趣味のアレコレを考えたことをツラツラ。
前回のエントリで「いつまでも子供の頃のままの趣味の世界の重力に引かれていていいのか」という葛藤の末、結局はガンプラ買って帰った話を書いた。
三つ子の魂百式というのはよく言ったもんで、幼稚園くらいからプラモを触っていた昭和生まれにとって、ガンプラに限らず「プラモなら何でもいいじゃん」と開き直ることにした。ただし。
・プレミア価格で買わない。(転売屋に死を)
・時間がかかっても、極力作る。(積んで満足しない)
・並んで買うときに中学生以下の子供がいたらそっちに回す。
(新しい時代を作るのは、老人ではない!)
・楽しむなら全力で。(人と比べて勝手にへこまない)
という家中法度を自分の中で決めるに至る。
実は11月にTwitterを始めた。MSアンサンブルの担当さんのアカウントをフォローして情報を取りやすくする、というROMに近い使い方だが、たまに自分の作ったのをアップしたりはしている。ほかのモデラーさんの作品を観たりとか、いろんな発想をもらったりとか。まぁズブズブにハマるのは時間がないしそこまでじゃないんだが。
ただ、やっぱり上手い人や発想を見ると、自分の作品、というにはおこがましいブツをアップするのが気恥ずかしくなる瞬間がかなりある。別にコンテストに出すとかいいねやリツイートをたくさんもらいたいとか、フォロワー数を競ったりとかする気もないので全く問題ないのだが、ねえ。
翻ってこのブログ。今年に入ってからガンプラ部や模型部のグループを登録し、ちょっとだけアクセスが増えた。増えりゃ嬉しいもので、ちょっとしたことでも日記を上げるようになる。また読者の方もちょっと増えた。増えりゃ楽しいので、ささやかにそうした人たちの作品にもスターを付けに行く。これくらいの緩さでちょうどいい。模型系の方々はちゃんと日記も更新されているため、張り合いもあるというか。そりゃもちろんきちんと作品を仕上げている方々なので、いろいろ参考にさせてもらっておりますよっと。
そんな刺激をもらいながら、40代も中盤で模型の新たな楽しみを噛み締めている次第。収納場所に困ることも多々あれど、老眼の進行に逆行するように小さなモデルの筆塗りが楽しくて仕方ない。
難しいことは抜きにして、目の前の対象に集中するマインドフルネス。
それを俯瞰したとき、その対象を通じて何を考え、何を子供に伝えるべきか。
とても興味深い記事をnippperにて見つけて、そうだ、俺はこのことに違和感を感じていたんだと得心した次第。
最近のアニメを含む作品を見るにつけ、どんどんと残酷・残虐描写がひどくなっているように感じる。ガンダム系でも、そもそもコロニー落としなんて大量虐殺からスタートして、SEEDのサイクロプスやジェネシス、レクイエムなど大量破壊兵器の規模がドンドコ大きくなってきている。ドラマ・フィクションとはいえ、ふと現実に返ったときに「そうした兵器が現実にない(であろう)」ことと「それらの射線上に自分たちがいない」ことに安堵する。そう、キャラクターものの大半はそうした「誰かを傷つけ殺すためのもの」である。そこに至ったとき、子供にどう説明すべきかという命題にぶち当たった。
詳細は省くが、一頃息子がGP-02=サイサリスに興味を持ったことがある。GP-02といえばアトミックバズーカ。人類がすでに手にしている「核の火」である。フィクションの世界と、現実の世界。それらが使ってはならない理由、使われない世界にしなければならない理由、そして子供たちの世代にその世界を残してやらなければならないこと。風呂の中でのぼせそうになる程、息子と話をした。
ガンダムは史実ではない。だが、伝えるべき話の媒介として、フィクションが現実になったらというifを通じて次の世代に教えるには、身近でいいと思っている。それこそが富野御大の目指したものかもしれない。フィクションで済ませておけばいいものを、わざわざ現実の兵器にしてしまうやつらもいる時代だ。それが技術の進歩につながっていくのは事実ではあるが、技術を正しい方向へ使うのか、破滅の方向へ使うのか、常に問いかけることを伝えなければならない。
なーんて小難しいことを考えてしまう。
武装もりもりのプラモを作らないのは、実はそんな場所にいるから。そりゃ活劇の中でかっこええなあと思うものは単純に楽しんではいる。アホな話だが、フィクションの世界の中の「リアル」を考えたときに「この兵装は運用難しくね?」とか「携行できねぇだろコレ」とか、そんなことを思い始めてどんどんシンプルなメカに惹かれ始める。F91やレッドフレームの素体、ZプラスもC1が好きなのはそのため。ガンダム以外ではそれこそ「なっちん」やトップのアモデウス、ボトムズを遅ればせながら見直したり。マクロス系も爆装なしのシンプルな姿に惹かれ始める。
グルグルグル。
いいや、楽しいと思えばそれでいい。カッコいいと思えばそれでいい。楽しむことを小難しく考えるのは悪い癖だ。
そんなことはどうでもいいさ。
こんな曲です。「そんなことはどうでもいいさ」。