Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

Shurrasco ver.3

 流行りに乗って(というか必要に迫られて)テレワークなるものをやってみたのです。前回ちょっと触れたけど。

 会社のシステムに入るためのあれこれってのもあるので、家の私用PCに仮想環境クライアントを入れてアクセス。おお、本当にどの端末からでも設定したデスクトップ環境を再現できるのな。

 そして今や専用のアプリケーションを個別の端末にインストールすることなく、Webアプリ扱いで完結させているため、ぶっちゃけセキュリティと認証さえクリアすればどこでも会社の仕事はできるという。あとそこそこ太いネット回線帯域か。うちは光だから全く問題なし。PCもWi-Fiで11acまでは使える(まだ11axは一般的じゃねえしな)。メイン・サブマシン共にCore i7(世代は違うが)。画面は14インチだがWQHD(2560x1440)。社給の1366x768エコノミー感全開マシンと比較したらそらもう、ねえ。マシンはケチっちゃいけねえ。

 

 しかして道央圏、休校措置で幼稚園も自主登園回避。家には力を持て余した4歳児。こりゃあ半分も仕事できりゃ御の字かなぁと思っていたら。

 

 全く邪魔をしない4歳児。それも、別の部屋にいるわけでなく、ずーーーーーっとぴったりと俺の半径2m以内でコロコロと遊んでいる。インドアの遊びが好きなのは俺譲りだと思うが、テレビ電話(MicrosoftのTeams使用)で上司に開始・終了を報告するときにちょっと「おだって」テンション上がったくらいで、あとは「おとしゃん仕事でしょ、頑張ってね」と健気な態度。

 

 そりゃ職場の休憩時間や仕事しててもコーヒー飲む程度のブレイクを取ってるもの、合間には絶賛スキンシップで家庭内濃厚接触=NKSS!!!

 仕事が終わったら通勤時間ゼロの利点を活かして息子と思い切り遊び。

 でもな、やっぱり4歳児に酷なことを強いてるのかなとちょっと罪悪感。だって「おとしゃん家にいるよ」って、起き抜けに言っただけで普段寝起きにぐずるのが満面の笑み。家に居るのに何で一緒に遊んでくれないのかなぁ、なんてまだわかるはずもなく。それでも、「お仕事だからね」という言葉でちゃんと我慢してくれる。

 

 もったいないくらいの息子だと、胸を張っておとしゃんは言ってやる。

 

 ただまぁ、やっぱり仕事モードでパソコンに向かい関係先に電話で指示を出しているのを見て、息子に取っちゃちょっとカッコよかったらしいですハイ。普段と変わらんのだけどね。

 

 そしてどうしても出社が必要だった嫁を迎えに行ったのが19時前。ほんの20分ちょっと家を空けただけなのだが、夕飯を食っていたはずの息子が。

 

「眠くてもうごはん食べれない...」と言い残し、1分ほどで電池切れで寝てしまったとばぁば。

 子供ながらに神経遣ってたのかな。まぁじぃじと結構はしゃいで遊んでた時間もあったみたいだから(笑)。で、もう着替えもそこそこに寝室に連れて行き、中途半端に起きるかなぁと心配しながら息子の横でPC開いてこれを打っている、と。

 

 家族の顔を見ながら仕事できるってのは、テレワークのいいところ。難点は、本当に家から一歩も出ないで一日が終わってしまうために体がなまること山のごとし。あとはだらけそうって意見があるかもしれんけど、起床も準備も休憩も、日ごろのルーティンを崩さない程度にやればそこまでじゃないんじゃないかな。雑務の横入りがないだけ随分と集中はできると思ってみる。トラブルが入らなければこれでいいじゃん。

 

 さて、そんなテレワーク2連発の終了後。何気なくXperiaGoogle Play Storeを開いてみたら。Android版のVivaldiが正式版リリース!!! しかもデスクトップ版もバージョンアップで3.0に!!! というわけでタイトルがキリンジの「Shurrasco ver.3」というわけで。お後がよろしいようで今宵これまで。

切り花

 タイトルはキリンジから。

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 とある外出自粛の北海道の一日。幼稚園も休園中で同居の俺の両親に預けている息子。買い出しに行くのにまだ4歳の子供を留守番させるわけにいかないため、一緒に近くのスーパーへ。

 帰り際、出口で誰かが花屋で買って途中で千切れたのか一輪の花が落ちていたそうな。

 それを見て息子がその花を拾って家まで持って帰ってきた。

 

 バァバと一緒にガラスの容器に水を入れ、そこに花を浮かべ。帰ってきた俺に「おとしゃん、花拾ったの。寂しそうだったの。」と一言。そうか、お前は虫や花にも命があることに気づけたんだな。

 

「うん、わかったよ。大事にしてくれたんだね。でもその花はもう一回千切れちゃってるから、いつか必ず枯れてしまう。でも、息子に拾ってもらってありがとうって言ってると思うよ。」

「うん。」

「いつか枯れてしまう日まで、面倒見てくれるかい?」

「うん!!!」

 

 今朝、肌寒い北海道の朝。日当たりのいい場所を選んで、ベランダの窓際に置いた息子。日が高くなるとともに、花が開いた。

 

「よかったね!!! ありがとう」と花に話しかける息子。

 

 このやりとりをいつまで覚えていてくれるか。優しさを忘れないでいてくれるか。優しく育ってくれている息子を誇らしく感じながら、少しでも花が元気でいてくれることを願って。

小白竜

 先週の休みに息子のリクエストに応えて作り始めた1/72 VF-1S/Aのその後。

 一週間平日はほとんど仕事・食事・風呂・睡眠のサイクルで趣味の時間は取れんため、必然的にこうした時間は週末となる。しかして今般のあれこれで家にも仕事を持って帰るのを余儀なくされ。で、迎えた三連休。

 とはいえ春の彼岸ということで親戚回りで初日はぐったり。今日はそこそこ強風の道央地方、最低限食材の買い出し程度で帰宅して第2ラウンド開始。

 

 前回でほぼ胴体(ファイター形態の基本部分)は組み終わっていたので、あとは手足の作成。腕はそこそこ簡単なんだけど、問題はエンジン=脚部。まーまー細かい。それにしても細かい。バトロイド形態時に伸長する・脚部として可動するためギミックがたくさん入っているのは分かるんだが、足一本で1時間コース。

 

 で、結局。

 

 ファイター形態固定にしてやろうかと。これね、変形できるんだけど最近のモデルの常でいじるのが怖い。ディティールが細かいのもプロポーションを両立させるための仕組みが満載なのもわかるが、一度変形させるだけでも戻れないかもしれないような繊細さ。プラモデル月刊誌のモデラーの方々、すげえよな...。

 

 とりあえずそれでもこれまでに(約30年前)手に入れたどのVF-1バルキリーよりも、やっぱり格好はいい。あとはステッカー・デカール類を貼って...というところで今日は終了。

 

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 とりあえず先週息子に作ってやったレゴの戦闘機と。一応翼端灯はちゃんと右左色を変えて正式なのを今から教えてたり。

 さあ、次回ちゃんと終われるのか?


超時空要塞マクロス リン・ミンメイ 小白竜

ランナー

 爆風スランプではない「ランナー」。

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 発端は、haschetteの「週刊 VF-1バルキリー」。幼稚園が自主休園扱いでずっと家にいざるを得ない状況で、面倒を見てくれているうちの親が近所のスーパーへ買い物に連れて行った際、本屋でチラシをもらい。

「おとしゃん、おとしゃんの好きなガンダム!!!」「違うよ、これはバルキリーだからマクロスだね」「そうなの? これ光ったりエンジンついたりすごいね!!! おとしゃんこれ買っていいよ」「そうだねー、これ完成させようと思ったらお父さんパソコン買えちゃうくらいだからちょっと無理かなー」「へー、しょーなんだー」「その代わりね...」

 

 で、冒頭の画像。2013年発売で約7年寝かせてしまったバンダイの1/72 VF-1S。当時で約30年以上前の初代マクロス、今や35周年も超えてしまったが、現代の解釈でよみがえった完全変形。そのパッケージを見せた瞬間、「おとしゃん作るの!?」。

 

 そりゃそういうキラキラした目で見られたら、おとしゃん頑張っちゃうわ。11時過ぎから戦闘開始。まずは戦闘機モデルらしく全身に張り巡らされたモールドに墨入れ。それだけで1時間少々。そこからいよいよ組み上げ。コクピット周辺を作るだけで1時間、胸部や尾翼近くをブロック単位組むので2時間。

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 とりあえず手足を組む手前まで形を作って今日は終了。

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 通常はコクピット内のフィギュアは塗装してないんだけど、冒頭のhaschetteのモデルはフィギュアが付くらしいので、少しはそれに近づけてやれば息子も喜ぶかと思い。いやー細かかった。しかも胴体に頭と両手をつけるのだが、接着剤で付けるので久々にピンセット使用。位置決めが結構難しいので、ある程度年齢の行った経験のある人向けになるな。しかも序盤も序盤で出てくるので、最近の人たちにとってはハードル高そう。

 

 しかし、バンダイの最近のマクロスシリーズを組んでいると本当に思うのだが、ものすごいギリギリのクリアランスで設計されているから、おいそれと手を出せない感じがする。特に変形はさせられるんだけど、関節保持力の絡みか素材が昔のようにポリキャップを使っていなかったりするので、手足の基本的な関節軸を回すだけでねじ切れるんじゃないかと冷や冷や。必然的にガシガシは遊べんし、当然ディスプレイ中心に。それはそれでいいんだけど、その辺が作り上げるのに二の足を踏む遠因にも感じる。地味にこの後VF-31FもSv-262Hsもあるんだわ...。

 

 まぁでも、これを作っている実に5時間近く、好奇心といたずら心の塊のはずの4歳児が「これおとしゃんの大事だよね?」と全くいたずらせずにひたすら横で見ながら楽しんでいたという。細かい作業やプラモデルは壊れやすいというのをちゃんと理解していることにおとしゃんびっくり。

 ある程度形になったバルキリーを見て「おとしゃん、来週続き作っていいよ」と。ついに息子がそこまで成長したか!!! おとしゃん老眼が進む前にもう少し積みプラ崩せそうだわ(笑)。

 

 そんな日曜日の午後。あ、タイトルは初代マクロスTV版のエンディングですよ。


超時空要塞マクロス エンディング

 

 

君のことだよ

 今日も穏やかな晴れの日曜朝の道央地方。しかして朝5時半から目が覚める。

 休みで家族が寝ているため、わずかな自由時間。夕べ録画していた「伝説のお母さん」第7回を見る。

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 うん、あと1週で終わるのかこれ。

 家事育児をやってみると申し出た主人公の旦那・モブ。しかして今までかかわっていなかったツケは確実にあり、全く上手くいかずあれこれの末再び逆切れ。

「家事やってたら育児できないし、育児やってたら家事出来ない、普通の人間には無理」「お前は伝説の魔法使いだからできるんだ」「俺はお前のために自分の人生棒に振るなんて絶対いや」。そして決定打。

 

「子供なんていない方がよかった」

 

 これはね。

 原作では「いない方がよか」のところで食い気味にビンタされるんですな。ドラマ版では間を取って沈黙。いや、ビンタ期待してたんだけど!!!

 やっぱりこう思う人って多いのかな。そりゃ思い通りにいかない意思疎通のできない生き物相手に、しかも死なないように育てないとならないってのは確かにハードルの高いミッションではある。でも確実に自分が保護してやらなければ死んでしまうし、何より自分の子供だ。

 たとえ思ったとしても、子供ってのは大人が思うよりずっと話を聞いていて記憶力もいいから、絶対に言っちゃいかん言葉。

 

 ドラマの中ではほんとに重要なシーンの位置づけだし、このifが漫画版でも魔王の切り札になるわけだが、主人公は迷いなくその「切り札」をはねのける。

 

 翻って現実世界を戦う43歳おとしゃんはというと。

 一人で買い物や外出で用事を済ませに歩いていると、子供はどうしてるかな、連れてきたかったなとか思う程度には子供を気に掛ける。何にも制限なく自分に時間を使えた時代が「いいなあ」なんて思う瞬間は確かにあるけど、結婚したらしたなり、子供ができたらできたなりの「帰る楽しみ」「留守番の寂しさ」も確実に存在する。それが大きいからこそ、子供がいなかったころに戻りたいか? と問われても「今が幸せ」と迷いなく答えられるんだろうな。

 

 実際子供が夜泣きの時期や今だって反抗する自我が芽生えてきてイラっとするときもあるけど、子供がいない方がなんてifはもうあり得ない。いない生活がもう考えられない。息子と同じ年の頃の子供を見るだけで和むし、もしいなくなったらなど考えただけで絶望的な気分になる。

 

 世の親ってのは、大半がそうなんじゃないかな。程度の大小もあり、あまり溺愛すれば子供のためにならないんじゃないかと葛藤し、うまくそれを表現できなかったりするだろうけど。

 

 いつかもっと息子が大きくなって、もう少し難しい話が分かるようになったら、おとしゃんをもっと幸せにしてくれた宝物の話をしてやるんだ。

「君のことだよ」と。

  

 柄じゃねぇか(笑)。

 

君のことだよ

 今日も穏やかな晴れの日曜朝の道央地方。しかして朝5時半から目が覚める。

 休みで家族が寝ているため、わずかな自由時間。夕べ録画していた「伝説のお母さん」第7回を見る。

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 うん、あと1週で終わるのかこれ。

 家事育児をやってみると申し出た主人公の旦那・モブ。しかして今までかかわっていなかったツケは確実にあり、全く上手くいかずあれこれの末再び逆切れ。

「家事やってたら育児できないし、育児やってたら家事出来ない、普通の人間には無理」「お前は伝説の魔法使いだからできるんだ」「俺はお前のために自分の人生棒に振るなんて絶対いや」。そして決定打。

 

「子供なんていない方がよかった」

 

 これはね。

 原作では「いない方がよか」のところでビンタされるんですな。ドラマ版では間を取って沈黙。いや、ビンタ期待してたんだけど!!!

 やっぱりこう思う人って多いのかな。そりゃ思い通りにいかない意思疎通のできない生き物相手に、しかも死なないように育てないとならないってのは確かにハードルの高いミッションではある。でも確実に自分が保護してやらなければ死んでしまうし、何より自分の子供だ。

 たとえ思ったとしても、子供ってのは大人が思うよりずっと話を聞いていて記憶力もいいから、絶対に言っちゃいかん言葉。

 

 ドラマの中ではほんとに重要なシーンの位置づけだし、このifが漫画版でも魔王の切り札になるわけだが、主人公は迷いなくその「切り札」をはねのける。

 

 翻って現実世界を戦う43歳おとしゃんはというと。

 一人で買い物や外出で用事を済ませに歩いていると、子供はどうしてるかな、連れてきたかったなとか思う程度には子供を気に掛ける。何にも制限なく自分に時間を使えた時代が「いいなあ」なんて思う瞬間は確かにあるけど、結婚したらしたなり、子供ができたらできたなりの「帰る楽しみ」「留守番の寂しさ」も確実に存在する。それが大きいからこそ、子供がいなかったころに戻りたいか? と問われても「今が幸せ」と迷いなく答えられるんだろうな。

 

 実際子供が夜泣きの時期や今だって反抗する自我が芽生えてきてイラっとするときもあるけど、子供がいない方がなんてifはもうあり得ない。いない生活がもう考えられない。息子と同じ年の頃の子供を見るだけで和むし、もしいなくなったらなど考えただけで絶望的な気分になる。

 

 世の親ってのは、大半がそうなんじゃないかな。程度の大小もあり、あまり溺愛すれば子供のためにならないんじゃないかと葛藤し、うまくそれを表現できなかったりするだろうけど。

 

 いつかもっと息子が大きくなって、もう少し難しい話が分かるようになったら、おとしゃんをもっと幸せにしてくれた宝物の話をしてやるんだ。

「君のことだよ」と。

 

 

 

 柄じゃねぇか(笑)。

 

花束を君へ

 って、ホワイトデーですな。仕込みをする暇もないここ一週間でしたが。

 さて、平日のある日、嫁さんが職場の同僚から本をもらってきた。

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 ヨシタケシンスケさんの「ヨチヨチ父」。ヨシタケさんの独特のタッチのイラストで新生児の父親あるあるをまとめた本である。もう発刊されてから数年経っているのでう読んだことのある諸兄も多いのではないだろうか。

 内容はまぁ、そうだねえ、こういう時期もあったねえと今になって笑える感じかな。父親は母親と少し違い産後うつのような状態やヒステリックになるシーンは大分限られると思うし、お気楽に構えている方が多いと思うのだが、そうした温度感の違いがよく出ている気がする。

 でも、父親だって子供はかわいいし、何とかかかわっていきたいし、悩んでいることだってあるんだ、というのが共感の正体なのかもしれん。家事育児が大変なのはもう今の世の中旦那の側も知っているはずで、不器用ながらそれに関わってみるけど母親側からしてみたら「それは違う!!!」とイライラをぶつけられる、じゃあやらねえよ!!! となるのがパターンなんじゃないかな。それを「まぁまぁ」といなしながらため息交じりでさらに罵声に耐えて経験を積もうとするか、「じゃあ知らねぇよ!!!」と切れて今までの生活続行、となるかが分岐点。

 そう、世間の絶対的に「お母さんが大変」というフォーカスがなされるけど、お父さんに対しての擁護ってあまりないし、今回紹介した本だって「はぁ? 何このぬるい内容? こっちの方があんたの世話までしてやってんだから大変に決まってんでしょ」とバリバリかあさんにぶった切られる比率も高いんじゃないだろうか。

 

 男なんて馬鹿なんだから、うまく転がしてその気にさせれば大抵のことはやってくれるようになるんです。俺の持論でもあるけど、「男は戦闘機、女は空母。司令塔があってカタパルトで『行ってこい!!!』と背中を押せば、ちゃんと帰ってくる」。戻ってきたい隊・空母なら帰ってきて一緒にそのあとも任務続行。その辺のケアをしなかったら、他国に亡命(浮気)したり除隊(離婚)に至るんじゃないだろうか。

 まぁ上の例えだって古いといわれりゃそれまでなんだけど。

 

 結局世界には男と女(ジェンダー論は置いといてね)なんだから、仲良くやらんといかんでしょ。

 というホワイトデーの朝。さて、プレゼントは喜んでもらえるかな。

 

ヨチヨチ父 とまどう日々

ヨチヨチ父 とまどう日々