Think Like Talking.

変わりゆく変わらないもの

Bye Bye Television

 しばらく日記を書かない内にもう11月ですよ。

・Bye Bye Television


Bye Bye television・高野寛

 タイトルは高野寛さんの曲。自分が聞いたのはライブベスト盤なんだが。

 

 さてバイバイテレビジョンということで、ここしばらくの間に入ってきたニュースが

みなおか」「めちゃイケ」終了

 ってことなんですが。「みなおか」って何のことよと思ったら「みなさんのおかげでした」略して「みなおか」かよ。くっだらねえ。

 フジテレビが迷走してもう何年も経つけど、看板のバラエティがドンドン終わって今のフジって何が残ってるの? という状況。その中で、20年以上の歴史がある2番組が終了ってことなんだが、そりゃそうだよな。見ていて「笑えない」。

 

 面白いか面白くないかは、安易に言ってはいけないことと思うのだ。と言うのは、「お笑い」「バラエティ」に面白さを感じられるかどうかはその人の知性によると思っているから。何かのモノマネや隠された意味を連想してその面白さを見つけるには、それぞれの要素をつなげる力や知識、発想も必要になる。落語もそうだし、あらゆる芸能で「笑わせる」のは実は結構な計算が必要だったり、受け手の側もそれなりの知性が要求される。だからこそ、安易に「面白くない」と言ってしまうのは「隠された面白さを感じられない感性」と言うのとほぼ同じと考えてしまうのだ。

 

 ただし、それを差し引いても最近のバラエティで笑えるか笑えないかの振れ幅は激しいと感じる。

 例えば最近悪くないと思うのは、4時間程度ぶち抜きで季節放送の「ENGEIグランドスラム」(奇しくもフジテレビ)。芸人が他の芸人のいじりなしに自力でライブ形式のお笑いを披露するわけだが、漫才やコントなど様々なスタイルでステージに上る。大掛かりなセット(コントは若干あるが)もロケも仕込みも無く、自力で視聴者を笑わせるスタイルは、普段彼らがテレビに映らない時にどのように笑いに向き合っているかを見せてくれる気がして嫌いではない。

 

 翻って終了する2番組について上で「笑えない」と書いた。見ているこちら側として、数年前から(「みなおか」については昔からだが)ものすごく気に入らないのが

 

「メインの芸人(とんねるずナインティナイン)が自ら笑いを取らない」

 

 「めちゃイケ」についてはまだナイナイが自ら動いて云々の企画があれど、出てきた当初のエネルギーはもはやない。年齢にしてみればそれは当然なんだけど、それを言うなら中堅と言われる同世代の芸人が他の番組で自らネタにされたりドッキリを仕掛けられるなどしている。彼らはいわば「他人をイジることで笑いを取る」スタンスに見えてしまうのだ。「みなおか」についてはもっと露骨で、昔からとんねるず自体が「楽屋オチを全国区の芸にした」と言われているようだが、傍から見たらただ弱い芸人・身内を「いじめている」(イジる、ではない)ようにしか見えない。

 それも彼らの「芸」と言われてしまえばそれまでだが、見ていて気持ちの良いものではない。同じくらいの世代で大御所と言われるクラスになったダウンタウンウッチャンナンチャン、少し若手ではロンブー辺りも、イジりはするが基本的に自分も企画の中で他の芸人と同じように身体を張る。ダウンタウンウッチャンナンチャンに至ってはもう50代半ばだ。それでもきちんと企画で罰ゲームを受け、コントを真面目に作ったりしている。

 

 テレビに映る企画が彼らの全てでは無いにしても、今やメディアが様々に存在する時代だ。他人をイジるだけで笑いを取れた時代では無いのかもしれない。芸人が見せる意外性も徐々に薄らいできていたり、一発当ててテレビで良いように消費されるだけの芸人もまだまだ出て来るだろう。

 ギャラで使いどころを狭められ、スポンサーと視聴率とクレームに配慮し、何次受けかわからない業者に制作を任さざるを得ない状況で、更に搾取しまくられた予算で出来上がる番組で、じゃあ何が出来る?

 最近その答えの一つとして見られているのが「過度な演出を廃した番組」と言われている。素人採用型のバラエティ・ドキュメンタリー(テレビ東京辺りが得意か)もそうだし、最近では元SMAPの3人がAbemaTVで試験的に「放送」した番組もそうだろう。使い古された「ヒキ」でテンポを乱しまくるCMや、なんでもテロップで強調する(これはこれで聴覚障害の方にはよかったりするらしいので一概にはいえないけどな)手法、やたらと本題に行く前の煽りが長かったり、そうした要素がかなり少なかったと聞く。

「テレビ業界の危機」なんて声が上がっているらしいけど、そんなものはもっと前から始まっているはずだよ。

 

 ただ、受け手の側である視聴者=我々にも問題があるんじゃないか。

 マイノリティに過剰に「配慮」し、誰かが「おかしい」「気に入らない」とフィルターをかけずにクレームを入れ、フィクション=虚構を虚構として素直に笑えない。これこそが息苦しさと、人を笑わせる事を生業にしている人たちの力をドンドン弱くしている原因じゃないかとすら思う。

 余り褒められたもんじゃないが、昭和のバラエティ番組をYouTubeで偶然見た。今じゃ規制だらけでこんなことやったら大問題だ、と思うような。でも、小学生から大人まで、みんなが一緒に笑える。小難しい事は考えない、それで誰が傷つくなんてことはその時は考えない、ただ目の前の芸人さんが身体を張って、面白い行動や時事ネタを織り込んだり、しかし緻密な計算の上で成り立っていることを後になって知る。表に出る=テレビなどで見える機会が極端に少なかった、「一芸に秀でた」人たちが「芸人」を名乗っていた時代。

 今、何の縛りも誰かへの配慮も考えなくて笑える芸や番組はどれだけある?

 そうした規制や事情を考えさせたり匂わせたりしてしまったら、昔のようには笑えない。もっと言えば、万人を傷つけずに笑わせる手段なんて本当は無いのかもしれないし、人間は残酷だけどその点に面白みを感じてしまって笑う側面もあるのだ。

 

 だから、笑う時は何も考えずに笑う。誰かを傷つけたのなら、その時に謝る。謝られた、傷つけられた側は、その謝罪を以てそこで終わり。一緒に笑う。その寛大さがないから、笑いの質も歪んできてるんじゃないか。

 

 そんなことを、最近のネットニュースを見て思った次第。オチなんかねえよ。グダグダ書いたけどただ一つ

「何も考えずに腹抱えて笑いてぇ!!!!」

 ってだけだい。