Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

君をつれて

 前回のこどもの日の日記で完成させたLEGOポルシェ911 RSR。そういえばこどもの日、俺も親父にでかいもの買ってもらったなぁなんて記憶がよみがえり。おりしもいろいろのやり取りで息子もその「でかいもの」の存在を知り、見たい見たいとせがんできた。

 というわけで、俺が子供の頃に親父に買ってもらった「でかいもの」。大人の基準で見たら今やもっとでかいものはあるんだけど、当時10歳(誕生日前だから9歳か)の小学4年生にとってはとてつもなくでかいもの。

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 タミヤのラジコン・ブーメラン4WD。ボディを乗せ換えているから見た目は違うが。もう30年以上前、まだ完成品での販売なんてやってなかったから、すべて自分で組み立て。小学校から帰ってきて、宿題もそこそこに毎日少しずつ作って1週間くらいかけてたんじゃないだろうか。

 当時のこどもの日、近所のホビーショップに親父といって、ポーンとキットを買ってくれて。ただし、プロポもサーボもバッテリーも別売り、それをそろえるのはまだまだ数か月先。とにかくプラモデルとか組み立てるものが大好きだったので、少しレベル高めのものを与えたんだと思う。それにしたって当時でも2万円近くしてた(ホットショットは上位モデルだったので2万5千円くらいした記憶、ブーメランは廉価モデルで2万弱だったかな)キットを、10歳そこそこの子供によく与えたもんだ。

 うちの親がすごいと思ったのは、「別に興味を持てば対象年齢が上だろうがやってみればいい」とさらりと言ってのけ、その通り同世代のほかの子よりも少し先を行くものを与えてくれたこと。まぁ親が知りうる範囲のため、ゲームとかは疎かったけど(当時はファミコン黎明期)、それでも当時の昭和の子供としてはいいものを与えてもらった。

 

 ラジコンの話に戻る。

 これはこれで、いろいろあったのだ。小学校の仲のいい友達の中でラジコンブームが一気に火が付き、その火付け役になったとか。組み立てが難しい、という子の手伝いでみんなで遊びに行ったとか。当時札幌駅隣のESTAにそごうが入っていて、年に1回タミヤモデラーズギャラリーが開催されててそこで見たこともないパーツを一つだけ買ったりとか。

 

 クラスの問題児に盗まれたとか。

 

 いろいろあってちゃんと手元には戻ってきたけど、こうしたものは手に入れられる人・そうでない人がいて、必ずしも良心だけの世界ではないと教えてくれたのもこのラジコンだった。悲しいことだが。

 今はもっと家庭が複雑だったりするんだろうし、俺が子供の頃には思いもつかなかったような地雷があったりするのだろう。

 子供の可能性を広げるための「与えるもの」、でもその与えたもの単体でなく「伝えるべきもの」も考えないとならないな、と思うようになっている。なんでも欲しがるものが与えられるわけではない不自由さ、否が応でもほかの家庭と比較される・妬みや嫉みの中に巻き込まれる理不尽。そんな中でうまくトラブルを回避したり、誰かとぶつかったり、仲直りしたり。それを息子に教えるときに、自分の経験と考えたことをどう伝えていくか。

 

 2台並んだ「こどもの日の贈り物」を眺めて、無邪気に喜ぶ息子とちょっと複雑な気持ちの俺。次々に新しいものが生み出され手に入れ忘れていくことのサイクル。でも、そのものを手に入れるために、星にまで願っていたことや、確かにそれしか目に入らないほど執着して遊んだ日々。そうしたものを大事にする気持ちを、忘れないでほしいなあと。

 

 おりしも「トイ・ストーリー3」を地上波で見てしまったもんだから(笑)。

 まぁ4歳にそれを言ってもまだ難しいか。ただ今は「大事にして楽しんでくれよ」だけでもいいか。