Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

Seven Days War

函館の小学生行方不明事件、発見されてほんとによかった話。

 北海道民としてはこの話題に触れないわけにいかんでしょ。

 昨日7日ぶりに発見された函館の小学生。そりゃもう、とにかく良かったという一言しか無い。各方面で彼のサバイバル能力(と言っても雨風しのいで水で過ごして耐え切った、というところだが)に驚嘆する話題が出ているようだが、発見の報を聞いてニュースを聞くにつれ

「今後学校でのアダ名は『スネーク』になるんじゃないか」

 とか

「発見された時の第一声は『待たせたな』」

 とか、無事に見つかったからこそのネタが頭の中に。なんとかならんのかこの芸人脳

 

 さて、ふざけた話はここまでで。 

 様々な場所で、これも議論が巻き起こっていることなのだが、マスコミの報道のあり方や、ネット上での騒ぎ方など「無事に見つかったからこそ」考えなければならないことが多いように思う。

 

 ひどい話では家族の住所や経歴なんてとんでもない情報が晒されているとか。実情報ならば犯罪じゃないのかこれ。勿論匿名発信で痕跡が消されるだろうが、一度流れてしまった情報は完全に消えることはありえない。誰がどのような権利があって、捜査に携わるわけでも無い人間がこんなことをするのか。以前から、こうした「情報の吊し上げ」が報じられるたび、「悪良識」「正義面」という言葉がよぎる。

 マスコミの報じ方も、捜査の進展だけをニュースとして報じるだけならばいいが、ワイドショーなどや芸能人の私的ブログなどで言いたいことを言い逃げる姿勢に反吐が出る。どこぞの教育評論家など、「事件性を感じる」として「親による犯罪説」を暗に示唆したって言うじゃないの。ネット上も恐らくそれを元にして「捜査情報の提供」を「頼まれもしないのに」やったのだろうが、結果的に彼の両親(マスコミに晒されているのは父親だが)は「本当に」子供を心配して捜査を見守っている「ただの親」だった。ジョンベネ殺害事件のワイドショーの見過ぎだ!!!

 

 真相など、当事者にしかわからない。

 

 もちろんそれを解明するために「公的な」警察があり、捜索活動のために自衛隊などがあり、彼らを癒やすために医療機関が存在する。

 しかし、そのニュースを報じて捜索活動のための情報提供を呼びかけるまではいいものの、そこから先の「情報ネットワーク」は、デジタル・アナログ含め、当事者である「家族」を傷つける結果にしかならないことの方が多い。そしてその発信者は、自分が発信する情報に責任を持とうとする人間が皆無な場合が圧倒的だ。今回の事件に関して言えば、犯罪者だと決まったわけでもない父親がさも...という先入観で先走ったのか、何故そんな情報が必要なのかというものを誰に頼まれるわけでもなく、しかも然るべき場所・部門ではなく不特定多数が制御せずに拡散する場所に垂れ流したわけだ。

 俺に言わせりゃ、そいつこそ晒しあげられて欲しいくらいだ。

 

 これから、あの家族はどうなってしまうのだろうか。

 

 子供を図らずも危険に晒してしまい、しかもそれが元で親戚のみならず「日本中を」巻き込んでしまった。子供は保護されたとしても、あの父親は誰が守ってくれるのだろう。家族がまた寄り添ってくれるのなら良いが、もしそうではなかったら? これだけの無責任な情報の拡散のせいで、家族が静かに再出発しようとする場所がこの地上から失われてしまっていたら? 

 

 自分も子供を持ってこれからのしつけ、というか育て方を考える時に、人事では居られないのだ。だからこそ、この家族はこの家族だけで、そっと再出発させてやってほしいと願ってやまない

 

 だって、あの子供にとってはやっぱり父親なんだ

 

 そして父親にとって、やっぱり最愛の子供のはずなんだ

 

 あの家族は、誰が欠けてもあの家族じゃ無くなってしまうはずだから。

 

 俺も部外者に過ぎない。本当はこの日記も書くべきか迷った。でも一人の父親として、近い将来子供を叱らなければならない立場として、敢えて書いた。

 今はとにかく、あの家族が静かに眠って欲しい。話はそれからだ。

愛にこだわれ

異動とデスクワークとキーボードの話。

 異動に伴って、一応は自分用のPCがあてがわれることになった。と言っても事務所のPCなのであまり好き勝手にはできないんだけど。5年前に同じ部署に居た頃、リースPCの吊るしのインターフェイスではどうにも使いづらく、自前でマウスとキーボードを用意して使っていた。今回もそれに則り、「仕事のしやすさは良いインターフェイスから」を実践すべく入力装置を探す旅に出た。

 つっても量販店からツクモとかのPC専門コーナーなんだが。

 キーボードの条件としてはこう。

  • 職場、特に管理職が居るシマで使うため、余り打鍵音がでかくないもの
  • 当然打鍵感のいいもの
  • 数値入力が多いのでテンキー付きのフルキーボード
  • その上で遊び心があればなお良し

 選定条件矛盾しまくりじゃないのかこれ。エルゴ形状の外し技も考えたが、テンキーの打ちづらさと打鍵感のフニャフニャがどうにも嫌でまずは却下。よくあるちょっとオサレ系(でもないか)のチクレット(最近のキートップが区分けされてるノート向けっぽいの)は余程でもない限り打ちづらいのでこれも無し。一見業務用っぽいけど実は「軸色」でマニアックな某社のは、打鍵感文句無しだけど職場に投入するには勿体無い値段なので却下。どうしたもんか。

 

 ...ゲーミング用はどうだろう?

 

 というわけで、様々打ち比べて決めたのがこちら。RazerのBlackWidow Ultimate Stealth。

 や、このシリーズバックライト付きで、同じシリーズの上位モデル=Chromaなるのはフルカラーでキラキラ光る。仕事の道具にそんなギミック要らん!!! とは言えどうも日本語キーでスイッチ音のしない(Cherry社軸色で行くと「茶軸」系、Razerで行くと「オレンジ」軸)モデルはこのUltimateくらいしかない様子。バックライトがメーカーのイメージカラーである緑で光るのはこの際目をつぶろう。

 というわけで、こいつを購入。自宅のThinkPad X1(無印)につなげて動作確認。一応Windows10では自動で基本ドライバが入ったようで、バックライトがつくけれどスイッチングで消灯可。メーカーの独自ドライバや管理ソフトを入れなくても、標準キーボードとして普通に動く事を確認。

 しかして会社のPCにつなぐと、やはりと言うかキーボードの型式に合わせたドライバは入らず完全に「標準キーボード」としてのドライバでしか認識せず、余計な機能で引っかかったらどうしようと言う心配は杞憂に終わる。当然仕事の効率はガッツリアップですな。嵐のように飛んでくる各所からの問い合わせメールなどを全弾打ち返しております。

 ちなみにこれ、キーボードの右側にUSB端子が付いているので、デスクトップの裏側に回ること無くメモリーなどを接続することが可能なんですな。これも標準パススルーで機能してくれるので何の問題もなし。重量もそこそこあってどっしりしているので、打ってる最中にずれていく心配もなし。 

 願わくば末永く使えるものであって欲しいですなぁ。

again

連休はガンダムワールドへという話。

 部署異動で暦通りとなった休み。5年ぶりに連休が帰って来た!!! というわけで早くも4月最終日。29日からの連休開始、しかして新部署の仕事に慣れるべく月末月初の仕事が山積みで予想される訳で、奇跡の10連休!! なんて物は当然取れず。いや取らず。

 29日開始・来月8日終了の「ガンダムワールドin札幌」なるものに出陣。

 ここしばらくウィルス性胃腸炎の息子の世話で嫁も俺も家族も結構な疲弊度合い。それに加えて先の異動で色々と削られていた自分に対し、家族が「息抜きしてこい」という仏のような申し出をしてくれたわけで。その心意気、受けないわけにいかん!! 

 で、行ってきた。

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 先日第一期が終了した鉄血のオルフェンズより1/10バルバトス。開催場所がサッポロファクトリーのアトリウム、というわけで、2014年に開催した時と若干しか変わらず。立像と通り一遍のシリーズ紹介、あとこんなのも。

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 実物大ダメージド・ザクヘッド。モノアイがゆっくり可動してるんだけどね。他の会場では実物大のガンダムヘッド(ダメージド)だったりするらしく、これは次回(多分2年後か)に各地回ってきた後に展示されるのではないだろうか。しかしこのモノアイで見られたら、そらぁ生身の人間立ちすくむわ。

 他にはこれの後方にV作戦の3体、ベム・ベラ・ベロ...じゃなかった、ガンダム・キャノン・タンクの3機がジオラマで立ってると。さらにその後方では。

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 デギン公王の椅子で記念撮影が出来る!!! という、シチュエーション的にはネタとしか思えない撮影ブース。しかも今回これ、無料でご自由にという太っ腹!!! 前回のユニコーンコクピットでは金取ってた気がするなぁ...。ともあれ、子供から大人まで様々なネタで意外と好評、ひっきりなしに座っていく人たち。俺はさすがに一人で行ったのでなんもしませんでしたよええ。嫁さんが新卒の頃に住んでいたアパートの管理人さんがそれこそ「善人のデギン」っぽい人(劇中では意外とデギン公王は良識的な印象があったけどね)だったので、座らせたかったなぁ...なんて不謹慎なことを考えてみたり。

 

 他にはというと、今回はこんなものも陳列されていた。

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 まさにリアルタイム世代や再放送世代にとっては「欲しくても買えなかった」超合金の合体ロボおもちゃ(ポピニカとかマニアックだからなぁ)などなど。近所の子や小学校の友達が買ってもらってたなぁ。今じゃ設定と余りに違いすぎて突っ込みどころ満載なんだけど、日本にもこういう時代があったのだよ。

 さて、展示は5分ほどでざっと見て、本命の限定ガンプラを探そうのコーナー

 アトリウムから少し移動し、これまた前回と同じく臨時のガンダムカフェ併設のショップに並ぶ限定ガンプラ。案外と毎年秋に開催されるガンプラエキスポで売られる限定版が半年遅れで「再販」されるような形になる。なので、エキスポで数百人規模の行列に並ばなくても意外と手に入ったりするのだ。

 しかして今回新ネタとして追加されていた(はず)なのは、「量産型カラー・プチッガイ」とか「RE-VIVE HGUC RX-78-3(!!!)」、「パールクリアカラー・HGバルバトス」といったところか。今回は「RX-78-3」を手早く購入。

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 ガンダムをあまり知らない人にとっては「え、ただのガンダムじゃないの?」と思うだろうけど、これは最も有名な「アムロガンダム」ではあるけどトリコロールカラーの2号機「RX-78-2」ではなく、小説版でのみ存在する「3号機=G-3」なんですな。もちろん何度か立体化されてきたんだけど、元祖2号機(変な表現だな)に比べて圧倒的に少ない!!! しかもこれ、税込み1080円と超手頃!!! 他のパールカラーだのなんだのはあっちゅう間に3000円~4000円になっちゃうのさ。

 語りはこのくらいにして、このイベントの印象。

 まぁGW、子供の日のイベント的にはお父さんも連れ出しやすい、子供とプラモで語らおう、変に札幌中心街から遠くないから行きやすい、という意味では悪く無い。なので結構家族連れが多くて、子供を連れて来て一緒に楽しむ、その合間にガノタがいつもどおり...みたいな。

 その中で、多分生粋のガノタなんだろうなという人がいた。それも女性。

 1歳未満位の子供を抱っこ紐で抱え、あやしながらショップエリアを見てるんだけど、BGMで歴代ガンダムアニメの曲が流れているのに合わせて口ずさんでいるではないか!!! 「JUST COMMUNICATION」とか「あんなに一緒だったのに」とか!!! すげえ!!! なんという英才教育!!!

 かくして、「子供の日」どころか「昔子供の日」っぽくなってしまったGW初日の日記でしたっと。

 

今日も君に恋をした

いくつになっても恋っていいよなというお話。嫁さんに。

 と言っても別に誰か好きな人が出来たという話ではなく。この間31になったうちの嫁の話。

 度々ここのブログでも書いているかも知れないが、自分と嫁は8歳半離れている。すなわち自分は今年40...。嫁に出会って早くも12年経った訳で。結婚するまで5年付き合って、現在結婚7年目に入っているというわけだが、御存知の通りうちの嫁は

 天然。

 ネガティブ思考がイラァと来るときもあるが、それをフォローすべく神が与え給うたとしか思えない、奇跡の天然。それまで真剣に向き合っていた空気をあっという間に笑いに変える破壊力。12年経っても「こいつ、恐ろしい子...」と思わされる発見が。

 

 カフェで「ピーティチーください」と真顔で注文して3秒後に気付いて慌てふためき、「イートイン」ではなく「テイクイン」(テイクアウトの反対と思ったらしい)と言って店員さんを困惑させる定番技。

 げっ歯類系チャームポイントの前歯を「御神体」と言ってみたり、トリビアに近いレベルの「動物の生態」を披露してきたり。

 テレビが余り好きではないためか時事ニュースに疎かったり(ブラジルW杯の開催に気づかず、連日の特集で「ブラジルでテロでもあったの?」と聞くレベル)。

 そうかと思えば、かつて法学関係の学科だったことから、裁判関連報道を見ながら法律用語バンバンで話しかけてきたり(こっちは情報系学科だったので当然わからない)。

 そんな嫁が、最近は「返し技」を覚え始めた。

 二世帯で住み始め、うちの両親のマシンガントークにさらされる中、徐々に言葉のラリーが出来るようになりつつあるのだ。

 

 UQ WiMAXのCMでピンクのガチャピンが出ているのをご存知だろうか。朝食時それを見ながら俺が「おお、嫁がCM出てるじゃん」と振ったら「ああ、母方のおばさんだわ。お久しぶりです」と即座にリターン。優しげなタレ目とげっ歯類系の前歯の特徴をして「ガチャピン」といじっているのだが、なんとそれを逆手に取っての見事な返し技を披露した。横で聞いていた母が味噌汁噴き出しそうになって大笑いしていた。

 その他にも、マイカーを持った嫁を連れてカー用品店に行った時、ゴージャス系のアクセサリを見せて「こういうのは興味ないのかい」と振れば「何のタクティカルアドバンテージも無いじゃん、こういうの」と即答。「タクティカルアドバンテージ」て!!! しばらく自分もハマって笑ってしまった。

 

 このように、日々飽きることの無いネタを提供し続けている嫁である。

 人間ってのはいつまでも底など見えないものだと思っているのだが、本当にその通り。ネタとしての話以外にも、様々な成長や衝突もある。それも含めて、やっぱり自分にはこいつしか居ないんだろうなぁ、と子供を抱きながらあやす嫁を眺める。

 

 そんな嫁へ、いつもの育児・家事への労いと夏には復職することへの応援として、誕生日にプレゼントを贈った。まぁ腕時計なんだけどな。

 

「いやー、高かったしょ。ありがとう。大事にするね。」

 戸惑いつつも喜んでくれる嫁。こちらこそありがとう。こんなことしかできんのさ。

 

傷つけたりしたら嫌だから、仕事復帰する(7月)までしまっとくね!!!

 

 うん。でもそれ、ソーラーだからせめて箱から出しとかないと止まっちゃうんじゃね。

 

 今日も君に恋をした。

 

Man in the Mirror

 お前は、誰だ。

・Man in the Mirror

 と言っても別にドッペル言外さんに会ったわけではない。約1年ぶりにまともに「明るい抑うつ闘病記」を書いてみようかと。

 

 復職してからまる4年が経過。完全断薬・寛解のお墨付きからも既に2年以上が経過したことになる。早いもんだよなぁ。

 去年は家を建て子供が生まれの激動の一年。抑うつ上がりでこんな生活が出来るようになるとは思ってもみなかった。

 

 ふと気づけば季節は3月。

 抑うつになった始まりの月である。

 

 震災のニュースで当時の生活をフラッシュバックさせ、そちらに引きずられるかと思ったら「そんなこともあったよなぁ」と笑い飛ばす自分がいた。そうか、自分はこんなにもあの頃から遠くに来られたのか。

 デイケアという復職訓練・内省への幾度とないダイブを経て、復職OKのお墨付きをもらって4年、10年再発率のグラフの半分の期間までもうすぐというところまで来たわけで。

 

 というわけで前置きが長くなったけども、この「明るい抑うつ闘病記」カテゴリーで長らく止まっていた抑うつとの闘病、デイケア編から少しだけ進めてみる。

 

 2011年下半期をベイルアウト(ドクターストップによる出勤停止措置)でスタートし、休職扱いとなった当時。復職のために札幌のとあるクリニックにてデイケア=復職訓練プログラムを受けることになったというところまでがはるか昔の日記(その後ちょぼちょぼ同カテゴリーで書いてるけど、直接の本編は2014年くらいで止まってたはず)。

 

 デイケアのプログラムを紹介することは出来ないためどうしたものかとしていたのだが、実際自分がその頃どう考えていたのか、また家族の視点はどうだったのかというのは書いていなかった気がする。

 

 デイケア自体はクリニックが定めているあくまで「自主的な」治療の一環である。したがって、出なけりゃ出ないで全く問題は無い。実際それによってデイケアを自主的に卒業していった方も何人かいた。

 しかしてそれは外科的治療における「とりあえず止血したけど傷の縫合はしてない」ような状態であり、傷の状態はどうなのか、縫合によって本当に塞がったのか、トレーニングで筋力をつけたのか、というプロセスをすっ飛ばすことにほかならない。精神疾患的に言い換えると「抑うつになった原因は分かっていても、対処法を身につけずにまた戻っただけ」という事になり、これが先の10年再発率という話に関わってくる。

 そうした対処法を身につけて、復職に耐えられると判定された状態で復帰する=デイケアプログラムをクリアして卒業するのと、不十分なままで(やむを得ずの場合もあるので一概に言えないが)復帰するのとでは、とんでもない再発率の差が出てくる。勿論それは再発が早いか遅いかという時期もあるが、後者の場合は下手をすると1年以内、2年以内という数字が圧倒的に多かった記憶がある。そうしてある程度の寛解状態まで療養できず投薬で何とかすることで更にその期間が伸びてしまう、もしくは効果が得られず更なる追加投薬でスパイラル...というケースがある様子。

 

 それを踏まえた上で、当時の自分。

 休養により心の体力ゲージはすっかり回復し、見た目的には何ら平常時と変わらないところまで回復していたという。だがしかし。

 守備力ゲージが下がっていた、という状態で。つまり外乱の受け止め方で以前よりも重く受け止めすぎて長考に陥ってしまう状態が発生していた。それこそがまさにリハビリが必要な、というか抑うつ状態の再発から抜け出し職場復帰するために重要な関門であり、その対処法を身につけなければ最初は元気だとしても遠からずまた出戻る可能性が高い、という訳で。

 

 通うこと4ヶ月。

 様々な患者の人達と接し、その中で擬似的な「職場」をシミュレートして自分の思考の偏りを自覚するという毎日を経て、復職許可のための検定は1回落ちて2回目で合格。クリニックの中でもかなり早期の復職を実現した。

 その検定というのがまた、普通に生活している人間でもここまでの集中力で生活(仕事)するのは無いんじゃないかという状態での訓練。それを検定期間中ずっとやらなきゃならんという。そりゃ確かに相当な身体的・精神的負荷状態だよな。それを乗り切れれば、多少のストレス状態を経験しても乗りきれるようになる、という感じ。復職後にどうしても如何ともし難くなればそれは自分のリミッターを超える部分のため、訓練でやったように自分の状態を外部に発信するなり何らかの対処が出来るようになっている、という寸法。

 

 ともかくもそうした訓練を無事に乗り切ったからこそ晴れて職場復帰への道が開けた、というわけで。

 

 その過程で、自覚しなければならない、受け入れなければならないことがあった。

 むしろ、それは気付いていたことなのかもしれない。

 

 それがタイトルの「Man in the Mirror」、すなわち鏡の中もう一人の自分という訳である。

 責任感と何らかの状況に追われてそれを投げ出せない、許せない自分。

 もう一人の自分は、その自分がしなければならない事柄に拒否反応を示している本当の自分かも知れない。すなわち、「社会的には子供と捉えられる恐れのある正直な自分の心理」そのもの。

 

 抑うつになったプロセスをざっとさらうと、状況が重なったとはいえ自分にとってストレスの溜まる環境、社会的に背負った責任に対して本当の心は「もう無理だ」と叫んでいたにも関わらず、それを押し殺して体力の続く限り立ち続けた結果だ。

 その中での「もう無理」という事柄は、例えば「この仕事はしたくない」「辛い」という逃避願望。どうして「無理」と思うかの原因を探れば「今まで良くしてくれた人たちに不利な条件を出したくない」「自分が助かるかも知れないが他の人を犠牲にしたくない」「そうしなければ仕事にならない」「だからこの仕事をしたくない」という論法にたどり着く。よく、「生真面目な人が鬱になる」というが、恐らく大半の人たちがこうした状況と自分の本心との板挟みになるからじゃないかと痛切に思う。いい子になりたいのではない、人の痛みがわかりすぎるからこそ、その痛みを与えてしまう事に敏感であったり、それ以上の苦痛になって自分に返ってくると知っているのだ。

 

 ともかくも、そうした「もう一人の自分」を、「それじゃ仕事にならないよ」「大人なんだから折り合いをつけなきゃならない」と押し込めることをやめることにした。

 

「その優しさが状況に合わなかっただけ」

「全てを否定されたわけではない」

「その心をなくさないことで、良くなる世界がそれ以上にある」

 

 小難しい話にしたら「自己肯定感」とでもなるのだろうか。

 ミッションの遂行が至上とされる世の中になってきたからこそ、それを出来なければ価値がないと思いがちだったり、そう評価される風潮がある。でも、それは本当に「人間がするべきこと」なんだろうか。

 

 自分が「仕事人間」だとは思っていなかったが、この抑うつになった期間を振り返ると、意外なほどの愛社精神とでも言おうか、そんなものが存在して、自分を縛っていたんだなとつくづく思う。どちらかと言えば勤務時間以外は会社の空気など1秒も吸っていたくはないし、自分を捧げる気など無い。それでも心の何処かで責任感が深いところまで根ざしていたというわけだ。

 このカテゴリの結構前の日記で、「自分がこうなったのは『会社のせい』だ、と思えればしめたもの」というニュアンスの文を書いたが、別に会社を恨めということではない。自分の力が足りなかったとか、心が弱かったと思う方向に囚われるべきではない、という意味だ。

 ドライに「一労働単位である以上、代えの利くユニットでしか無い」事を受け入れ、ならばそのユニットの出来る範囲の事をやればいいと念頭に置くようにする。そうすることで、いつかまた「抑うつになりそうだ」と心によぎった時、無理に留まろうとするのではなく「回復するまで別のユニットに頑張ってもらいまヒョ」と軽く捉えることができるのだ。無論、人生の中では勝負しなければならない、どうしても踏ん張らなければならない時期もある。でも、そんなに人生勝負どころってあるかい?

 

 4年前、デイケア卒業後リハビリ勤務からしばらく。疲れた顔が鏡の中に居た。

 4年経ち、鏡の中の顔は少しだけ疲れているものの、日々を楽しむことでどこか明るさが戻っている。勿論泣きそうな笑顔の日だってある。それでも、「鏡の中の男」はいつかのような全くの別人ではなく、多分殆ど自分と一致しているのではないか。

 

 鼻毛の中に白髪混じってきたな。ちょっと目尻にシワができたか?

 それでも、いい笑顔ができてるじゃん。

 

 抑うつもそれを超えることも、病気である自分や今できることを受け入れることで先に進める。よくある話だけど、「もう一人の自分を受け入れる」ことが、実は最も難しいけれど最も必要なことなんだと思う。

 

 というわけで、今宵はこれまで。

おまけの一日

 ルチャ・ドールになるために。

・おまけの一日

 や、別にルチャ・ドールにはなりませんが。今日はおまけの一日こと2月29日。せっかくなので4年に一度の日にブログなど。

 

 今日は全道超大荒れの一日。

 去年の11月に3ヶ月分出してもらっていた皮膚科の薬がそろそろ無くなりそうだったので、遅番明けの頭を叩き起こしてとある総合病院へ。嫁も出かけたいとのことで、それなら行くかと子供も乗せて3人で大荒れの札幌へ向かう。

 

 途中上り坂で立ち往生しているトレーラーやらプラス気温で池のように雪解け水が滞留している道路など、なかなか車が進まない。2時間かけて病院につき、診察時間は約10分。まぁ症状が変わらないのとほぼアレルギー系のかゆみ止めをもらう程度なのでそんなもんなのだが。ともかくも用事は終了。

 

 病院に居るともらわんでもいい風邪やらインフルやらが子供に伝染りそうだったので、事前に近くの商業施設で嫁と子供を待たせておき、程なく合流。とは言えその後すぐ帰るのも芸がない。ならばということで、ノロノロ運転の札幌市街地を宛てもなくドライブすることにする。

 

 うちら夫婦は俺39歳、嫁30歳。歳の差は結構あるのだが、色々と話をする。馬鹿話もすれば、出口の無い喧嘩をすることもある。ただその分、クールダウンも入れつつトコトンまで本音を話して、解決策を見つけようとする。俺が嫁の年に合わせることもあれば、嫁が背伸びして俺の方に歩み寄ろうとすることもある。なので中間地点くらいで納得できることや、お互いに見えなかったものがふとした時に見える=解決できることも沢山ある。

 生活のこと、子育てのこと、仕事のこと、趣味のこと。でもどこかでその着地点が、いろんな人に助けてもらっていることや、感謝していることに帰結することが多くなってきた。変な宗教でも何でも無く。

 

 N-BOXの後部座席でチャイルドシートに寝かせた子供の面倒を見る嫁。それをルームミラーで見ながら、とりとめない話をする俺。外の景色が流れていくのが楽しいのか、ぐずる素振りも見せない息子。雪は止んだとはいえ、道路は大荒れ。奇妙な家族のドライブ。でもそれが幸せ。

 

 札幌の中央区は余りに車が多いため、太平のホワイトラインバイシクルさんに顔を出すことに。嫁も「子供見せに行きたいよね」と乗り気。

 大雪の時は風向きの関係でとんでもないことになる札幌北区なれど、今日は除雪が早期に入ったのかWLBさんの周辺はそこそこ綺麗な道路状況、駐車場。子供を抱っこして店に入ると、林店長とスタッフの入江さんがいつもの笑顔で迎えてくれた。今日は週末に行われたイベントの絡みで奥様が不在だったため、林店長が「嫁にも見せたいんでお子さんと一緒の写真撮ってもいいですか?」と仰ってくれた。家族3人で写真に収まるのは実は余り無いので、内心嬉しかったりする。嫁も久々の訪問だったので、林店長が「なんか快活なイメージになりました?」とのこと。そういえば妊娠時期から合わせると1年位嫁は店に来てなかったのと、生活がガラリと変わったのでそれもあったのかもしれん。

 

 ひとしきり雑談して、とりあえず報告と挨拶ということで店を後にした。

 帰りはまたゆっくりと。帰宅したのは19時過ぎ。同居している家族=両親とうちら夫婦、息子の皆で晩飯を食い、息子を風呂に入れて寝かしつけ。親は今日の除雪で疲れたのか早々に撃沈。

 その後、すやすや眠る息子の横で、夫婦でまた話の続き。止めどなく今日の楽しかったことや、最近の事、尽きない話。

 

 贅沢なものや充実した何かではなく、ただ自然に皆が笑ってそこにいること。

 

 その何でもない幸せが嬉しいと、嫁が泣いた。

 

 うるう年の2月29日、おまけの一日。

 

 天気は荒天なれど、とても楽しいおまけの一日。

君といつまでも

 いつかは大人になるんだろうけど。

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・君といつまでも

 早くも7ヶ月を迎えた我が子。寝返り打ったり声を出して笑ったり乳歯が生えてきたりもりもり離乳食を食べたりと、毎日違う顔を見せるというのは本当で、気がついたら新しいことが出来るようになっていたり。

 

 別に今のところ自分にも子供にも大病の気配は無いのでなんだかんだという事は無いのだけど、最近のニュースだ何だを聞くにつけ「自分の子供だったら」などと考えることが多くなった。

 子供が被害に遭うニュースに限らず、問題だの不祥事だのを起こした人=大人に関するニュースも。

 

 なるべくなら、そうならない人間に育てたいなぁなんて思うけど、そんなに簡単なことじゃないというのもわかってる。自分だって、何のはずみでそうした側に突き落とされるかわからないのだ。

 

 子供を育てている、というのはおこがましいが、子供に向き合っていると、自分がこんなにも子煩悩だったのかと驚かされる。そして、仕事以外の時間をこんなに子供に振り向けることができた自分に安堵する。

 元々やりたいことや趣味の時間が大事で、妊娠前の嫁と二人だけの頃などはそれが削られることに実感が持てなかったり、それに抵抗があって子供を持つことに躊躇したりした時期があった。自分がネグレクトに陥るのではないかという恐れというか。

 

 実際に子供が生まれて、何かのタイミングなのか自分にもそういう機能が備わっていたのか。不思議にそういう生活になった。ミルクを作り飲ませ、哺乳瓶を洗って消毒、泣けば抱っこしてあやして寝付かせ、おっかなびっくり風呂に入れてぐずればおかしな歌を歌ってまたあやす。おむつの交換はまだちょっと苦手。チャイルドシートに乗せショッピングモールでカートを押し、リビングではあぐらの間に座らせてテレビなんか見たりする。

 

 そうか、俺にもこんな時間が持てるのか。

 

 ふと、腕の中で眠りかけの子供につぶやいた。

 

「俺を親にしてくれてありがとう」。

 

 まだまだ始まったばかりの子育て。たった7ヶ月。

 携帯のメモリーに大量に蓄積された、子供や家族の写真。きっとこれからも増えるのだろう。

 手間の掛からない年になってくれよと思う反面、急いで大人にならないで、と思う勝手な大人。そんな風に、自分も育てられたのかなと思うと、少し泣いた。

 

 子育てをしている人たちにとっては、多分当たり前のことなんだろう。

 きっと皆が、多かれ少なかれ大変な思いをしながら、命に向き合ってきたのだろう。向き合っているのだろう。向き合っていくのだろう。

 

 勿論自分だって自分なりに大変だけど、なんでだろうな、少しでも一つ一つの時間を大事にしたくなった。そりゃ人間だから「ウイー早く寝てくれよーぐずんないでよー」とか思うこともあるけど、きっと横抱きで揺らしながら寝かしつけるのもすぐにできなくなるんだろうなと思ったら、スーッと微笑ましい気持ちになっていくんだよな。

 

 命ってのは不思議だ。