Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

東村山音頭

 今更ながらだけど。

 

 志村けんさん、いややっぱり「志村けん」の方がしっくりくるか。訃報に触れて喪失感が半端ない日本列島。コロナウィルスを本当の意味で「やばい病気」と認識させてくれたのが、まさかの志村けんの死だとは。誰もが知っている、しかもうちら40代にとっては全員集合で育った世代であり、笑いのカリスマだ。

 なんてこったという第一印象。月曜の朝からスマホの緊急ニュースで「志村けんさん死去・新型コロナで」という一文を見た瞬間、エイプリルフールには早いよな、いやこれマジか!? と職場の人間と目を疑ったくらいにして。

 政府やら都知事プロパガンダに使われそうなのは許せんというところと、そんなことをしなくても国民全体が何かを感じ取ったんじゃないかと。

 

 息子が追悼番組で流れていた研ナオコとのコント(「赤マムシ・生卵」のアレ)が偉く気に入り、なーんにも考えなくても笑えるのってのは世代を超えるんだなぁと。最近の小難しい笑いではなく、国を超えて言葉がわからなくても通用する笑い。それを面白いと、今でも思えるからこそ志村けんが「面白い親戚のおじさん」と称されるほど誰からも愛され、喪失感を与える正体なのかもしれない。

 

 昨日2か月振りに髪を切りに行ったのだが、そこの兄さん(2コ違いくらい)とやっぱりこの話題になって。全員集合のコントって、今考えたらものすごく贅沢な話だったんだなあと結論付け。毎週一回きりの舞台セットやら劇伴の演奏は生オーケストラ、アイドルや大御所が毎週バンバン登場して。しかもすべて生放送。今あんなことできる芸人は存在しないだろう。それを身近に育ったうちらは、チャンネルの選択肢は少なかったかもしれないけど、とても贅沢なコンテンツを見ていたんだろうなと。

 

 そんなことを思いながら、小さく口ずさむ東村山音頭。どうか安らかに。


全員集合 東村山音頭