かけた時のこと。さて売り場に向かうかねえと歩いていたら見覚えのある顔が前を横切る。咄嗟に声をかけるとやっぱりA。
A「うお、久しぶり!!!」
俺「いやいや、元気してたかい」
A「おお、あれ、そちらは嫁さん?」
俺「そうそう。それより、おめでとうな!!話し聞いたわ」
A「おお、ありがとう...というかそっちも(嫁の腹を見て)おめでとうじゃん」
俺「いやいや」
A「まぁまぁ」
なんてなやり取りで肩を叩き合ってそんじゃまた。
異変はその直後に起こる。
なんというか、じんわりと、Aが幸せになるんだなぁと思ってグッと来たのだ。
ガキの頃から知ってる奴の「その後」が幸せに続いているんだと思うと。
何故だかわからないけど、「おめでとう」の言葉が、こんなにも人を思う言葉だったのかと感じて、自分で発したはずなのに、泣きそうになった。
Aも嫁さんも知っているからこそ、そしてこの先会社を離れて交わるかわからない人生だからこそ、余計にそう思ったのかもしれない。
横で見ていたうちの嫁はというと。
「人に素直に「おめでとう」と言える人は素敵だと思う。」と。
最近、例えば子供が生まれたとか結婚したという若いのの話を聞くにつけ、本当に「おめでとう」という機会が増えた。そして不思議なことに、なんというかこちらも嬉しい気持ちになるのだ。
これはなんだ、年を取ったからなんだろうか? 善人ぶってるわけでも何でも無く、どうも自然とそういうのが浮かんでくるのさ。うーん、上手く説明できん。どうすかね、上手く伝わってますかね?
可能であるなら、自分が関わった人には幸せであって欲しい。まぁ嫌な奴はともかくとして(笑)、それは昔からそう思う。それが最近強くなってきてるというか。
人間は変わるもんだなぁ。