Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

killer tune killes me

 時事ネタで思うところ一つ。

 

 芸能人の不倫云々の話で連日盛り上がる日本。テレビをつければ新型ウィルスの影響だのマスクがないだのの話題かこの不倫の話。暇な国だな。

 ワイドショーだの芸能人のSNSだのであれやこれや論議が巻き起こってるけど、気づいているか。それはすべて「他人事」だ。もちろんいつかは自分に降りかかることかもしれない。何かの気の迷いで誰かを悲しませる話かもしれない。でも、芸能人だのの話は結局は「自分がほとんどかかわりのない人間の生活」の中で起きたことだ。

 

「あいつはああだ」「前からこうだった」「実は...」「裏の顔は」「かわいいふりしてあの子割とやるもんだねと」

 

 基本的に業界にでもいない限り、テレビやメディアで話題になる人たちと我々市井の人間は接点などない。当然人間性などは伝え聞く出どころのわからない情報と、メディアで露出している切り取られた時間だけで勝手に印象付けているに過ぎない。

 ゆえに、どんなにセンセーショナルな見出しが躍っていようと基本は「ふーん、好きねぇ」で終わらせるようにしている。大体毎日接する地域や仕事の相手ですら、自分たちは本当の姿なんてわかりゃしないのだ。それを面白おかしく脚色したメディアをもとに踊らされるなど、時間の無駄でしかない。

 

 もっと理解できないのは、自分に全く被害がない、まったく面識のない相手を匿名で責め立てるという精神構造。いわゆるバッシング。これが一般の人にも向くから最近の世界は恐ろしい。

 

 正義、なんて言葉が何を意味するのか、自分はあまり信じられなくなっている。それぞれがそれぞれ自分が「妄執する」正義を語るからこそ、不要な争いも攻撃も起きるのではないか、とすら思う。もちろん、プリミティブな善悪は存在するし、人としてやっちゃいけないことは厳然としてあっていい。それを忌避するように次の世代に教育するのも人の仕事だ。

 でも、例えば何も全容のわからない事象を全く関わりのない人間が裁く権利などありはしないのだ。

 

「正義」なんてのは、結局その人間が心で勝手に決めた物差しに過ぎず、それを相手に強制しようとするから諍いが起きる。

 

 翻って不倫の話。

 惚れた腫れたの話は楽しいんだろうが、今回でいえば不倫された奥さんと子供がそのニュースに触れたとしてその心の影響は誰が責任を取るのだい。そこにこそ善悪を働かせないとならなければと思うのだが。誰が悪い、は誘った男。乗った女。ただそれだけだ。そこにどんな行為があった、どんな匂わせがあったなんてのはいらん。じゃあどうやって償う、子供にどう向き合う、が本当に必要なことじゃないか。しかもそれは「関係のない国民」がすべきではなく、「当事者」だけにかかわりのある話だ。

 

 目の離れた業界人が「でも面白いからなり立つんでしょ」というテレビ屋の理論で日曜朝から口角泡を飛ばし、少しでも事件に関連しそうなフレーズを見つければたとえそれが数年前の全く関係のないインタビューの話でも「擁護か!!」と燃料にする。

 

 そうしてこの国は衰退していくのね。

 

 マイナスの話ばかり探すより、プラスのものを探しに行くさ。


KIRINJI - killer tune kills me feat. YonYon

 

 このMVも静かに注目されてしまったなぁ...。普通の子が踊ってるだけなんだが。これでキレキレのダンスだったりしたら興ざめ(笑)。