Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

何んて優しい時代

 昨日はよんどころない事情により休みを取り。数日遅れで雑誌などが入荷する関係上、昨日手に入れたこれ。

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 最近5歳の息子がボトムズなどの80年代サンライズロボットにはまっているという話題はここで書いての通り。これは息子が喜ぶかなと買って帰る。

 とはいえミリタリーテイストの高い世界観、そして兵士がパタパタと死んでいく血生臭い展開。情操教育にいいのか?という声も出そうだが、それは教え方一つなんじゃないかと思う。

 

 奇しくも今日は終戦記念日。戦争を子供たちにどう教えていくか。

 

 実際、今のメディアではより凄惨に・残酷にという描写が目立つ気がする。それは別に戦争ものに限らない。日常・SF限らず、より過激な表現を求めているのか、そういう作品でなければ話題にされず売れないからなのか。見ている俺としては気分が悪くなることしきり。そういう渦に息子の世代がこれから字を読めるようになり接するようになったとき、どう説明すべきか。

 

 身近な痛みから、大事な人たちの苦しみを想像させる。大量殺人兵器など、絶対に使われてはならない。アニメ・創作の中の表現と、もし現実でそんなことが起こったらという想像力。出てくるキャラクターに感情移入し、その痛みを想像させることくらいしかできんけどな。

 それでもある程度の効果はあるようで、兵器というものの本質的な恐怖は少しずつ理解し始めている模様。

 

 難しいのは、善悪すなわち「正義」とは何か、を教えること。それぞれの言い分・正義がありそれがぶつかるからこその争いが存在し。それは日本の中にいる限りは基本的に自分たちの日常の中の善悪が中心になってくる。しかし世界には、それが自分の生存だったり国の存亡だったりがかかってくるからこそ、「戦争」が起こりうる。それをどう説明したらいいのか。

 

「これはいい奴なの? 悪い奴なの?」

 

 答えに窮する。70年代くらいの話なら単純な勧善懲悪で済む。しかし80年代、もっと言えばガンダム辺りを境にそうした二元論では通用しない、より現実的な背景が織り込まれることになる。ガンダムなら連邦の秩序(腐敗はあるが)とそこからの独立を目指すジオンの正義(コロニー落としは最悪手だと思うが)、戦争という手段を行使するが、それぞれに言い分があり単純な善悪ではくくれない。

 ボトムズに戻れば、二大勢力が100年続く戦争を起こし、端的に言えばそれを仕組んだ「神」(実際には古代文明のコンピュータに宿る意識体、みたいなもんか)がいて、それに翻弄される末端の人間たちという感じか。

 ただしそんな説明はまだまだ子供には難しいので、こう答えるようにしている。

 

「〇〇(息子)は、何をする奴が悪い奴と思う?」

「うーん、人を困らせるような悪いことをする人?」

 

 質問を質問で返すのはどうか、とも思うが、単純に俺の考える「いい奴・悪い奴」が果たして正しいのか。それは息子にとっての価値観上も一致するのか。別の視点を持つことができるのか。きっとこれからの世の中は、単純な・一面的な正義だけで力を振りかざすことはとても危うい世界になっていく気がする。だからこそ、自分が正しいと思ったことも、何をベースに判断して「正義」としているのか。そのための考える力を持たせなければならないと思うのさ。

 

 ミリタリーモデルもガンプラも、造形美やロマンというものに惹かれて数々の作品が作られているだろうし、それを作ったから戦争賛美だなんてトンチキなことを言うつもりも毛頭ない。

 日本に住む我々の大半は、幸いにして本物の「戦争」を体験したことがない世代となった。プラモとしてそれらの立体物を作り上げる際、ウェザリングをはじめとした「リアル」な表現を目指すこともあるが、そのリアルはあくまで「こういう動きをしたらこういう汚れが付くだろう・こういう傷がつくだろう」という想像力によるものが基本だ。架空兵器ならなおさらだ。それでいいと思う。

 兵器のリアル(演習ではなく、実戦という意味)を身近で体験するなんて、なきゃないほうが絶対にいい。過去の教訓として残る「残骸」から学ぶ表現もあるだろう。願わくば、そうした造形物を作るときに今日だけでも、二度と日本がそうした戦争に参加しないで済むため、市井の一人間として思いをとどめる手段にしたいなぁ、なんて思うのさ。

 

 すごいスケールの話になるが、要は「戦争なんて下らねえぜ、プラモを作れ!!!」ってことでいいんじゃないでしょうか。

 

 ちなみに冒頭のHJメカニクス、ATを使ったレースという架空の設定の作例があった。CAMELカラーのスコープドッグRED BULLカラーのファッティー。搭乗者が中嶋悟マックス・フェルスタッペンをもじっている辺り、ニヤッと笑ってしまったが、こういうのも模型の楽しみ。誰も死なないなら、それに越したことはないのさ。

 


水谷豊 何んて優しい時代(2008年4月)