Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

REMEMbER ME?

 先月再放送されていた「もう一度君に、プロポーズ」を連ドラ録画

していたのだが、なかなか時間が取れずに昨日今日で一気見。夫婦や

家族の形を、ドロドロ無しにスッキリ見られるドラマでした。

 

 2012年の春ドラマ。出会って結婚して過ごした5年間の記憶を病気で

失くした妻と、もう一度夫婦になっていくというあらすじ。まぁその辺は

Wikiとかを見てもらうとして。

 

 2014年現在、自分と嫁は結婚5年目。ちょうどこのドラマの夫婦と

同じくらいの時期に来ている。ドラマと同じく子供はまだいない。

 

 たまに、夫婦のあり方であったり夫婦を続けていくこと、家族の

あり方について考えたりすることがある。

 自分はこのブログを見ても分かる通り、趣味だったり考えだったり

大人げない部分があったりする。嫁は自分より8つ下、よく支えて

くれていると感謝することしきり。

 

 最近思うのは、結婚届を出してその瞬間に夫婦になるのではなく、

本当に長い時間を掛けていつの間にか夫婦になっているんだなという事。

なんでもない瞬間に、ああ、きっとこいつがいないと人生は味気ないなぁ

なんて考えるのだ。

 

 独身の頃、今の嫁に出会うまで10年彼女がいなかった。

 一人で旅に出るのも楽しかったし、趣味の時間を邪魔されるのに

抵抗があったのも事実だ。今よりもっと子供だったわけですな。

 かと言って、今も旅に出るのは変わらないし、趣味の時間を持つのは

変わってない。

 

 ただ違うことがある。

 

 旅に出て何かを見ると、嫁に見せたくなる。一人で放浪していると、

家で嫁はなにしてるかなと思い早く帰ろうと思ってみる。

 シフトで平日のオフに一人で車に乗っていると、嫁のいない助手席が

何となく寂しい。

 二人共インドア派なので、デジ絵を描く嫁の横でガンプラを作る無言の

時間が何となく和む。

 嫁はどう思っているかわからないが、色違いのbd-1が並ぶ部屋を見ると

少し嬉しい。

 

 対面キッチンの向こうで洗い物をする嫁が、毎回何かかにか滑らせて

ゴトンと落とすたびに「ラァ!!」とビクつくのを見ながら「何やってんの(笑)」

と笑う。

 

 遅番で帰ってくると、居間のテーブルの上に夜食と付箋で一言「野菜

食べろ」と置かれている。

 

 寝室で誕生日に送った猫のぬいぐるみを抱きながら寝息をたてている

嫁を見てから、夜食を食べる。

 

 そんな日を何度も繰り返しながら、いつの間にかその景色がかけがえの

ないものになっていることに気づく。

 

 ドラマの話に戻ると、そんな記憶がどちらかから抜けてしまったら。

想像もしたくないなぁと思う。

 

 誰かとやり直すであるとか、その時間をまた重ねる手間がどうのとか、

そういうことじゃないんだろう。いいことも悪いことも含めて、一緒に

重ねてきた時間が他に替えのない物であり、その時間こそが夫婦であり

家族なんだろうと思うのだ。

 

 結婚式の誓いの言葉で、「病めるときも健やかなるときも」という

定型文があったりする。普段ならなんともなく聞いている言葉。

 うちの夫婦は、自分の抑うつや嫁の病気も含め、この5年でとても

濃密な時間を過ごしてきた気がする。もちろんもっと壮絶な人は

たくさんいるだろう。比較するものではないと思っているのでその辺は

差し引いてもらいたいが、この「病めるときも健やかなるときも」の

誓いを、なんとかかんとか二人で守れてきたんだなぁと思うのだ。

 

 正直、自分の病気は再発率が高く何年か後に再発する可能性はゼロでは無い。

嫁に至っては、回復してきているとはいえ今も苦しい時期があったりする。

 それでも、俺は嫁が甲斐甲斐しくしてくれる全ての事がありがたい。

 嫁は、俺が生きて働いている事について感謝する言葉を掛けてくれる。

 

 いつの間にか、夫婦になっているんだ。

 

 ドラマティックな運命を感じるような偶然の出会いも、燃え上がるような

激情に任せたラブシーンも無い。ただ静かに、想い合うこと。相手が

何をすれば幸せを感じるだろうかと考えること。そんな日常がいつか、

自分たちのドラマになるんだろう。

 

 まぁうちの場合はぶっちゃけオタクとオタクが結婚したようなもんで、

そこまでカッコイイものではないんですが(笑)。

 

 自分はどう頑張っても竹野内豊にゃなれないけど、可能な限り嫁の

前では「カッコイイ旦那」でいられる努力は続けたいもんです。

 


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