Think Like Talking.

変わりゆく変わらないもの

1974

 小室哲哉引退について、やっぱり書かなきゃならないだろうな。

・1974

 不倫疑惑だの文春砲だのいろいろ要素はあれど、初期のTMを聞いて育ってきた人間としては、こんな終わり方はさすがにどうだ、と思わざるを得ない。

 週刊誌の在り方だなんだ、という議論もあるだろうし、不倫についての良しあし、介護の現実など、様々な視点・切り口からいろんな意見が出る。もちろん貞淑な生き方が本来求められるはずだけど、大衆はどこかで誰かの「悪事」を暴きたい、指摘したい、引きずりおろして蔑むことで自分の安泰を確認したい、という欲望があるのかもしれん。

 

 下衆いな。

 

 前の逮捕の時もそうだけど、小室さんは生き方が下手なんじゃないだろうか。世間知らず、というか、ある意味本当に音楽の申し子で、それ以外の大部分を切り捨て隔絶することで音楽に没頭してきたんじゃないか、と思う。それが商業的なしがらみだとか、寄ってくる有象無象だとか、人並みの性欲だとか、引きずり下ろす様々な力学で翼をもがれてしまったように思ってしまうのだ。

 初期のTMで打ち込みのサウンドを日本の音楽シーンに鮮烈に取り込み、ロックとミュージカルの融合を「CAROL」で示したり、バンド自体を「リニューアル」という言葉で再構築したりと、今の音楽業界で当たり前にいろんな人たちが行っていることを多分最初にやったのはTMであり、小室さんのアイディアなんだろう。それが94年のTM第一期終了でひと段落し、プロデューサーとしてヒットを飛ばしまくった頃から、商業的に売れる方程式を確立してしまったのがおかしな話になった原因じゃないだろうか。

 当時小室プロデュースのアーティストは数えきれないくらいの人がいたし、楽曲もとんでもない数が作られて、盲目的に「小室」の名だけで売れた異常な時代。メロディの展開からリズムまで、確かに方程式にのっとって作ればほとんどが売れた。その代わり、古参のTM時代からのファンは一定数離れていった気がする。自分もその一人。

 

 今でもTMの全盛期は80年代最後の方、GetWildがマスターピースなのは疑いようがないし、それ以外にもアルバム「Gorilla」や「SelfControl」、「humansystem」の辺りは30年経った今聞いても通用すると思う。方程式は確立されつつある頃だし、いかにも小室節のメロディラインは存在する。でも、デジタルの音作りを手探りで進めて、実験的な曲もアルバムの中には収録されていたり、壮大すぎるテーマじゃなく思春期の若者が抱く葛藤を尾崎豊と対極の表現で乗り越えてみたり、なんというか「夢」があったのだ。

 

 2000年代以降、良くも悪くも「小室ファミリー」ネタが注目され、安室奈美恵華原朋美、globeやTRFなどだけが「小室哲哉の音」と紹介されることにものすごいストレスと違和感を感じるようになった。おかしいじゃん、みんながもてはやす前、確かにこの人が成し遂げてきた「日本の音楽界を革命するほどの功績」に誰も触れないなんて。売り上げ枚数や稼いだ金、スキャンダルばかりがこの人の価値じゃない。

 同じ理由で、安室奈美恵の引退ニュースの頃の違和感だってある。アムラーが大流行した頃で報道のネタが止まってるけど、むしろそこから先の方がアーティストとしての活動は長いし、熟成されたパフォーマンスが評価されたからこそ、デビュー後25年も一線を走ってこられたのに、流される曲は「Can you celebrate?」か「HERO」だ。

 

 そこに来て文春砲。

 基本、自分はゴシップ週刊誌を買うことはない。生まれてこの方お使いでも買ったことはない。誰が何をしていようが、それはその人のことであり自分の生活圏の話じゃない。芸能人の話ならなおさらだ。

 どれだけ豪華な生活をしようが、浮名を流そうが、それができるだけの生活水準と知名度があるからこそ「芸能人」たりえるのだろうし、その人がそれでいいならいいだろう。うちらの税金が上がるわけでもない。

 だが、忘れちゃならないのは「報道される人にも必ず生活がある」ということだ。それは芸能人でも一般人でも、犯罪加害者も被害者も例外はない。報道された後、その相手が破滅するほど、生活が破綻するほど追い詰めるのが現代のゴシップだ。そしてそれを求めているのは、メディアの言い分では「知る権利を持つ一般大衆」という。

 果たして本当かい? 毎日毎日、どのチャンネルをつけても同じニュースが同じ論調で誰が悪い、いやマスコミが悪い、謝り方が悪い、だのなんだの。別に俺は誰が離婚しようが誰と誰が付き合おうが勝手にやっててくれの人だ。ガッキーが誰と付き合おうと俺の嫁になることはあり得ないし、菅野美穂が離婚して俺と再婚することだってないだろう。小池徹平俺の嫁と知らんところで不倫するだのって確率も限りなくゼロに近い。

 

 そう、ワイドショーやゴシップ週刊誌でやっていることはあくまで「向こうのこと」であり、自分には基本的に関係のない話のはずなのだ。それなのに、自分に直接害が及ばないはずなのに、「匿名で」石を投げつけるように心無い言葉を「世間の意志」のように喧伝したりする。「あの人はああだから」「あの人はひどい」。ほう、目の前の家族すらきちんと向き合い理解しているか怪しいのに、会ったこともない芸能人の何をあなたはご存知か。

 

 そらね、申し開きもないくらい下衆い奴もいるだろうさ。でもそれはファンが勝手に離れていくだろうし、世間一般が裁きを加えるような案件でもない。第一、その相手が日本国内で生活できないくらいに追い詰めるような権利は誰も持っちゃいないはずだ。

 

 それを踏まえて、もう一回小室哲哉の話。

 引退、という言葉を使って音楽業界から去ろうとしているけど、周りが追い詰めてこの人にここまでの言葉を引き出させた挙句に「そこまでしなくても」「文春が悪い」という論調になりつつある。

 じゃあ、最近の小室さんの曲がどんなだったか、知っているのかい? どんな活動をしていて、どんな苦悩を抱えて、生活のためにいろんなコラボをして、その悩みを見せずに活動してきた期間は? 自分は正直、TMの30周年でリリースしたQUIT30は正直合わなかった。連続で出してきたEDM系のコラボも、申し訳ないけど小室さんのメロディが消えているようでいまいちだった。それでも、なんとか模索して今のシーンに合わせよう、コラボした相手のための作品を作ろうという苦悩だったのかもしれない。

 小室哲哉を終わらせてしまったのは、他でもない日本全体なのかもしれない。純粋に音楽だけに没頭させていたらあるいは、世界的な歴史に残る作曲家に成熟したかもしれない。そう考えると、大衆の「知る権利」はどうかざすべきなのか、その言葉を簡単に使うべきなのか、単なる好奇の眼を満たすための免罪符にしてはならないと考えてしまう。

 もちろん、暴き世に問うべき悪事を知り糾弾するための「知る権利」はあるだろう。でも今は、それがゆがんだ力学で封殺され、目の前の下衆い醜聞を餌に目くらましされている。それでも、それを求めて金を払う奴がいるから、商売として成り立ってしまう。で、「なんでそんな奴らがのさばってるのだ」と。それはお前さん、あんたが興味本位で金払ってそいつらの給料にしてるからだよ。

 

 あーまとまんねえ。端的にいえば「くだらねえことに気を向けてないで仕事しろ仕事」ってことだよ。

 

 ...これで「引退撤回」したとしても、それはそれでまた思うつぼなんだろうなあ。

 今はとにかく、思いつめた小室さんが変な方向で人生まで終わらせるようなことにならないでほしいと願うばかり。さらに願わくば、奥さんと静かに暮らしてほしいなあと。


TM NETWORK / 1974