Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

Human System

2016年総括の話。

 今年も後1時間を切りましたな。いろんな総括はあれど、この2日でタイムカプセルを強制的に開くようないろんな思いが。年末にこうした機会が来るということも一つの巡り合わせなのかと。年の瀬に結果的に中学の同窓会になった飲み会に出たり、またその出発直前に母校の書道部がとんでもない進化を遂げていたのをとある番組で目の当たりにしたり。


 自分が居た頃の書道部は、絵に描いたような文化系の内気な連中ばかりで。ひたすら書き続けてコンクールを目標にしていたのは変わらないけど。さすがに音楽聴きながら自由に、とは行かなかったなぁ(笑)。そして今の書道部って、女子率高すぎ!!! 俺の現役時代はあんなにいなかったよ!!!
 でも、切り取りきれない程の紆余曲折があって、その時なりの悩みで押しつぶされそうになって。友達といられる時間がいつか終わると知らずに。

 あの、10代の頃の熱量はどこから来ていたんだろう。
 力の限り走って、声の限り笑って、もどかしさに少しだけ泣いて、ずっと先の未来なんてそっちのけで今を全力で生きて。

 ああ、これが年を取るってことなんだ。

 中学の連中と、10年ぶりの同窓会になった。やっぱり変わってない奴と、変わりすぎて全然わからない奴も居たけど、いまだから笑って話すことが出来る様になった。それはきっと、10代の頃には出来ないことで、大人の特権なんだろう。
 あの頃の自分達には、自分が40になって、多分そこに居なかった人と結婚して、子供が出来て、少しだけ幸せな、仕事で大変な生活になるなんて想像はきっとできなかった。目の前の受験を乗り越えさえすれば、大人になれるんだろうと漠然と考えていたように思う。あの頃の自分達には、自分が40になって、その時一緒に笑っていた友達の中に何人か二度と会えない事になるなど、想像もしていなかっただろう。

 もうそんな時代なんだ。
 枯れるには早いよ。
 意気がるにはちょっと遅すぎた。

 悲しむのではなく、その当時のコミュニティにすがるのではなく、今を生きる。

 皆がLINEをやってるらしく、ちょっとそこから距離をおいた。メールじゃ駄目なんかな。そんなにつながっていたいのかな。俺はドライなのかな。40年生きてきても、人と過度につながるのがどこか苦手なのは、何か欠落しているのだろうかな。

 ハイボールジントニックジントニック、モスコミュール、ウィスキーロック、ロック、ロック、ロック、ロック...そんなことをつらつら考えながら酒が進む。
 2次会で瞬間的にリミッターが外れて、そこから泣きが入る。幼稚園から高校まで同じ学校だった友達の前で、見せたことのない悪い酔い方。今日の自己嫌悪の原因。午前3時半に3次会お開き。次に皆に会うのはいつになるのかわからない。10年後かもしれないし。そう考えると、約束もなしに毎日顔を合わせている日々というのは、ずっと続く錯覚があるけれども決してそうではない。いつか必ず終りが来るんだ。

 でも間違いなく言えるのは、やっぱりそうした友達の中に俺は確かにいたんだろうし、不器用なりにそいつらの事を思っていただろうし、目の前の勉強や部活や生活の全てを真正面に受けてその時出来る全力を使っていただろう。

 きっと、今も芯の部分は変わっていないんだ。
 先のことを少しだけ考えるようにはなったけど、自分の目に写る人たちに笑っていて欲しい、幸せで居て欲しい事は変わっていないんだ。その人達が、当時の友達とは別の、自分の家族だったり職場の人だったりに変わっただけで、少しだけ数が増えただけ。

 不安やマイナスは振り払って、前を向け。
 純粋さは少しだけ薄れたかもしれないけど、それでも前を向け。

 退けば老いるぞ、臆せば死ぬぞ。

 若さだけじゃない、かさぶたになって剥がれ落ちない傷を年相応に持ちながら、それでも生きていくんだ。

 40歳の大晦日が暮れていく。
 皆は年越しそばを食べたら、眠い眠いと先に寝てしまった。ので、一人でこういう日記を書いている。寝室から聞こえる家族のイビキや寝息。寝ていても騒がしい我が家。それを守っていくこと・失いたくないこと・大事だということが、自分の中でこんなにも大きくなっていたのだ。

 それが、酒の席で泣きが入った正体。

 来年も、少しでもこの幸せな時間が守れますように。

 良いお年を。