Think Like Talking.

変わりゆく変わらないもの

1974

 小室哲哉引退について、やっぱり書かなきゃならないだろうな。

・1974

 不倫疑惑だの文春砲だのいろいろ要素はあれど、初期のTMを聞いて育ってきた人間としては、こんな終わり方はさすがにどうだ、と思わざるを得ない。

 週刊誌の在り方だなんだ、という議論もあるだろうし、不倫についての良しあし、介護の現実など、様々な視点・切り口からいろんな意見が出る。もちろん貞淑な生き方が本来求められるはずだけど、大衆はどこかで誰かの「悪事」を暴きたい、指摘したい、引きずりおろして蔑むことで自分の安泰を確認したい、という欲望があるのかもしれん。

 

 下衆いな。

 

 前の逮捕の時もそうだけど、小室さんは生き方が下手なんじゃないだろうか。世間知らず、というか、ある意味本当に音楽の申し子で、それ以外の大部分を切り捨て隔絶することで音楽に没頭してきたんじゃないか、と思う。それが商業的なしがらみだとか、寄ってくる有象無象だとか、人並みの性欲だとか、引きずり下ろす様々な力学で翼をもがれてしまったように思ってしまうのだ。

 初期のTMで打ち込みのサウンドを日本の音楽シーンに鮮烈に取り込み、ロックとミュージカルの融合を「CAROL」で示したり、バンド自体を「リニューアル」という言葉で再構築したりと、今の音楽業界で当たり前にいろんな人たちが行っていることを多分最初にやったのはTMであり、小室さんのアイディアなんだろう。それが94年のTM第一期終了でひと段落し、プロデューサーとしてヒットを飛ばしまくった頃から、商業的に売れる方程式を確立してしまったのがおかしな話になった原因じゃないだろうか。

 当時小室プロデュースのアーティストは数えきれないくらいの人がいたし、楽曲もとんでもない数が作られて、盲目的に「小室」の名だけで売れた異常な時代。メロディの展開からリズムまで、確かに方程式にのっとって作ればほとんどが売れた。その代わり、古参のTM時代からのファンは一定数離れていった気がする。自分もその一人。

 

 今でもTMの全盛期は80年代最後の方、GetWildがマスターピースなのは疑いようがないし、それ以外にもアルバム「Gorilla」や「SelfControl」、「humansystem」の辺りは30年経った今聞いても通用すると思う。方程式は確立されつつある頃だし、いかにも小室節のメロディラインは存在する。でも、デジタルの音作りを手探りで進めて、実験的な曲もアルバムの中には収録されていたり、壮大すぎるテーマじゃなく思春期の若者が抱く葛藤を尾崎豊と対極の表現で乗り越えてみたり、なんというか「夢」があったのだ。

 

 2000年代以降、良くも悪くも「小室ファミリー」ネタが注目され、安室奈美恵華原朋美、globeやTRFなどだけが「小室哲哉の音」と紹介されることにものすごいストレスと違和感を感じるようになった。おかしいじゃん、みんながもてはやす前、確かにこの人が成し遂げてきた「日本の音楽界を革命するほどの功績」に誰も触れないなんて。売り上げ枚数や稼いだ金、スキャンダルばかりがこの人の価値じゃない。

 同じ理由で、安室奈美恵の引退ニュースの頃の違和感だってある。アムラーが大流行した頃で報道のネタが止まってるけど、むしろそこから先の方がアーティストとしての活動は長いし、熟成されたパフォーマンスが評価されたからこそ、デビュー後25年も一線を走ってこられたのに、流される曲は「Can you celebrate?」か「HERO」だ。

 

 そこに来て文春砲。

 基本、自分はゴシップ週刊誌を買うことはない。生まれてこの方お使いでも買ったことはない。誰が何をしていようが、それはその人のことであり自分の生活圏の話じゃない。芸能人の話ならなおさらだ。

 どれだけ豪華な生活をしようが、浮名を流そうが、それができるだけの生活水準と知名度があるからこそ「芸能人」たりえるのだろうし、その人がそれでいいならいいだろう。うちらの税金が上がるわけでもない。

 だが、忘れちゃならないのは「報道される人にも必ず生活がある」ということだ。それは芸能人でも一般人でも、犯罪加害者も被害者も例外はない。報道された後、その相手が破滅するほど、生活が破綻するほど追い詰めるのが現代のゴシップだ。そしてそれを求めているのは、メディアの言い分では「知る権利を持つ一般大衆」という。

 果たして本当かい? 毎日毎日、どのチャンネルをつけても同じニュースが同じ論調で誰が悪い、いやマスコミが悪い、謝り方が悪い、だのなんだの。別に俺は誰が離婚しようが誰と誰が付き合おうが勝手にやっててくれの人だ。ガッキーが誰と付き合おうと俺の嫁になることはあり得ないし、菅野美穂が離婚して俺と再婚することだってないだろう。小池徹平俺の嫁と知らんところで不倫するだのって確率も限りなくゼロに近い。

 

 そう、ワイドショーやゴシップ週刊誌でやっていることはあくまで「向こうのこと」であり、自分には基本的に関係のない話のはずなのだ。それなのに、自分に直接害が及ばないはずなのに、「匿名で」石を投げつけるように心無い言葉を「世間の意志」のように喧伝したりする。「あの人はああだから」「あの人はひどい」。ほう、目の前の家族すらきちんと向き合い理解しているか怪しいのに、会ったこともない芸能人の何をあなたはご存知か。

 

 そらね、申し開きもないくらい下衆い奴もいるだろうさ。でもそれはファンが勝手に離れていくだろうし、世間一般が裁きを加えるような案件でもない。第一、その相手が日本国内で生活できないくらいに追い詰めるような権利は誰も持っちゃいないはずだ。

 

 それを踏まえて、もう一回小室哲哉の話。

 引退、という言葉を使って音楽業界から去ろうとしているけど、周りが追い詰めてこの人にここまでの言葉を引き出させた挙句に「そこまでしなくても」「文春が悪い」という論調になりつつある。

 じゃあ、最近の小室さんの曲がどんなだったか、知っているのかい? どんな活動をしていて、どんな苦悩を抱えて、生活のためにいろんなコラボをして、その悩みを見せずに活動してきた期間は? 自分は正直、TMの30周年でリリースしたQUIT30は正直合わなかった。連続で出してきたEDM系のコラボも、申し訳ないけど小室さんのメロディが消えているようでいまいちだった。それでも、なんとか模索して今のシーンに合わせよう、コラボした相手のための作品を作ろうという苦悩だったのかもしれない。

 小室哲哉を終わらせてしまったのは、他でもない日本全体なのかもしれない。純粋に音楽だけに没頭させていたらあるいは、世界的な歴史に残る作曲家に成熟したかもしれない。そう考えると、大衆の「知る権利」はどうかざすべきなのか、その言葉を簡単に使うべきなのか、単なる好奇の眼を満たすための免罪符にしてはならないと考えてしまう。

 もちろん、暴き世に問うべき悪事を知り糾弾するための「知る権利」はあるだろう。でも今は、それがゆがんだ力学で封殺され、目の前の下衆い醜聞を餌に目くらましされている。それでも、それを求めて金を払う奴がいるから、商売として成り立ってしまう。で、「なんでそんな奴らがのさばってるのだ」と。それはお前さん、あんたが興味本位で金払ってそいつらの給料にしてるからだよ。

 

 あーまとまんねえ。端的にいえば「くだらねえことに気を向けてないで仕事しろ仕事」ってことだよ。

 

 ...これで「引退撤回」したとしても、それはそれでまた思うつぼなんだろうなあ。

 今はとにかく、思いつめた小室さんが変な方向で人生まで終わらせるようなことにならないでほしいと願うばかり。さらに願わくば、奥さんと静かに暮らしてほしいなあと。


TM NETWORK / 1974

チャンピオン

 ライラライラライラライラライ!!!

・チャンピオン

 チャンピオンと来たらボクサー。ボクサーときたら水平対向エンジン。というくらいには車好きなもんで。

 札幌に新年恒例の「トミカ博」がやってきており、今年は息子もしっかり歩けるようになってきたので行ってみよう!! と息巻いていたのだが、若干自分が坐骨神経痛再発気味なのと息子もここにきて風邪気味な咳をし始めたのでどうしようと思案。三連休の最終日、息子は無理でもせめて限定のトミカくらいは買ってきてやりたいと思い、一人アクセス札幌へ。

 

 なんぼ何でも開始直後に行ったらそんなに並ばんだろうと思っていたが。

 甘かったです。すごいねあの車列。もうね、第3駐車場まで行列。しかもいつ動くかわからんのよ。さすがに待機だけで体力削られてきそうだったのであえなく断念。とはいえ手ぶらで帰るのも何となく息子に悪い気がしたので、新札幌から平岡イオンのトイザらスに移動して買ってきたのがこれ。

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 トミカプレミアムのポルシェカレラ 911 RS 2.7。後ろに見えるのは左が今の911カレラS、右が40年近く前のポルシェ911トミカプレミアムのシリーズは結構旧車だったりスーパーカー世代向けのラインナップがあるため、こういう現象が起こるのだ。

トミカ トミカプレミアム 12 ポルシェ 911 カレラ RS 2.7
 

 

 息子は俺の子供の頃遊んでいた車を使っている話は以前書いたが、その影響でポルシェもカウンタックも現行より旧車(というよりプレミアムの精巧さにハマっているのか)が好きな様子。

 今回ポルシェを選んできたのは、何となくトミカプレミアムってカタログ落ち早いんじゃないかという危惧から。ロータスヨーロッパがどこに行ってももう在庫が残ってないのよ。ある時に買わないとすぐに手に入らなくなる、というのを子供の頃から教える戦略に見えてならない(笑)。

 

 結論から言うと、息子はやはり大喜び。今も握りしめて眠っております。といっても前のミニカーに飽きるというわけではなく、それぞれを代わる代わる出してきては遊んでくれるので親としては嬉しい。やっぱり「みんな大事にしてあげるんだよ、仲良く遊ぶんだよ」と教えている成果が出ているのか。そう信じたい。

 

 そんな姿を見て、自分の子供の頃をまた思い出し。

 そういえば、以前うちの裏に住んでいて家族ぐるみで付き合いのあったおじさんが、家に飾っていたのがポルシェの模型だったなあ。結構なビッグスケールで、今思うと当時はかなりの値段じゃなかったのかな。ホイールも独特の形で、まさに今回買ってきたカレラのだった。細かなモデルまではさすがにわからない(そりゃ当時3歳くらいだもの₎が、そのホイールと細部まで作られたモデルというのは覚えている。自分にとっての外車って、もしかしたらそれが最初だったのかなぁ。

 

 息子にとっての一番最初に覚えた車って何になるのかな。結構古いトミカから豊富に与えてしまったから、薄れてしまうかな? なんて思ったり。

 でも、トミカの本を見ながら「これはお父さんが乗ってたパジェロだよ」とか「じいじが乗ってるフィットだね」とか教えていると、「これ、おとさん、のってる、ほんだ!!! えぬあん(N-ONE)!!!」とか「これ、おかさんほんだ、ぼっくしゅ(N-BOX)!!!」なんて真っ先に指をさすから、ちゃんと覚えてくれてるかもね。

 

 うちの親父は若い頃、金もないのに毎月のように車を買い替えてた豪快な人なので、いろんな「実車」がうちに来た。とはいえ子供の物心がつく頃の記憶で残っているのはいくつかしかないけど、印象に残っているのは初代セリカや初代アコード、シティターボ辺りかなぁ。実際にはもっとたくさん乗っていたらしい。今ほど道交法が厳しくなかった時代、親父との記憶の多くは車で一緒に出掛けたり、一緒に車をいじったり(洗車やタイヤ交換の手伝い程度ですよ₎が残っているかな。

 息子も、そういう記憶と共に少しでも「父さんが一緒に遊んでくれた」「愛してくれた」ことを根っこの部分で持ちながら育ってほしい。それだけで、子供って不思議なほどしっかりと立てるものだから。

 

 アウトドアも苦手な俺だから、世間一般みたいな立派な父さんにはなれんかもしれんけど、一緒に機械いじったりインドアの趣味に理解を示すことはできると思うから、一緒に楽しもうぜ。

 

 というのをポルシェを眺めて思った成人の日の夜でしたと。

Rhythm Red Beat Black

 というわけで、連投のお題で今回は「Black」の話。

・Rhythm Red Beat Black

 年末に放映されたガキの使いスペシャル「笑ってはいけないアメリカンポリス」がいろんなところで物議を醸しておりますが。

 なに、浜ちゃんが毎回オチに使われる着替えの段で、ビバリーヒルズコップを題材にしたエディ・マーフィーのイメージで顔を黒く塗ったのが黒人差別だ、と。歴史に詳しく差別問題を考える人が、「ミンストレル・ショー」を想起させるとツイートしただのなんだのと。

 

 えー、前提条件を先に言っておきますと、人間は必ず、必ずどこかで「差別」をしながら生きているはずです。マウンティングだの、格差だの、ランキングだの。じゃあ、それの高位にいる人間が低位にいる人間の真似をしたら、それは即座に「差別」になるんだろうか。

「そんなものは『差別』とは違う。迫害などの歴史的な背景を知らないからそんなことが言えるのだ」という話が聞こえてきそうだけど、果たしてそうだろうか。自分と違うもの、何らかのカテゴライズをして、少なくとも自分がそのカテゴリに入っていないことをどこかで安堵し、見下すということは立派な「差別化」ではないのかい?

 

 さて、簡単に前提を言ったけど、そのうえで今回の騒動の元ネタ=浜ちゃんの黒塗りについて見たけど、エディ・マーフィーじゃないなこれ。どっちかといえばバート・レイノルズじゃないのか。

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 いや、それはいい。

 こうした「差別的な表現」として取り上げられている事象だけど、ではこの場合は果たして「黒人を貶める表現」として使われたのだろうか。自分はそうは思わない。このバラエティの文脈として、毎年浜ちゃんがオチに使われるのはお決まりとなっていること、むしろ「アメリカンポリスといえば」というイメージでエディ・マーフィーが真っ先に出てくるある意味の「ブランド化」ではないだろうか。あの軽妙な語り口、若かりし頃のアクション、日本人が抱く「ビバリーヒルズの警官はあんなにファンキーなのか」という80年代の憧れ、そうしたものがまとまった結晶がエディ・マーフィーとして結実しただけであり、その動きやトークをおそらくコピーできない浜ちゃんに投影することでむしろそのギャップを笑うための記号として使っただけだ。

 先に出した「ミンストレル・ショー」なるものを自分は見たことが無い。なにやら黒人独特の訛りや仕草を笑うもの、らしい。ちょっと待て。じゃあ、日本人の芸人で方言や訛りを極端に押し出して笑いを取っているのは、その地域を「差別」しているわけかい? U字工事やカミナリとかは? 郷土愛だからいいのかい?

 

 なんでもそうだが、前後の文脈や意図をすっ飛ばして、最初のインパクトで嫌悪感を抱いてそのまま批判するってのが余りに多いんじゃないかと。実際に今回の番組で、浜ちゃんがあの格好で黒人を貶めるような動きは(自分が思う限り)一つもしていない。共演者は「黒人」を笑ったのではなく「エディ・マーフィーの扮装をさせられた浜ちゃん」を笑ったのであり、差別的意図がないのは明らかだと思うのだが。

 逆に言えば、それだけ差別だの相手の気持ちを慮るだの仰る方々は、じゃあ毎回「小ゴリラ」だの「M-1号」だの「浜田ばみゅばみゅ」だのといじられている浜ちゃんは「いじめられている」「貶められている」と解釈するのかい? むしろ業界内で大御所と言われる世代に入っているダウンタウンが、毎回いじられる(それどころか他の年下の芸人同様に身体を張っている)番組であり、「強者が弱者をイジる」構図ではなく「強者も同列にイジり倒される」のが面白いのではないか。

 

 各界のベテランや大御所が「まさかこの人がこんな役を!!!」とお祭り騒ぎとして出演するからこそ面白いのであって、その演出に「やりすぎ」だの「差別」だのと言い出したら何もできなくなるで。

 もともと「笑い」と言うのは何かの「異常」に面白さを見出すことであり、その隠された意図が細かくマイナーになればなるほど、それに気付いた時に感服とともに「笑い」が出てくる訳で、非常に高度な人間の特権だと思う。そうした高度なやり取りを禁じて禁じて行った結果、即効性はあるけど意味不明なリズムネタや一発ネタでブレイクするけど2ヶ月もすれば消費されてしまう薄い芸人・ネタが蔓延してしまう。自分達で社会を閉塞させているんじゃないか。

 

 毎回このスペシャルのエンディングは替え歌でダイジェストというのが習わしだけど、ここ数年のシメが個人的にはすごく響く。今回はケツメイシの「涙」の替え歌だったらしいが、調べてみると最後はこうだった様子。

 

「今年のガキも単純に笑って涙 流してみて呆れるまで

 溢れた爆笑は一年の疲れた日々を 笑い飛ばして忘れて

 少々の炎上も穏便に怒らないでよ 笑って観て年越しは

 5人の願望は単純にバカをしながら 笑って一つ歳を取ること」

 

 年忘れで少しでも笑って、多分相当身体にキツイ企画だけどこの5人がまたこの企画で集まって、無事に年を越せたらと思っているからこその歌詞なんだろうなあと。ダウンタウンも50代半ば、ココリコ・月亭方正も40代後半。だからこそ、若い頃のような反骨精神からのネタではなく、年を取ることへの思いがあるんじゃないんだろうか。

 この歌詞を知っていたからこそ、今回の騒動がひどく無粋に思ってしまったよ。

 

 黒人差別は良くない。しかし日本の中で、黒人に対して社会全体で明確な差別を行っているだろうか。専用のトイレだの入店禁止だの。そうした差別が他の国に比べて極端に少ない、知る限りほとんど存在しないからこそ、雑多な文化を受け入れる国なんだろうし、綯い交ぜに成立しているんじゃないだろうか。その事実を知っていれば、少なくとも今回のネタが明確に「黒人差別」を意図しているものではない、と思えなかったのだろうか。

 

 時に思う。

「差別」を口にする人こそ、誰よりも「差別」し、また「差別」という概念から逃れられずに何もかもをそこに結びつけてしまうんじゃないかと。女性の権利主張が激しい某女性教授も、なんでもない話を「女性差別だ!!!」と力業で持ってっちまうしな。よっぽどこれまでの人生で虐げられていたんだろうなあと思っちまうが。

 

 バラエティくらい何にも考えずに笑いなさいよ。

 そのために、芸人の人たちがどれほど大変な思いで身体を張ってくれているか。むしろそっちに思い至って「頑張れ!!!」と考えるほうがよっぽど差別はなくなると思うんだ。

 

 長々書いたけど、そういうことですハイ。

進め、たまに逃げても

 というわけで新年も7日を過ぎて一発目でございます。

・進め、たまに逃げても

 ご存知というか、年が明けたのですでに1年以上前の「逃げ恥」のオープニングですな。三が日に全話一挙再放送という力技を炸裂させたTBS系列、実は意外に視聴率良かったんじゃないのか? と思うもどこもそのあたりの報道はせず。

 

 年始から食傷気味の各種お笑い系特番から、甘酸っぺーーーー!!! このドラマで息抜き。といってもオチは知っていたのでそれはそれでいいんだけど、ガッキーかわええ!!! の一言に尽きると。それぞれの仕草一つ表情一つで、なんというか腑に落ちない感情を抱かずに済むドラマってのは好きですよ。伏線バリバリ、後味の悪さでいろいろと視聴者側に想像させるようなドラマとか、あまりに多くて視聴者がスッキリ見られるドラマがいい!!! と声にならない声を上げた結果が「逃げ恥」の社会現象だったんじゃないかと。

 

 ただし、取り扱っている「契約結婚」という題材。結婚をコスパで考える世代が増えてきたという世相を表していると思うんだけど、結局はシステムだのなんだのより当人の感情や思いやりが勝るもんだよ、という結論に帰着するのがいい。

 相手に求めるものはいろいろあるだろうけど、さて自分は相手の条件にどれだけ当てはまっているだろうか、と考え始めるとなかなかに気分は暗くなる。とはいえ無償の愛ってのはこれまたなかなか与えられるもんじゃない。それでも、何かの縁で巡り会って何かの力でお互いに好き合ったわけだし、その気持ちを忘れずにいる努力そのものがきっと「思いやり」につながるんだろうなあと思ってみる。

 

 人間だもの、いつも笑ってはいられないしシリアスな現実問題を解決しなきゃならないことからシビアな言葉を発せざるを得ない時もある。ただし相手がきっとわかってくれると信じる、というか祈る気持ちで発する方が多いかな。ドラマのようにハグ一つで解決できるわけでもないからね。

 それでもやっぱり、夫婦が仲の良さを確かめるにはハグは悪くない選択肢だと思うし、子供がそれを見ていたとして多分醜い夫婦喧嘩が絶えない環境よりはずっと精神安定上いいと思っている。

 

 いろいろ理屈こねてみても、単純に「嫁さんがいるんだから初心に戻って大切にしたいよね」というスタートから「いくつになっても独占したいんじゃい」という子供じみた着地点にたどり着いただけなんだけどな。

 このドラマを見てて、生活と同時に凝り固まっていく心をたまにはほぐす意味で恋人感を思い出すのもいいなあ、と思った次第。

 

 ブレブレの文章だな。

 

 このネタを書こうと三が日考えていたが、つい先日星野元監督の訃報が。え、「逃げ恥」からなんで仙一さんの話? とお思いでしょうが。タイトルをあえて「恋」にしなかったのはこの伏線です。ご冥福をお祈りしつつ。


星野源『恋』を野球選手名で歌ってみた【逃げ恥】

思いがかさなるその前に

 2017年も残り4時間を切りました。

・思いがかさなるその前に

 今年もいろいろあったなぁと思いながら、年末年始の休みに突入。年末頑張ったよ俺。家の大掃除をし、息子と遊びながら年末を謳歌しております。

 本屋で立ち読みした時に息子が好きなミニカーの本がないか見ていたところ、どうも古い車に興味が出てきたらしく(というか俺が子供の頃のトミカがまだ残っていたからなのだが₎、ModelCarsのポルシェ特集なんてのは興味持ちそうだなぁとか思ってみたりしたが、時期を逸して翌月の号になってしまい断念。その横にあった、2015年末に発刊されたらしい「おとなのトミカぴあ」なる雑誌を手に取る。

 

 ああ、懐かしいなあ。というか、子供ができてすごくわかる。自分が子供の頃に遊んでいたものが、時間を超えて息子が遊んでいる。40年近くも前のおもちゃで親子が遊べるのって、実はそうそうないことなんだろうな。

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 俺が持っていたトミカの、現代の車と並べて比べられる。70~80年代と、2010年代。この子が大人になる頃はどんな車が走っているんだろう。その頃、人はまだ自分で運転する楽しさを持っているだろうか。そんなことを考えながら、エンジン音の真似をする息子をじっと見る。ローアングルからトミカを見つめる姿は、子供の頃の俺にそっくりらしい。

 大人にしてみればトミカなんて、と思うかもしれない。でも、立派なコレクション趣味に耐えうるものもあるとこの年になって知った。ていうかプレミアムすげえよ。上の画像の中にあるNSX-R、セリカGT-FOUR(ST205)、ランチアストラトスHF、カウンタックLP500Sなんてほんとによくできてる。ホイールどころか超細かいマーキングまで再現されてる。本当はこの中にさらにインプレッサの22Bが加わるのだが、新旧のそろい踏みという意味でちょっとお休み。父ちゃん息子を差し置いて集めたくなるわ。

 

 空恐ろしいのは、息子が本を見ながら「ろーたちゅ」とか「かんたっく」とか「ぜっと」とか、次々に言葉を覚え始めたこと。極めつけは、「れべっとん」(ランボルギーニレヴェントンのこと)とか「あてんたどーーう」(アヴェンタドール)。下手なことを教えられない!!! しかしマニアとしては必要なことかもしれない!!! 息子が保育園や幼稚園に行く頃、車に詳しいという個性を携えて行けば友達から一目置かれる...かな? なんて思いながら、父ちゃんは年明けのトミカ博の前売り券の買い方を調べてみる。

 

 そんな息子は、トイザらスに連れて行ってトミカコーナーを見ても、パッケージを開けたり買いたいと駄々をこねない。まだそういう概念がないからなんだろうけど、少なくとも「ものを買わないと自分のものではない」というのは分かっているようで、「これ、あけないね(開けないね)」と必ず元あった棚に戻す。そして「いなない(要らない)」とバイバイしながら次に行く。

 そんな中で、さっきのレヴェントンと現行Zのパトカーだけは後ろ髪引かれていたのを父ちゃんは見逃さなかった。特にレヴェントンはリリースからすでに4年、カタログ落ちもそろそろなので、在庫を見たら確保というのが分かる。迷う父ちゃん。

 

 大晦日、一人でふらりと近くの家電量販店へ。あれば運命、なければ残念。コーナーで探すと両方あった。最後の1個ずつ。運がいいな、息子よ。一つ400円弱、ゲームをねだられるよりずっと安上り。

 家に帰り、レヴェントンブリスターパッケージを見せると「れべっとんだ!!!」と小躍りする息子。「あかていいの?(開けていいの?)」と聞いてくる。「ちゃんと我慢して、いい子にしてたからお父さんからプレゼント。何でもは買えないからな。いま開けてあげるよ」。言い聞かせると、うん、うんと目が輝いている。

 ああ、こうして親バカが完成していくんだろうな。

 

 対象年齢がもっと上(うちの子は2歳半前)だけど、分かって興味があればどんどん与えていきたい。うちのオヤジもそうして俺を育てた。同年代の他の子よりも、ずっと先のものをいじっていた。メカメカしいものに興味を持ち、大掃除で分解した風呂場パネルのねじとかをもとに戻す俺の横でずっと観察し。本当に俺によく似てる。

 

 いつかは離れていくのは知ってるけど、今は手を握ろう。

 今年はたくさんしゃべるようになって、男同士で一日遊びに行けるようになって、おしゃぶりを卒業して、歌も歌うようになって。きっとこれからもっとたくさんできることが多くなっていくんだろう。

 だから、今は手を握ろう。一番近くで、大きくなっていくのを見たいから。

 

 そんな息子は、年越しも関係なしで19時には寝てしまいましたとさ。

 

 

トミカ トミカプレミアム 21 ホンダ NSX Type R

トミカ トミカプレミアム 21 ホンダ NSX Type R

 

 

 

トミカ トミカプレミアム 12 トヨタ セリカ GT-FOUR

トミカ トミカプレミアム 12 トヨタ セリカ GT-FOUR

 

 さあ、あとは年越し。ゆっくり過ごしますかな。

 北海道は雪ですが。

・楓

 昨年の今時期だったか、キリン「午後の紅茶」のCMが上白石萌歌さん出演で南阿蘇鉄道見晴台駅で歌っているものになった。昨年のはCharaの「やさしい気持ち」だったか? 今年の冬はスピッツの「楓」になって、この前から流れているのだが。

 

 良いねえ。

 


午後の紅茶「あいたいって、あたためたいだ。17冬」篇 メイキングムービー

 公式のメイキング動画を貼ってみる。

 今や様々な人の手で「あのロケ地はどこどこ」「どの場所のどのアングルから撮影した」というのを解き明かして拡散される時代、地震被害からの復興中である熊本に、こうしたきっかけで人が足を運ぶというのは、両面あるにしろ素敵なことかもしれない。

 聖地巡礼という言葉が一般の人たちにも知られるようになって久しいが、その「聖地」に人が訪れ活性化するのはある程度までは喜ばしい。でも、やっぱりマナーを守らないヴァカタレが湧いて出るのも事実。嵐がCM撮影した美瑛・富良野で、シンボルだった木が伐採されてしまったりしたことの一因に、観光客のマナーの悪さがあったとのこと(哲学の木については所有者の方が木の寿命を考えたのもあるそうですが)。

 

 確かに自然物だったり、人が居ないからと写真を撮ったりはするかもしれないけど、基本的にやっちゃいかんことってあるだろう。先の木の話では、私有地に勝手に立ち入ることがマナー違反とのことだが、当然だよ。農家の方にとっては私有地=畑なわけで、生活の糧になる場所だ。そこに無遠慮にズカズカ入ってこられる事を想像したら、撮影許可の看板の一つも探さないもんだろうか? 都市部の人で考えれば、庭の家庭菜園の中に珍しい木があるってんで他の作物踏み荒らして至近距離で写真撮るようなもんだ。

 

 熊本については、報道が下火になっただけで今もずっと復興作業が続いているだろう。東北にしたってそうだ。現地の人たちはその中で自分の生活の為に戦わざるを得ない。そこに、観光収入になる話題が出ることは良いのだが、その対応で更に疲弊することがあってはならない。

 折角の素敵なCMが、現地の人たちの生活を明るくする面のみで収まって欲しいと切に思う、休みの日の夜明け前。

Metamorphose

 というわけで、本日なんであんな時間に前の日記をアップしているのか疑問だった人もいると思うので種明かし。日帰りで出張にて、機内の無料WiFiで接続していたのです。

Metamorphose

 10年以上前のGACKTの曲ですが。

 さてMetamorphose。「合体」「変形」は男の夢というのは定説だと思うが、先月の東京一人旅で手に入れたYOGA BOOKの話。

 2In1という形式の、ノート風の使用感とタブレットの手軽さを兼ね備えたうえで、物理的なペーパーを使ったインターフェースとの共存のような、ある意味かなり突き抜けたコンセプトのYOGA BOOK。実際この日記も前回のエントリもYOGA BOOKで書いているのだが、徐々にいろいろ見えてきたのでちょっとレビュー。

 

 とりあえずWindows10が動く10インチマシンとして購入したのだが、2週間以上経った今も基本のセットアップが終わった程度。というか、あまりメインマシンのように何でも入れるような使い方ではないよなあ、あくまで文章や手書きのあれこれをアウトプットするツールとして考えるのが正しいのではないかと考えてみる。

 このマシンの最大の特徴である、haloキーボード。物理キーと全く同じとはいかないまでも、慣れてくればかなりの部分までアジャストは可能。ポジションの置き方はコツがいるけど、それさえ乗り越えればまぁタッチパネルのソフトキーボードをいじるよりははるかに速い。何より、付属のRealPenを使ったペンタブレット的な使い方は、絵心のない俺でも何か描いてみようか、という気にさせてくれる。

 ガチンコの(趣味的)デジ絵描きたる嫁が「結構描きやすいんじゃないこれ」と一定の評価。とか言いながら30秒足らずで息子の似顔絵描いていきやがった...。

 

 そこここのブログなどで、「性能的に物足りない」とか「売った」という記事もあってそれはその人次第だから構やしないんだけど、この値段の一芸に秀でた(もしかしたら時代のあだ花になりかねない)マシンに、あまりに高い期待をし過ぎてやしないだろうか、と。こういうクリエイト系のギミックを内包したマシンって、使い方の発想ができるか否かで評価がガラッと変わるからなぁ。

 自分はこういう日記を書くのに、メインマシンのX1 Carbonはもちろん頂点として君臨しているものの、こうした出先に持っていくマシンとしてYOGA BOOKの軽さはありがたいし、家の中でも確かに使いやすい。いずれ物心がついていたずらするであろう息子にだって、いつか譲ったら手書き機能は大きく子供の絵心を刺激するかもしれない。

 

 地味に昔のマシンを処分しきれない背景に、思い入れはもちろんのこと息子が存分に遊び倒せるマシンを置いときたいなぁ、何て思っている側面がある。今日びキーボードのタッチタイプの一つくらいできなければ学校でも置いて行かれそうなデジタルネイティブ世代、運動は苦手だけど、親父としてそれくらいは教えてやりたいし、ドヤ顔したいんじゃい。

 

 そんな野望を胸に秘め、まだまだ出発時間まで時間があるので日記を書く。思考の整理と表現のプロセスをする時間がなかなか最近取れないからなぁ。

 

 あ、一応SIMフリー版を買ったので格安SIMで出先で使うのも考えてるけど、どれくらい使うか思案中。今のところはテザリングで様子見。ワイヤレスってすごいよね。

 

 だんだんとっ散らかりつつあるのでこれにて終了。