届かない青
モビルスーツアンサンブル17、諦めていたギュネイ機を息子がゲットした話。
この前、「ギュネイ機は諦める!!」と宣言していたMSアンサンブル17弾。
後日、幼稚園も春休み中の息子がバァバと買い物に行った先でたまたまガチャガチャを回したらば。
なんと一撃で当ててきたという、親父譲りのスナイパーぶりを発揮。おとしゃんはビックリだ。クェス機がダブっていたので、赤が好きな(これも俺譲り)息子にクェス機と交換してもらい、図らずもコンプと相成りました。
タイトルの「届かない青」がまさかの息子引き当てというオチ。
実はこの前日、息子と一つやり取りがあり。これまで息子にあげたガチャガチャのロボット(ガシャポン戦士シリーズ・MSアンサンブル・ロボットコンチェルトなど)が増えてきて、しかもミキシングみたいにバラバラにするもんだからアレの右手がないだの武器がどっか行っただの、ちょっと目に余る状態になっていた。子供としては遊びの道具だからそれはそれでいいんだけど、あちこちにパーツが散らばっているのはお片付けの観点からもよろしくない。ちょっと思案。
そんな折、息子が「いいなあ、おとうさんは。ガンダムいっぱい持ってて」。
うん、息子。ちょっとお父さんの話を聞いてくれるかな。
お父さんは確かにいっぱい持ってるけど、どれもちゃんと決まった場所に置いてる。そして、手とか足とか取れたようにはしてないよね?
お父さんは、(息子)にお父さんのロボットとかあげたけど、それはお父さんの友達だったりするんだ。だから、大事にしてほしい。体の部品がバラバラだったら、引き出しの中で泣いてないかな? そういうのを見ると、お父さんはすごく悲しい。ロボットも、(息子)に嫌われたのかなって思うかもしれない。(息子)はどう思う?
「うーん、そうだね、かわいそうだね」
じゃあ、お父さんと一緒に治してあげて、ちゃんとロボットが集まってしまえる引き出しにしようか。仲間が一緒だったら、部品もどこに行ったか分からなくならないと思うよ。
「わかった。おとうさんてつだってくれる?」
もちろん。
というわけで、立体パズル開始。数種類のシリーズもののロボット部品をあれこれ探してもとに戻すこと1時間。何とか一通りのパーツを元通りに組み立て、散らばった武器パーツなども本来のロボットに持たせるなどが終了。そら恐ろしいのは、俺ですら把握しきれていない各機体ごとに違う武器(ビームライフルなど)を覚えていて「それはリ・ガズィの」「それはガンキャノンの」「それはプロヴィデンスのだよ」と教えてくれること。俺でも追いつくのに怪しいのに、そりゃお母さん=嫁にとっては何のことやらってなるわ。
そんなやり取りを終えて、息子も整理されたお片付けボックスに並ぶロボットを見ながら
「なんかきもちいいね、みんなすきなんだーぼく。」と。
「ものを大事に」というのは、今の消費社会の中でなかなか伝えづらい話かもしれない。教える大人の側の方が、新しいもの・より使いやすいものなどに目が移りがちで、そんな姿を見ている子供に対してどこまで説得力を持てるか、いつも考える。
自分が子供の頃は「もったいないおばけ」なんてなCMもやっていたが、いつしか商業主義と使い捨て文化の影響かあまり聞かなくなってしまった。
でも、仮にも人型のものや子供の頃に好きだったものが、時間とともに「懐かしいもの」に美化されていく過程で、それが原形をとどめていなかったりやるせない扱いになってしまうことは、少なからず寂しいものだと思う。なるべくならあるべき姿を保ったままどこかにしまい込んで、ふとした機会に蓋を開けて、当時の自分と向き合う。幸せだった記憶ならなお良い。そんなことを、元の形を取り戻したロボットをキラキラした顔で見つめる息子に願うのだ。
ガチャガチャ一つでも、子供に伝えることがあるんじゃないか、という話。