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趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

遅れてきた夏休み

 10日ぶりくらいの「明るい抑うつ闘病記」。前回はベイルアウト直後の1週間まで。今回は「大人の夏休み」から動き出すまでのお話。

 

 ドクターストップから約2週間。世間の子供たちが夏休みに入る頃、順調に「大人の夏休み」を満喫することになる。

 ずっと作れなかったガンプラに手を付けたり、買いに行く気力が起きなかった夏用のスニーカーを買ったり、自宅にしまっていた折りたたみ自転車を引っ張り出してきていじったり、大掛かりに部屋の掃除をしたり。

 

 ベイルアウトするまで、何一つ手を付けられなかった。休みの日に手を付けようと思っても、「休みの残り時間」をカウントダウンして、気がついたら何もできない日が続いていた。抑うつ・うつの症状の一つとして欲求の希薄化というのもあるらしい。やる気という言い方が一般的かも知れないが、どちらかと言うと好きな事をする意欲、という方がより近いかもしれない。仕事のような義務的なものへ対するやる気よりも、好きなことへ向かう方が人間は意欲がわくはずが、それが発生しない。

 だから、抑うつ・うつの判定の一つにそうした「好きなことをやる気が起きない」という物が項目として言われるのはそのせい。体力や精神力が消耗していると、好きなことすら実行できず更にスパイラルが加速してくというわけで。

 

 で、時間軸を戻すと、ベイルアウトして体と心のオーバーホールが進んできて、錆び付いていた心の意欲が復活してきたという状態。気をつけていたのは、その反動が行き過ぎてしまうかもしれないというところ。俗にいう「躁鬱」の「躁」になっていないか、というところだった。それまでの落ち込み方が自分の中で病気がそうさせていた、という認識で理解していたため、逆に元気になった自分も病気が完治していない以上、その影響ではないかと恐れていたのだ。結果的にそれは杞憂で済んだが。

 

 一つ一つ、確かめながら自分の心と身体を元に戻していく。前は当たり前にしていたはずのことが、どれも遠い昔のことのように感じていた。

 わずか4ヶ月程度の話なのに、その間のことがすっぽりと抜けている。このブログでここまで書いていた闘病記は印象的な出来事や、別のSNSで記録していた備忘録から取り出していた為ある程度詳細だが、それ以外の生活については今も殆ど思い出せない。色彩がない、と言うのは以前にも書いたが、思い出せるのは足取り重い通勤経路と事務所の重い時間、休みの時間のどうしようもない不安感。壊れていく自分を心配する家族とのやり取り。

 それ以外の休日に何かした思い出や、関わった仕事上の人の記憶が抜けている。

 

 主治医いわく、一時的に軽度の記憶障害が発生した可能性もあるとのこと。幸いトラウマとして思い出すのに苦痛を伴う程ではないにしろ、普段なら色々と思い出せるものへの反応が悪くなっているのも、脳の働きが落ちている関係がありそうだと。

 これに付いては、まあ年もあるのかなと2014年現在楽観的に考えている。何故かと言うと、実際にかなりの記憶や人名を忘れているけれども、それまで積極的に関わっていた部署から離れれば当然のことで、元の部署に戻った現在少しずつ思い出してきているからだ。

 

 休日に好きなことをする。ストレス解消の方法として言われているが、それは実際には「元気な人、まだ何とか追い詰められていないうちなら有効な手段」と今なら言える。本当に精神的に追い詰められていたら、何をしても気など晴れない。

 だから、今自分の周りでそうしたストレスなどで精神的に追い詰められている人に対して「好きなことしろよ」なんて簡単には言えない。とにかく、時間を無駄にしているなんて思わずに身体を休めなよ、と言う。

 

 2011年7月下旬。手を付けられなかったガンプラを作っている姿を見て、嫁が泣いていた。

「拾参がガンプラ作ってる...」

 あ、嫁は仕事なのにごめん、と答えるとこんな返事がかえってきた。

 

「休職前、なんとか気持ちを上げようとしてプラモの箱を開けてても、いつものように元気がなかった。結局頭だけ作って『いつでも作れるさ』と作業机の上に置いてたけど、ずっと向き合えなさそうで、置きっぱなしの部品を見るたびに切なくなった。その姿を見てたら、拾参が辛そうで...。」

 

 しばらく、何をするにしてもそうして泣かれた記憶がある(笑)。「ガンプラ作ってる」から始まり、「DVD見てる」とか「車洗ってる」とか。休みに本当に何もできず横になって震えているだけしかできなかったからなぁ...。

 

 休職から1ヶ月経った8月中旬。

 発症した出向先に置きっぱなしにしていた荷物を撤収することになる。職場に顔を出し、私物を回収して上司と同僚に挨拶。その間30分程度。仕事に穴を開けたお詫びの品と謝意を伝え、その後に診察が入っている為あっさりと用を済ます。

 

 こんなもんで終わっちまうんだな。あれだけ固執して心をすり減らして責任を感じたものは、自分がいなくてもこの程度で済まされるものなのだ。

 なら、こちらももう罪悪感など感じず自分の人生を元に戻させてもらおう。

 

 次に考えなければならないことが控えているのだから。

 

 次のステップ。

 それは、復帰への訓練だった。間が開けば開くほど、家から出たくなくなる。身体がきちんと機能し、治そうという意識が強い内に本格的な治療に入らなければ、本当に数年単位の治療になってしまう。

 

 遅れてきた夏休みは、もう少しだけ続く。