兵器とプラモについての話。
早くも3月に入ってしまっているが、年度内最後の山場を終え燃え尽き。や、組合とかそういうのじゃないです。ガチの仕事。
最近報道で繰り返されている「本物の戦争」の話題。コロナ禍が収まりきらない世界の中、侵略国のトップの妄想としか思えない「戦争」が繰り広げられている。
戦争、ダメ、絶対。
プラモのモチーフとして、兵器がどうしても多い。自動車や航空機、果ては実在する建物(旧ラジオ会館のモデル、すげぇな)や日常の物品(学校の机やら)まで模型になっているが、人気があるのはやはり現実・架空含め「兵器」かもしれない。
この「戦争」が始まった直後、SNS界隈でミリタリー系のモデラーが結構「造形としての兵器模型が好きなだけであって、それが使われるのは全く望まない」というコメントを出しているのを見かけた。それには全く同意だね。
常々このブログでも書いているが、兵器はその銃口が自分に向いていないからこそ模型だなんだと言えるわけで、それが実際に使われ人を傷つけ命を奪うことは望まない。あくまでフィクションの世界で活躍するキャラクターや、そのストーリーが「現実に起こらない・起こってはならない」シチュエーションであり、その中のカタルシスだからこそ平時において魅力を発する。
「ウクライナの幽霊」というエースが出現した、というニュースも見たが、果たしてそれは実在するのか。フィクションの世界では、例えばAC04の「メビウス1」がそれに近いだろう。その劇中では、ストーリーが進むにつれメビウス1=プレイヤーの活躍が敵味方に知れ渡り、英雄となっていくが、この「ウクライナの幽霊」の話にこれを重ねた諸氏も多いと思う。
しかし、その話は現実の中での謎だ。エースがいるかは定かでないが、燃えた街や傷ついた市民は紛れもない事実のはずだ。事実とプロパガンダの判別ができないし、今まさに戦火は消えていない以上、美談とはできない。
そして、兵器は残念ながら「使われるため」に作られるし、「より効率よく殺傷する」ために進歩する。使われないことが最良だが、それは詭弁だし安全圏からの綺麗ごとに過ぎない。実際の戦地では身を守るための最後の手段として頼らざるを得ない。
今我々にできることはなにか。
抗議やデモもあるのだろう。しかしあくまで我々の住む日本でのそうした行為は、時として自慰行為に過ぎないのではないかと思ってしまう。救援物資なども、現地で困っている人たちに向けての直接的な援助になるだろうが、戦争をやめさせるというものにつながるかと考えればそうでもない。
劇場版パトレイバー2劇中で、こうした「皆が大騒ぎしている」中での後藤隊長の印象的なセリフを思い出す。
「ねえ、落ち着いて考えてご覧よ。今俺達が何をすべきなのか。
其々の持ち場で何かしなくちゃ、何かしよう、その結果が状況を
ここまで悪化させた。そうは思わないか」
災害やなにかの悲劇的な出来事の中で、自分が良かれと思い行ったことが何につながるか。その相手が本当に何を望んでいるか。それが必要なんじゃないか。
兵器のプラモを作りながら、平和を望む。シュプレヒコールは行わないが、そうしたものが何に使われるものか、世界はどうあるべきか、自分は大それたことはできないが、一番身近な息子にそれを教えることはできる。武器を持つこと、それが向けられること、行使された結果の痛みや悲しみを。
それが、いつかの世界から戦火を少しでも遠ざけられると信じて。自分の国が、誰かの国が、焼かれることのない世の中につながると信じて。
子供らを被害者に、加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう