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趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

月の繭

富野由悠季の世界」を観覧(鑑賞)した話。

 道立近代美術館で開催中の「富野由悠季の世界」を観てきて思うことを長文で。

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 何を思ったか、北大植物園の場所を会場である近代美術館と思い込み、その周辺に駐車してさあ出発。前夜の雪が残る歩道に足を取られながら進むが...着かない。アレっと思いGoogleマップを開くと、随分遠い。しまった...しかし先週特定保健指導を受けて少しでも歩数を稼ぐための神の啓示と思い直し、歩く。

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着かない。

 北一条通りをひたすら西に。GO West。着かない。そりゃそうだ、地下鉄で2駅分。ドライ路面ならなんてことはないのだが、除雪の入っていない歩道は足を取られまくる。約20分ほど歩いてようやく到着したのがトップの画像というわけで。

 会場は大混雑というわけでもないが、ほどほどの人出。年配の男性・女性、明らかにオタク系とわかるような風貌の男たち、意外にも親子連れなど、世代も分散していた。

 

 展示物は、幼少期の御大の作文や影響を受けた様々な要素(父君の仕事やそれに伴う知識、SFに対する知見、学生時代の絵など)に始まり、虫プロ参加後の駆け出し期、メインで演出を行い始めた「海のトリトン」「勇者ライディーン」「ザンボット3」に続いていく。ライディーンが自分の生まれる前の作品だと初めて知る。俺が覚えているのは再放送だったってことだな。

 いよいよ初代ガンダムのコーナーから。ガンダムエース誌などでも見たことがある「ガンボーイ」の企画書の現物や、モビルスーツのラフ、登場人物の相関図など、本物の資料が並ぶ。商業作品を作るということの大変さ、それも40年も前に企画されていたものだと思うと、確かにこれだけの設定を下敷きに作り上げたのは画期的なものだったと偲ばれる。

 そこからは「伝説巨人イデオン」。「皆殺しの富野」の異名を得るきっかけになった作品だと思っていたが、確かにテレビ版のラストは両方の陣営が「滅亡した」と取れる終わり方。しかし劇場版のラストシーンを解説とともに見れば「輪廻転生」によるつながりが見えてくる。

 80年代ゾーンに入り、「ザブングル」「ダンバイン」「エルガイム」へと続く。「イデオン」から打って変わった快活な活劇、その後も続くバイストンウェルの物語、別の作家に引き継いだペンタゴナワールド。そこから「Zガンダム」「ZZガンダム」へと引き戻され、「逆シャア」「F91」の劇場版に取り掛かり、90年代に「Vガンダム」へ。

 そこからガンダムを手掛けることは少なくなっていく。実質的には「ターンエー」と「Gレコ」になるのだろう。途中で「新訳Z」か。「ブレンパワード」や「キングゲイナー」、「リーンの翼」はさすがにすべてを追えていない。今回ほぼ初めて内容を知ったくらい(リーンの翼はガンAで連載していたが)。ラストは「Gレコ」の設定資料などで終わる。

 

 昭和の後半、テレビが一般の娯楽として定着しつつある時代に、しかし「テレビの漫画」と言われ「子供の見るもの」としか認知されていなかった「アニメ」を映画的な表現作品に昇華させた御大。もちろん彼一人だけではなく、時代の必然というか様々な出会いの中でのことなんだけど、この展覧会で御大の伝えようとしているものの「軸」のようなものを何となく感じた気がする。

 

 それは、「人が生きること」と「その過程で味わわなければならない痛み」、「それを乗り越えた先に何を感じ生きるべきか」という問いかけなんじゃないかと。戦後日本の中で、失われかけている家族とのつながり、その家族もただ幸せのかたちだけでなく割り切れないものがある。戦争の善悪、人類の増加と過ち、それでもなお次世代へ託すべき我々世代の希望といったもの。それらがない交ぜになって、「アニメ」という媒体をして伝えようとするからこそ、ただ甘いだけではない、時に劇物の激しさを持った言葉=富野節が人の心に血を流さんばかりの爪痕を残そうとする。

 

 「大人」と呼ばれる我々世代が、本当は過ちに気づき、贖罪し、それを繰り返させないために次世代へ伝えるべきなのだ。そしてその次世代が育っていくために、いつまでも揺り籠の中で閉じこもるのではなく、自らの手で痛みを、人の心の温もりを感じて、人が人として生きるために大切なものは何か、自分で考え得た答えを以て更に次の世代へつないでいく...。

 そのメッセージは、まさしくシャアが叫んだ熱情であり、アムロが信じた人の心の光であり、イデの力が成しえた輪廻の先であるのだろう。そして今の閉塞した世界すら、人は乗り越えて活力を捨てることなく生きていけると願ったのが「Gレコ」なのかもしれない。

 それを感じた時、我々世代のなんと幼いことかと恥じ入ることになる。「ガンダム」というコンテンツの殻に閉じこもり、一年戦争の二次創作を再三続け、しかし御大が伝えようとしたメッセージを何とか解釈して伝播させようという試みはどれだけあるのか。それは自分にも向けるべき批判であり、子を持つ親として猛省した。

 

 40年だぞ、40年。初代ガンダムを神格化して今なおプラモだので40年前のキャラクターを焼き直して、それをありがたがっているのだ。宇宙世紀史が一部の人間の間で現実の世界史と並ばんとするほどの広がりを見せているが、それを超えようという作品が40年現れていない。実際にはあるのかもしれないが、商業主義か個人の偏執が強すぎたのか、後の世代にまでつながるほどの作品が数えるほどしか残っていないのだ。

 今の40代から50代以上が経済力を持ち、大人向けとされる高額なアイテムをバカスカ買えるからこそ、そこをターゲットに手を変え品を変え繰り返されるエコシステム。そこに今の子供たちに対して真剣に向き合い、2020年代から先を生きるためのメッセージはあるのか?

 まさに6歳の息子が見ているアニメですら、我々世代に向けたオマージュやネタが仕込まれていて、純粋に子供たちがそのまま見て何等かのメッセージを受け止めているのかと疑問になる。このままでいいのか...? 子育てしていて切実に思うが、子供は大人の本気を見抜くし、真摯に伝えなければ伝わらないのは大人と変わりないんだぞ。

 

 グルグルと考えながら、物販コーナーへ。

 会場限定ガンプラが、とりあえず転売屋の餌食にならず常識的な数積まれているのを見て、まぁ美術館でまでそんな奴らが現れたらいよいよ日本はダメだと思うところ、まだ捨てたもんじゃないなと。

 ここまで考えた後で、でも物販でガンプラってのもなあ...と何気なく手に取り箱のサイドを見た。そこに書かれていた御大の言葉を見て、苦笑い。

 

「カッコいいよね!! この時代の究極かと思えたF91!!

 この物語で化けさせきれなかった無念さがある。」

 

 やっぱり御大はすげえな。悔しかっただろうな。「ガンダムトミノ」がずっとついて回る。F91は商業的にもそれほどじゃなかったと言われている。TVシリーズ化を断念した作品だ。しかし公開から30年経った今、ボックス横に印刷された「カッコいいよね!!」というこの一行で、過去は過去として飲み込み、関わったであろう様々な人の呪縛を解いてしまう。こんな80歳に、我々はいつか追いつけるだろうか。

 結局、買ったよ。F91、好きだもん。ラストシーン手前で毎回泣くほど。

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会場限定 MG F91 Ver2.0 オリジナルプラン

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ああ買ったさ。カレーもな!!

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ダイターーーーン カムヒアァァァァ!!! 放映当時2歳だが。

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対象が中央に来ていないのは、左側に空気を読めないオタクが居座っており見切れるのを避けるためです。

 ともかくも、美術館・展覧会でここまで時間をかけて観て・考えたのは45年間で初めてだったというお話。でした。