函館の女
明るい抑うつ闘病記、その4。
さあ、嫁には「読んでいていたたまれない」と言われ始めた明るい抑うつ闘病記。ベイルアウトまで残り1ヶ月半、2011年6月のお話を。
2011年5月末。
所属部署の4名(部門長、上長、自分、新人)のうち、その部署の一番の古株(と言っても配属3年)である上長に異動の辞令が下る。部門長で1年、新人半年、俺で3ヶ月という配属期間、人員が削減される前のこの部署の業務全般を知っている上長が抜かれるということで、急遽自分に部門次席の重責がのしかかってくることになる。
6月上旬。道内の拠点となる営業所に引き継ぎの挨拶回りのため、1週間で出張を3回こなさなければならなくなる。その初回が函館。道央以外の拠点の中では1・2を争う取り扱い規模、取引業者数を誇るため、時間を最大限に取るために飛行機で現地入りし1泊2日で各業者を回る予定。
出張当日、直接丘珠に集合できればよかったがフライトの都合で事務所に顔を出してからの移動開始。しかして空港への出発前、部門長からの厳しめの叱責あり。この頃になると隠されていた部門長の本性(と言うか素の状態)が露わになり、退職した前任者から引き継いだ業務用PHSに残っていた上長への相談メールの意味が分かるようになっていた。
プロペラ機とはいえ道内なら離陸から40分足らずで函館へ。レンタカーで取引先の事務所を回る。夕方17時にはホテルへチェックインし、その日は自由行動に。会社に進捗の連絡を入れ、ノータイのスーツ姿で付近を歩く。五稜郭近くのビジネスホテル、綺麗な夕暮の函館を、20年ぶりくらいに歩く。
小学生くらいの頃、家族旅行で来た函館。今はいい大人になり仕事で来ている。当時は親の観光ルートについていくだけで、何があるかなど全くわからなかったが、今はiPhone片手に景色を撮りながら道を調べ散策している。
自分の足で歩いている。はずなのに。
五島軒のカレーが旨いらしい、という情報で五稜郭タワーの中にテナントで入っている店に一人で入る。平日の夕方、閉館時間間近なのか客は他に2組程度しかいない。せめて好きなカレーを食べて、明日に備えて早めに休もうと、一気に平らげる。iPhoneを取り出しさてネットでも見ようとホームボタンを押す。
ホテルからここまで歩く間の15分程度の時間。1分おきに入っている、同行の上長からの着信。そしてそのリストの最後に、札幌の部門長からの着信と留守番電話のアイコン。
即座に電話をかける。月替りでトラブルがあったらしい。その対応の為とは言え、着信件数と留守番電話の声に身体が震え始める。なんとか平静を装い、対応策を連絡し、処理は終了。
五島軒のカレーは、既に全く味がわからなくなっていた。
うつろな足取りで滞在先のホテルに戻る。個室だったため、スーツを脱ぎ部屋着に着替えてベッドに倒れこむ。まだ震えが止まらない。気を紛らすためにテレビをつけても、状況は全く変わらない。
妻に電話し、何気ない話をする。少しだけ落ち着く。シャワーを浴びたところまでは覚えているが、その後は覚えていない。相当に疲れていたのだろう、かなり早い時間に寝床についたと思われる。
翌日。何事もなかったかのように上長と取引先回り再開。精一杯冗談を話し、任務を終えて帰札。事務所に顔を出し帰宅したかったが、そのままサービス残業。気がつけば、いつもどおりの時間に帰宅。挨拶回りの出張が終わるたびに、上長不在の実感と自分への業務が乗算的に増えていく。
釧路出張、北見出張が終わり、上長が完全に任期終了。後任に、全く営業経験のない東京支店からの若手が送られてくる。一般職の20代半ば。性格もあるだろうし若さもあるということで、後に様々な(現場からの大ブーイングを受けつつ)ドラスティックなシステム転換を行うのだがここでは割愛。
次席ということで彼の受け入れ業務が更にのしかかる。性格的に俺とは真逆の、他人のことなど関係ないというある種営業向けのキャラであり、その片鱗が端々に出てくるため、取引先への口の聞き方などで相当に肝を冷やすことになる。ただし部門長はそちら側の立ち位置であり、「うちの方が立場が有利なんだからこっちの条件を飲ませろ」という方針で彼は上手いこと同調していく。
そうなると、必然的にこちらへの風当たりが強くなるわけで。
抑うつの症状の一つに、集中力の顕著な低下というのもある。仕事をしていても、ToDoリストを作成したのはいいが何を手に付けていいか判断できない。一つの仕事を取り出してデータを抽出しようにも、分析目的を分析できない。メールの文を読んでいても、同じ行を繰り返し見ているのに後で気づく。本来できていたはずの仕事が、数倍から数十倍の時間を使わないとできない。で、新人は「この人何?」という見方に変わってくる悪循環。
6月末。薬は全く効かなくなっていた。
業界的に夏は繁忙に入る。前任の上長がペンディングしていた案件は、その時期に直接かかるものであり、更に言えば赤字覚悟の口約束であり。
つまりは、「どうしようもねぇ」状態になっていた。