Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

フローネル

テレビ番組で男の趣味と家族の温度差について考えた話。

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打首獄門同好会「フローネル」

 

 最近の番組で思うところのあった件について。

 一部ネットニュースとかで議論になっていたのが、「家の不用品を売る」という企画の中で、父親が集めていたプラモデル1000点ほどを売却して家族旅行の資金に充てるというやつで。

 まぁ、趣味のアイテムなんてのはその趣味を持っていない人間にとってはガラクタにすぎないわけで、よほど迷惑をかけない限りは好きにさせておけと思う方なのだが。件の番組については多分見方が両極端になると思うの。すなわち、

「家族の声とは言え、お父さんの趣味すら還元させられるなんて」という面と、

「作りもしないプラモをため込んで無駄なスペースを取るなんて」という面。

 双方言わんとする主張もわかるし、生きていく上での精神衛生上の要件もわからんでもない。それはそれでいいんだけど、なんか違う。そう思わせるのは、やっぱり価値観の違いが引き起こす「大事な物」の基準点であったりするのだろう。

 

 今回のお父さんが「大人になってから始めた趣味」の領域であれば、まぁ道楽だのなんだのとで家族側への理解の方が比重が高くなったかもしれない。今回の例で行くと、お父さんが「子供の頃から集めてきたもの」という、ノスタルジーや見る人が見たらとんでもない価値がある、売り払った金額では換算できない価値がそこに隠れているのが「お父さんサイドの心情で見ると痛いほどわかる」から、議論が起こるのではないだろうか。

 

 自分も数年前、家を建て替えるときに親が後生大事に取っていた「俺が子供の頃に遊んだプラモデル」を、自分の手で処分したことがある。当時の技術だから、ゴム部品も劣化しパーツも乾燥してもろくなっていたり、また新居で場所を取るのも申し訳ないと思って処分したが、涙が止まらなかったもんなあ。

 

 今回のお父さんも、「売る方向で」と決断したときの顔はやっぱりさみしげだったし、実際に引き取ってもらうときの心情を察するにあまりある。まぁ男のほうが未練がましいと言ってしまえばそれまでなんだろうけど。

 

 なんで今回のタイトルが「フローネル」か。歌の最後の方に「気の持ちよう価値観次第で そこに幸せがあるんだったら」とか「それぞれの趣味に走ればいいじゃん!」という歌詞がある。まさにそうだよなあと。

 

 で、冒頭の画像はHGクアンタにもう7年前の雑誌の付録についてきた強化パーツプラモ(フルセイバー)を完成させて取り付けたもので。買ってきてすぐに作らなくても、寝かせて熟成させて楽しむ方法もあるんだよぅ!!! や、ただしまった場所を思い出せなくて、部屋の整理をしていたらたまたま発掘しただけなんですが(笑)。

 念の為、うちの嫁は「作ってないのたくさんあるんだから!!」とはいうものの、比較的趣味には寛容なできた嫁ですハイ。いーだろ。