Think Like Talking.

変わりゆく変わらないもの

ヘドバン発電所

 というのは筋肉少女帯の曲で。

・ヘドバン発電所

 ここ数日の報道や一部ニュースを見ながら違和感を持ったことについて。

 

 震災から2週間以上が過ぎ、自分の周りもほとんど平常の生活に戻りつつある。実際北海道で被害を受けた地域は本州でいうと本当に一部地域で、北海道「全体」が壊滅的なわけではないので。一定のスケールと冷静な視点を持つ人にとっては当たり前のことだけど、日本人の気質なのか「こんな時に北海道に行って大丈夫なのか」→余震警戒or住民感情への配慮、が過ぎるように思う。

 

 観光が産業の大きなパートを占める北海道、お客さんが来てくれなければ困るところがメニーメニー。空港の飲食店は開いてなくても、街中は普通にやってんだ。

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 実際先週、札幌の大通公園で始まったオータムフェスト2018(地震の影響で延期になっていたが)は普通にやってるし、人出も歩くのが大変なくらいの盛況。バカでかい串に焼きたて中落カルビ、おいしゅうございました。

 

 さて、冒頭の発電所の話。

 今回の震災で最も大きく取り上げられて問題視されているのが「ブラックアウト」。実際北海道全域が「すべて」停電するなんてのは完全に想定外だし、そりゃ被害にあった人たちにしちゃたまったもんじゃない。

 ただ、こうした未曾有の大災害に直面したとき、必ず出てくるのが「人災」という言葉を使って誰かを戦犯に仕立て上げること。

 

 毎回思うのだが、黙ってろや。

 普段は何もせず恩恵だけを「貪って」、その裏にあるそれを維持する人たちへの感謝など考えたこともない。第一、発電所の立地についてだって、断層を含めたリスクは計算に入れてるだろうが「ほぼ真横」で直下型の地震が起きるのをどこまで予想できるか。「それを想定するのがリスクヘッジだろう」と叫ぶのだろうが、じゃあその「来るかわからないものに対して万全の備えをするためのコスト」を日常的な「料金」として上乗せすることを承諾するのか、と言ったらどうだろう。

 

 自然を相手にして、何が起こるかわからないものへの備えはインフラ系の業界は常にしていると思う。そのうえで、「起きてしまった天災」に対して、自分の被害を横に置いて仕事に向かい続けなければならない人たちを前に、同じことが言えるのか。それはおそらく、大半の自分たちと同じように「末端の現場作業者」なのだ。

 

 発電所の規模・設置場所・運用についてもトンチキなニュースがあったな。

 大規模発電所をなぜあそこに置いただの、全体をカバーする云々だの、原発動かせだのなんだの。

 火力発電所なんだから燃料を補充するにはタンカーが入れる海岸沿いの大規模な港が必要だろうが。石狩平野、札幌近郊から小樽・室蘭方面までカバーするとしたらあれだけの規模の発電所じゃなければ足りなくないか? 北海道の道央圏以外の人口密度を考えろよ。地方の拠点都市近郊に小規模の発電所をおいてるのは、オーバースペックのものをいくつも設置したらその分コスト=電気料金に跳ね返ってくるからだろ。原発? 今回の地震で泊が文字通り止まってたからメルトダウンだの冷却だのの対応を最小限で抑えられたんじゃないのかい。

 

 地震だ台風だの自然災害は誰にも止められない。

 どうしても「人災」という言葉を使いたいのなら、それは備えをしていなかった自分たちに向けてであり、その災害から次につなげる行動を起こすのが本来だろう。誰かの責任になることを掘り起こして攻撃する暇があったら、備蓄用の水でも準備しとけ。

 

 報道が沈静化してきた今もなお、インフラ系の人たちや現地の人たちは戦ってるんだ。自分にできることは、少しでも平時の生活に戻って経済を回して、みんなに利益が回るようにすることかもしれん。

 

 北海道へおいでませ。今なら各観光地、ものすごくゆっくり見れますぜ。敢えて語弊のある言い方をすれば、外国人観光客が一気に逃げてしまったのである意味古き良き北海道の観光を楽しめるよ、と。

 

 なんて書いている今この瞬間、余震(震度1か2だな)が来ましたが(笑)。