Nocturne No.9
Nocturne、夜の歌ですな。
・Nocturne No.9
と言っても別に音楽の話ではございません。今日はゲームのお話。「夜」と名の付くゲームのお話。
去年の年末、色々と仕事やらプライベートやらが煮詰まっていたところに、少し娯楽を入れないと自分の生活が干からびる!!! なんてそれこそ煮えたような暴走の仕方をした俺。そういえば娯楽、と言うか最近ゲームも余りしていないなぁなんて思いながら、ふと嫁が夏場に買ったゲームをまだクリアしていないという話になり。
「ファイアーエムブレム・if」。
実は嫁も俺もFEを共通の話題とする恐らくマイノリティの夫婦であり、自分は90年発売のFC版初代をプレイして衝撃を受け、嫁は俺から10歳近く年下のはずなのだがFC版初代・外伝以外の全作をクリアしているというある意味の信者。嫁に至っては、「暁の女神」がリリースされると聞いてそのためだけにWiiを買い、「覚醒」がリリースされると聞いてそのためだけに3DSを買い、「暁」だけでは勿体無いとゲームキューブ版の「蒼炎の軌跡」をプレイするためだけにGCのコントローラを買い...という剛の者。流石にWiiUで新作が出ても買わん!!! とは言っているが、恐らく「子供がやるかもしれないじゃん!!!」とレールガンをぶっ放しながら買うかもしれん。それはいい。
ともかくも「if」の話。今回は「白夜王国」と「暗夜王国」という2本立てとのこと。要はアレだろ、XとかYとか赤とか緑とか本家とか元祖とか真打ちとかブラックとかパールとかそういう「コンプしたかったらもう一本買え」という商法だろ? 誰がその手に乗るかぁぁぁぁぁ!!!
嫁が産休に入り、会社の上司から差し入れで「暗夜王国」をプレゼントされる。
当然嫁、ハマる。しかし育児の傍ら、結構なやりこみ要素のある最近のゲームを十分にプレイできる時間も無く、半年近くかけて最終面前後にたどり着いた模様。それを横目で見ながら「ふーん、そういう兵種がいるのかい。ほう、そういう戦略かい。ふーん」などと気になる俺。
Pontaポイントが結構な額貯まっていたので、GEOで購入「白夜王国」。
自分はね、ゲームやり始めると空き時間にチクチクやり始めて他のことに対する集中力が落ちそうで余りやらないようにしているのだ。下手をするとドハマリして、ホントに他の事どうでもよくなるから。
...ほら、案の定正月休みも無いのに寝る前に毎日ワンプレイしちゃうじゃん。
くっそ、安定の面白さじゃないかよ。
とまあ、それなりに楽しんでいる。というのが導入のお話。
さて、ここから本題の「中年の主張」。
最近のゲームに何故ここまでプレイするのを躊躇するかというところから。
恐らく長くプレイさせようと言う魂胆なのかもしれんけど、「やりこみ要素」としてのコレクション物(アイテム・称号など)が多すぎるのだ。そりゃそういう要素がある、となったら人間の心理として集めたくなるだろうし、埋めたくもなるだろう。しかし最近のゲームときたら、本編そっちのけでそれを集中しないと極められないことばかり!!! 大人は!!! 仕事してたら!!! そこまで深みにハマれないのだよ!!!
その結果、途中で作業している気になってしまい、エンディング近く・ラスボスの目の前!!! というところで「いつでもクリアできるから良いかぁ」なんて思って次のゲームを物色し始めてそっちに行っちゃう。え、俺だけ!?
要は、「純粋にキャラを育ててストーリーを進めていく」=「世界観の中に入り込んで物語を追体験する」ということに没頭できないという。近年で恐らく一番印象に残った、プレイして泣くほどだったのが「空の軌跡」シリーズなのだが、これはある意味やりこみ要素が程よくてきちんとストーリーを咀嚼できるバランスだった。言い換えれば、「ストーリーを追う過程で大部分のやりこみを満足できる」という、一昔前のゲームを彷彿とさせたのだ。
他にも、恐らくキャラグッズの売上狙いやファン・スピンオフ狙いかも知れないが、「やたらと登場人物が多い」とか「カップリングさせなければならない」とか、それホントに本編に必要か!? と思う要素が多すぎるのさ。
今回の「白夜」も主要ユニットだけで行けば自軍30程度、しかし敵軍(すなわち「暗夜」側)を合わせたらやはり60前後になる。それらで色々カップリングだの何だのとやってたら、ねえ。勿論ヲタの方々は鉄板から個人趣味のカップリングまで様々遊べる(妄想できる)のかもしれんけど、こちとら「戦略を楽しみたい」だけの人間にしてみりゃ面倒な事この上ない。元々の気に入ったキャラで十分なのに、更に子世代なんて!!! 親子で出撃させて、やっぱり子供は親が守ってやりたい!!! ああかわいい俺の子供!!! ってなっちゃう!!!
...うわぁめんどくせぇ。
これはあれか、やっぱり媚びなんですかい? 昔は想像力で補っていた物を、メーカーさんがお膳立てして公式に落とし込んで合法的にやっていいですよ、ということにしたんですかい? そういうのは二次創作の作者さんに与える「余白」として置いといたほうが良かったんじゃないかなぁ...。
などと言いつつ、「白夜」ではモズメとサイゾウをくっつけてサイゾウのデレを見てウム、なんてやったりしてたのだが。
それとアレだ、世の中の風潮をゲームの中でも持ち込んでしまっているのか、単純な「勧善懲悪」が成り立たないのも最近のゲームだと思うのだが。両サイドの視点から、という以上、「双方の正義」という物が存在していてどっちに付くかで云々。どちらも正しいと思っていることを貫くから云々。
やりきれねぇしそんななら戦いたくねぇ、と思うある種平和主義者の俺。
勝利を目指すんだったら増援含めて完膚なきまでに叩きのめすスタイルなので、倒したら倒したで後味の悪い展開にしてくれるなよ!!! と思ってしまう。どいつを倒したら平和になるんじゃい!!! お前か!!! お前か!!! というある種バーサーカーみたいな。現実世界で勧善懲悪夢物語、諦めるのはお止しなさい、あなたのそばに仕事人みたいなやりきれなさで過ごしているのに、ゲームの中でもそんなテーマを考えさせられるのかよ!!!
もうさ、絶対悪みたいなのをゲームの中のデータに押し込んでそれを一掃するカタルシスを単純に味わわせてくれよ!!!
と日々思うのだ。
メタルギアソリッドシリーズで、「敵を殺さずに進む」という概念に初めて触れてさ。アレはアレである種リアルなんだよ。敵兵とはいえ断末魔の「ギャヒィ!!!」というヘッドショットのうめきなんて後味悪いぜ。そりゃプログラムのデータだとわかっていても、人間として・生理的に悶える物がある。それは悪いことではないし、上手く使えば痛みを伴わずして「人に与える痛み」の恐ろしさを伝える事も出来る。
そんでもさ、人はなんでゲームなんてプログラムの産物をわざわざ時間をペイしてやろうとするのかな?
現実世界では出来ない体験を得る、その体験の中で、現実逃避して爽快感を得る・頭を空っぽにして没頭する・現実にやっては(倫理的にも)いかん発散をするため、じゃないかと思うのだ。
俯瞰してみたら、結局はプログラムのデータにすぎないし、コントローラの操作の腕に過ぎないし、確率(というかくじ引き)の連続にすぎない。でもそこに小説や映画のようなストーリーや芸術性すら盛り込んで、「体験」を提供してきたからこそ、日本のゲームってのは世界的にも一時代を築けたのでは無いかと。
今やスマホゲームで老若男女が空き時間にチクチクチクチク、ず~~~っとプレイしている。アクション性を必要とするものもあるけど、かなりの数が「くじ引き」ゲームに見える。これ、キャラクター変えただけじゃね? という感じの。確かに育成やコンプなどの達成要素はあるけど、例えば物語を読み終えた後の余韻のようなものはそこに存在するのだろうか? エンディングがないからずっと遊べる、というのも良いかもしれないが、永遠に訪れない(まぁ運営が終了するまでだろうが)区切りの前で、ひたすら同じ動きでデータのくじ引きに一喜一憂し続ける。そりゃ指先ひとつでいいかもしれんけど、悪いが俺はゴメンだなぁ。
そんなことを、最近のゲームをしながら思うわけで。と言っても技術の進歩は凄いよね、というのは否定しない。でも、80年代のゲームやFC全盛期に初出のゲーム続編が未だに一定の人気を持ち続ける、というのは、どこか人が「想像力の余地」に飢えている証拠なんじゃないかな。
同じ暇つぶしをするのなら、やっぱり「この時期にこのゲームにどうハマった」と明確に思い出せるゲームをしたい。それがマイノリティのゲームだとしても、知られざる本が誰かのマスターピースになるように。
そうして今日もこれから、横になりながら「白夜」を始めるのだ。
...マスタープルフもっとあればいいのに...。
ああっ、「暗黒竜と光の剣」、DS版引っ張り出してきてやりたくなってきた(笑)。FC版の制約バリバリのもいいよなぁ...。