Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

小さな風景

2022新年一発目

 あけましておめでとうございます。今年も駄文プロセッサにお付き合いくだされば。

 元旦の道央地方はいきなりの超大荒れ。我が家も例外ではなく朝から除雪でスタート。テレ東系の「孤独のグルメ」ぶち抜き一挙放送の潔さに感じ入りながら、一仕事終えて昼過ぎに妹一家が正月恒例の挨拶で来訪。この日のためにふるさと納税で入手していたおせちを持ってきた。妹サンクス。

 昼からの宴、除雪疲れの俺と親父、飲み疲れの義弟と順番に昼寝。目覚めてまだ14時過ぎ、お年玉をもらって店を見に行きたい息子と甥っ子sが何かを訴えかけてくる。よし、じゃあ行くか初売り。

 吹雪も収まり、車もまばらな元旦の街。男4人で出発。子供らのリクエストに応えてブックオフ(トレカの中古目当て)→イオンモール(ゲーセン・ガチャなど)と、妹夫妻が連れて行かないルートでグレートジャーニー。太鼓の達人・鬼レベルを叩きまくるどんぐり一号=上の甥っ子、それを見つめるどんぐり二号=下の甥っ子+どんぐり三号=うちの息子。そのあとは三人仲良くセブンティーンアイスを頬張る。中学・小学・幼稚園の3人が、一つの兄弟のように並ぶ姿。

 

 ああ、俺も従兄s(双子)に連れられてこんな風に遊んだな。

 

 それを見る大人たちが幸せそうな顔をしていた気持ちは、こんなだったのかな。

 

 お年玉の使い道は、どんぐり一号=ゲームのプリカ、二号=中古のトレカ1枚、三号=いいガチャがなくて貯金、という三者三様。時代と共に今の子供はこういう考えなのか、と行き帰りの車中の会話でひとしきり考えさせられる。

 

 ゲーム一つとっても、一本のソフトをやっとお年玉で買っていた俺たちの世代と、課金アイテムのためにプリカを買う甥っ子の世代ではおそらく価値観は違う。さらに上の俺たちの親世代からしてみたら「ゲーム」というひとくくり、でもそこから得られる経験・体験の質も確実に変化している。

 所詮はデータなのだ。ガチャだのコンプだの言っても、運営が金を出させるためのデータのバリエーションであり、収集欲求の刺激でしかない。でも、それがハマったゲームであるか、俺たちがバンダイの手の上で新作ガンプラに一喜一憂するかの違いで、どれほど違うといえるのか。そしてそんな大人が、子供たちに何を説いてやれるのか。実体・生身の体験を知ったうえでその世界に触れるべきであるとどう伝えられるのか。

 自分の息子がそういうものに興味を持ち始めた時、どの程度寄り添ってどの程度軌道修正してやれるか。甥っ子たちにも全力で、息子と分け隔てないように接する中でいつも考える。

 

 なーんて考えながら、2022年元旦終了。今年もよろしくお願いします。