Think Like Talking.

趣味や子育て、ゆるい生活をつづる備忘録

Colors

 手ぇ出しちゃいかんと思ってたんだけどさ...。いいらしいんだよ...。

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 何の話かというと、水性塗料の「シタデルカラー」の話。

 7月の連休で家にいる時間、模型関連で面白いサイトを発見。すでに結構メジャーになっているのだろうか、「nippper」というサイト。ホビージャパンの編集さんとかがかかわっているらしいが、ガンプラ一辺倒ではではなくミリタリーモデルからキャラクターモデルなど幅広く、さらに「こうあるべき」みたいな超絶作例ばかりでない無塗装でゆるーく作るスタイルも紹介されていたりで、「模型を楽しむ」という観点ではとてもいいんじゃないかと。

 

 つらつらとみているうちに、筆塗りの記事がいくつか。ミリタリーモデルやらSFフィギュアものやらの塗装だが、ムラを抑えて下地の隠蔽性もよいという塗料の話題が。それが「シタデルカラー」だそうで。

 エアブラシに興味はあれど、新築の家(築5年経ったが)でミストを飛ばしてしまうのはやはり忍びない。となると自然筆塗が第一候補に挙がってくるが、水性・ラッカー・エナメルだのよーわからん。それぞれに希釈方法だの重ね塗りの相性(重ねた下地の浸食性だったりね)が絡んでくるだの、正直めんどい。危険性を考えて基本は水性カラーを中心に持ってはいるけど、やはり筆ムラも気にはなるし取り扱いも気をつかう。

 そこに来ると、どうやら希釈も水でよかったり筆の洗浄も乾かないうちなら水でいい、隠蔽性も高いしにおいもほぼしないなど、子供が居る家庭でも使いやすそうじゃないか。

 

 ただやっぱり高い。いろんなところでいわれているが、元がイギリス製。クレオスやタミヤなどの塗料に比べるとそら高い。しかしメリットを考えると試してみたくなるではないか。

 

 近所では取り扱いがないので、少し足を延ばしたお店で数種購入。さらにベースカラーセットなるまとめ買い割引価格の商品をヨドバシドットコムで、ね。

60-22 シタデルカラー CITADEL BASE PAINT SET

60-22 シタデルカラー CITADEL BASE PAINT SET

  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

 上はアマゾンだけどな。

 気軽に塗れるということで、練習代わりにガシャプラのまだ組んでいないボトムズダンバインで挑戦してみるか。

 

十四時過ぎのカゲロウ

 世間一般は4連休。暦通りの休みなので俺もそうなのだが、こういうご時世のためどこに出かけようというのもなく。

 初日は散髪に行き、帰ってきてから同居両親がどこかにドライブに行くということで一緒に行かないかという誘い。しかしてどこに行くんだと聞いたら「平取」。

 

 平取? え、平取? 平取の人には大変申し訳ないが、和牛以外に何があるのか!!

 というわけで最初は「いかない」と答えたのだが、別の方面に息子と一緒にドライブするにも当てがあるわけでもないので、さぁ数分後に後を追って出て現地でバッタリというドッキリも面白かろうと思い進路は東へ。

 苫小牧から日高道に入り、つったか走る。あっという間に平取町。いや、ほんとに何もない。そりゃそうか。電話で先行している両親を呼び出すと、なんとまだ町に入ったばかりだと。え、追い越した? よくよく聞いてみたら、一般道でゆっくり来たらしい。こっちは高規格道路、そりゃ追い越しもするか。ビハインドをひっくり返して結果的にほぼ同じころに到着。国道沿いのローソンで合流。昼飯を買い込んでさぁどこに行こうとしていたのかと聞いてみたら。

「30年位前に来た、山の中で釣り堀があって、釣った魚をすぐに調理してくれる店」

「念のために聞くが、店の名前は?」

「わかんないんだよねぇ。コンビニで聞いてもわからないみたいだし」

 

 そりゃそうだ!!! グーグル先生に相談だ!!! 俺来なかったら全く手掛かりなしだったわけで驚愕のノープランぶりの還暦越え夫婦。

 平取・釣り堀・料理というキーワードで出てきたのがこの店。

niseuen.com

 

 気になる方はマップで調べてもらうとして、平取の市街地から走ること40分くらい。札幌からだと小樽についてしまうくらいの距離。ああもう北海道スケール!!! こりゃ時間もかかるというもの。それ以前に本当に山奥で、国道から脇道に入る看板も小さくてちょっと進むと1車線。同乗していた嫁は「前から車来たらどうやってすれ違うの?」としきり。いいから俺ならすれ違えるから。こっちは軽だし。砂利道を進むこと数分、本当に小ぢんまりした店が突如として現れる。

 天気は小雨、どんなもんかとみてみたら、養殖の池にウヨウヨと魚。ヤマメ、ニジマスと思しき魚が釣り堀にいっぱい。先客が貸し出しの竿で釣りをしているが、まさに入れ食い状態。それを見た先日5歳になった息子「やってみたい!!!」。

 

 息子よ、お前に大事な話がある。おとしゃん、釣りやったことないのだ。

 

 しかしこうしたときに人生経験を積むのも一つのめぐりあわせ。貸し出しの竿を借り、初めて針に餌を付けいざフィッシュオン!!! あっという間に入れ食い!!! 波立つ水面、ピチピチと踊る魚体、バケツに入れるも飛び出ん勢い、針を外そうとする嫁・母、だーから、魚押さえないとダメだってと父、しかし触らない父!!! 息子が近づくが針が暴れると危ないので後ろに下げ、魚を素手で押さえる俺。針に餌を付けるしぐさもたどたどしい43歳児。

 結局家族分5匹を釣って終了。入れ食い状態のため、所要時間は15分程度。息子も楽しそうだったが俺も楽しい時間。そのままお店の人に渡して唐揚げと塩焼きにしてもらい、店で新鮮な状態でいただく。うまし。

 

 そこで息子と話をする。

「お魚さんいっぱい釣れたね」

「うん、楽しかった。でもお魚さんおうち帰れないんだよね」

「そうだね、そして血も出てたのはわかるかい」

「わかる」

「そうだね、生き物だからね。人間も動物も、ほかの生き物を食べて生きなきゃならないんだよ。」

「うん」

「そうして〇〇(息子の名前)の体を作っていくんだ。だから、食べるときに「いただきます」っていうんだよ。」

「うん、わかった。」

「そして食べ終わったらごちそうさま。〇〇はちゃんと言えるもんね。」

 

 食育の真似事程度だけど、こういうのも大事だなと思うのだ。その点でいえば、「銀の匙」は本当に良い教材だと思うの。

 

 そんな4連休の初日。北海道はちょっとぐずついた天気だったけど、なかなかにいい体験させてもらいましたっと。

aranami

 久々に面白い、いや面白かった。「波よ聞いてくれ」。

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 偶然ネットニュースで最終回の記事を見て、いろいろと検索してみたらあるじゃない、Aamazon Prime Videoで。プライム特典で全話視聴無料となっていたので一気見。テンションの高さと北海道を舞台にしていること、見覚えのある場所がいくつも出てくる、そして何よりいつか夢見たラジオ業界についての話で。

 

 細かな部分はもう原作も6年続いていたり、アニメに関しても詳しいサイトがあるのでそれはそれでそっちを見てもらうとして。個人的な感想を書き垂らしてみる。

 

 主人公のダメ人間っぷりが物語を面白くしているが、それを別にしてラジオの現場の空気感というか、こんな感じだったなぁという雰囲気。自分は高校の放送局で非常に簡易な卓を使い稚拙な番組だのをやっていたけど、四半世紀以上前の高校部活動で他の進学校がやっていたようなくっそ真面目な硬い番組ではなく、コンテストの審査員が二の句に困るようなバカげた企画をやっていたわけで、その原体験が鮮明に蘇る。

 どちらかというと、「究極超人あ~る」の光画部のような、「遊びの合間に人生をやってる」ような。でも「作り手が楽しくなければ聞き手も楽しくない」という信念が、まさかこんなところでふいに答え合わせで返ってくるとは思わなかった。

 

 仕事にするほどの執念や機会はなかったけども、小学生の頃から放送局系の部活に関与して、中学の頃は電リク番組を毎週(Air-G'のテレホンジャックセブンは毎日)聴き、高校は部活一色、大学の頃は同じくAir-G'のGO.I.S(平日夕方5時から7時でやってた鈴井貴之さんと北川久仁子さんの番組)、GOLGO/GOLGOLGO(金曜19時からの大泉さん・安田さんの番組)、ナックスガタメ、週末は土曜夕方のAvanti(サントリー提供のラジオドラマ)で贅沢な時間。大人になってからは、同じくAvanti、日曜夕方の「あ、安部礼司」を聴きながら夕暮れ時の街を車でドライブするのが最高の贅沢だったなぁ。

 

 でもそれは、きっと気楽に「聴く側」だからとても楽しいのであって、作る側・送る側は血反吐吐くほどの思いなんだろうなというのは容易に想像がつく。小難しく考えてしまうから、その世界に少し憧れがあっても、その中に飛び込むというのには躊躇してしまう。

 

 とはいえ、今もラジオを聴いて楽しい気持ちにさせてもらうのは変わらない。最近まで(3月で終わってしまったが)やってた「ピートの不思議なガレージ」のように長く聴いているとキャラ設定に歴史が積み重なって、続き物の物語を楽しみになるように。中学時代、NHK FMでやってた「青春アドベンチャー」みたいなドラマ仕立てのあれこれ。意外と知らないうちに、ラジオってのは自分の人格形成に大きなパートを占めているんじゃないかと。

 

 なんてなことを考えながら、「誰も死なない」(とはいえディレクターの麻藤さんが昔影響を受けた人は事故に遭っていて生死不明だが)話を楽しませてもらった、という日記。


TVアニメ『波よ聞いてくれ』第1弾PV

 


tacica 『aranami』MUSIC VIDEO (先行配信中 TVアニメ『波よ聞いてくれ』OPテーマ)


遥海 -『Pride』 MUSIC VIDEO

 

aranami

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  • provided courtesy of iTunes

 

Pride

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  • 遥海
  • R&B/ソウル
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

荊にくちづけを

 もう6月が終わるんですな。イコール2020年が半分過ぎる!!!

 切りのいい年でオリンピックがあるはずで日常が流れるはずだった年だけど、ふたを開けてみたら様々なものが崩れ人が歪み世界が分断されて。それでも人間、どっこい生きている、と。

 最近思ったことをツラツラ。

 

「医療従事者の皆さんへの感謝を!!!」という字面を見てとても違和感。

 この前田園風景が和やかな場所(といっても札幌近郊を離れたら結構どこでもあるのだが)に、家族で移動。するとどことは言わないが畑の真ん中(道沿い)に唐突に上の字面。

 うん、感謝は必要だと思う。医療従事者の人たちのおかげというのももちろんだ。

 でもさ、それってこのフォーマットで表示すべきか。猛烈な違和感。

 

 この状況下で、見えない脅威を相手に戦っているのは間違いなく医療従事者の人たち。でも違う分野で社会を支えている人たち、それぞれの生活を戦っている人たちだって、知られていないだけで本来は感謝されるべきことなのではないか。

 そう考えると、医療従事者の人たちに対しての表現は「敬意」なんじゃないか。ほとんどの人たちがその職務と理念において、本当は逃げたくても逃げられない状況下で踏みとどまり命を守る。それぞれの生活や命だって守りたいだろう、それを押し殺して誰かを救う。その意志と誇りに対する「敬意」。

 

「感謝」とは。もちろん優劣はつけられないだろうけど、むしろいまではなくても普段から互いに伝え合わなければならないものではないか。こんな人に対しての攻撃性が高まっている(少なくとも戦後の近代において)世の中において、人の人たる理性と優しさを取り戻して維持するための手段として。いや、手段ではない、人の心の根源としてあるべきではないかと。

 

 息子の幼稚園の先生と話す機会があった。

 ちょっと坂が急な小山にクラス皆で登り、そこから降りてきたらしいのだが、ちょっと臆病な息子、高いところから怖くて降りられなくなった。少し前なら助けを求められずポロポロと黙って泣いていたらしい。しかしその時は違った。

「怖くて降りられない!!!!」と叫んだ息子。

 先に降りたクラスの子たちが、山の上の方まで並んで息子の手を取り、バケツリレーのように下に降ろしてくれたと。先生が続ける。

「その後、〇〇(息子)さんがみんなの方を向いて大きな声で言ったんです。『助けてくれてありがとう!!! 嬉しかった!!!』って。」

 

 子供たちにとってその出来事が、大きいことだったのか小さいことだったのかわからない。もしかしたら同じように、高いところに上ることを怖かった子もいたのかもしれない。それでも息子を助けてくれたことに、おじさんは一人ひとりにお礼を言いたいし、みんなにお礼を言えた息子には「よく自分の気持ちを伝えたね」と撫でた。

 子供たちの社会の中で、大人の本来あるべき社会の原点があったのかもしれない。それはきっと経済や損得ではない、自分の妄執や歪んだ「正義」ではなく、ただ「誰かが困っているから」という動機だったんじゃないかと。

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 キレイさに心を許して不用意に触れれば傷がつくかもしれない。だからといって何もかもを疑い、何も確かめないで誤解のまま戦争するのも愚か。大人はいつからそんな道を進むようになるんだろう。

 そんなことを考える6月末。

蒼い霹靂

 青のお題でもう一つ。

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 前回の眼鏡新調の帰り道。新札幌Duoの文教堂ホビーも営業を再開していたので4か月ぶりくらいに寄ってみた。駐車場のチケット押印のためになんか買うか、と思っていたら。見つけてしまったではないか。

 

 スーパーミニプラのボトムズ「青の騎士 ベルゼルガ物語」シリーズ。

 年明けくらいに第2弾が発売されていて、その時は見送ったのだよ。しかしこのタイミングで再販に出会うとは。乙女座の私には、センチメンタリズムな運命を以下略。

 というわけで購入。ボトムズ本編放映していたのって俺が7歳頃、その時は主人公機もプラモで品薄で、しかも小学2年生の小遣いじゃなかなか買えず。店をはしごして探すこともできずだったからなぁ。しかもベルゼルガ物語の機体なんて、今まではガレージキットだのでないと手に入らんかったよなぁ。しかもまさかの「食玩」扱いでリリースされるとは!!! 

 なんて思いながら、シリーズ第2弾のゼルベリオスをゲット。第2弾はベルゼルガBTS II(スーパーエクスキュージョン)、ホイールドッグ、そしてゼルベリオス。第3弾はウォリアー1、カラミティドッグ(グリーンVer.)、テスタロッサ。さすがにテスタロッサはすでに売り切れ。第1弾はベルゼルガBTS、シャドウフレア、デスメッセンジャー。こんなに出てたのかよ。ってかもう第4弾公開されてんじゃないか。レグジオネータ、ファニーデビル、カラミティドッグ(レッドVer.)て。原作知らなかったら全くわからんわい。

 

 

 で、日曜の夕方に製作開始。といっても墨入れもなーんもせずほんとに素組み。作ること2時間、完成したのがトップの写真ということで。すごいよなぁ、ちゃんとしたプロポーションのゼルベリオスがこんな値段で手に入る世の中。

 ちょっとだけ子供の頃の夢を大人の財力でかなえてみた話。

 

 ちなみに息子も最近ロボットにはまりつつあり。といってもラピュタのロボット兵に始まり、ガンダムにも興味を持ち。今はサンライズ系の80年代ロボットアニメのムックを神妙な顔で眺めている。むろんボトムズも必修科目のため、スコープドッグを描いてくれというリクエストに応えて描いたのがこれ。

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 実はこれ、まったく資料を見ずにソラで描いたのです。答え合わせで自分でビックリした!!! おとしゃんの面目躍如ってことで。

 

 

BLUE PERIOD

 というわけでお題は「青」。

  テレワークが開始されて約2か月。先月くらいからテレワークが原因なのかデスクワーク全般のひずみが蓄積されていたのか不明だが、いまだかつてない頭痛に襲われる。といっても片側の眼の奥が数日間痛みが治まらず、マジで脳梗塞とか脳出血を疑ったくらいにして。

 とはいえ肩こりからくる頭痛の疑いも捨てきれず、とりあえず肩こり治療でエレキバン。何とか数日かけて痛みが緩和されてきた。やっぱり眼精疲労っぽいな。

 嫁が定期健診に行くのと日程を合わせ、眼科受診。コロナの制限が緩和され外来も何とか再開していた。視力・見え方の検査もしてもらったが、意外な答え。

「眼鏡視力出すぎてますねー。1.2くらいになってるから、PC見てたらピント合わせ疲れませんか?」

 え、そっち⁉ そうだよな、基本的なデータは10年くらい前=30代前半。近視というか老眼も入ってくる年代、要は度が合ってない部分があるってことか。それにしても1.2か...もともと1.0程度に合わせていたはずなんだが。そりゃオーバースペックだ。

 というわけで、自粛緩和の中札幌駅へ。目的は仕事用の眼鏡購入。いろいろと回った結果、今と同じくJINSに。ブルーライトカット率は現行の25%から40%に。スポーツ系のフレームから軽量ラインのフレームを選び、まぁ仕事用なのであまり高いのでなくてもいいだろう。と思っていたら。

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 みんなマスクしてるから色だけ飛ばす。札幌駅地下、このありさま。待ち時間最低1時間。仕方なく新札幌のカテプリ店に行ったらば、狙っていたフレームが置いていない。なにやらオンラインでも調べてもらったら欠番になっているらしい。で、札幌駅地下店が道内最大らしい。話を総合すると、

 

 また札幌駅に戻って行列にならべ、と。

 

 ハイ、注文しました。視力自体は0.9程度の度に落としてやったので、レンズも今の「あなたの眼で出せる度数の限界」(眼科の先生曰く)から幾分落ちたことで薄くなるかな。札幌駅までまた取りに行くのも予定が立てづらいので、宅配で送ってもらって自分の住んでいる街のJINSで微調整してもらうことにした。届くの楽しみ。

 

 

悪玉

 亡くなってしまった女子プロレスラーの方に哀悼の意を。

 

 虚構と現実の区別をつけられない、リアルの世界で感じる痛みを実感できない、誰かに向けた悪意はそれ以上となって戻ってくることに気づかない。

 

 プロレスのシステムは今いちわからんけど、マッチポンプというやつか、因縁だの難癖だので対戦を組む、しかしそこには確実に「筋書」があるはずで。普通に生活していたらそうした「抗争」などあるはずもないし、プロレスという興行の範囲の中での「物語」であるとわかる。そこに乗っかり「物語」に感情移入して応援したり敵対勢力に罵声を浴びせるが、誰もがそれは「虚構」であると知っている。そのうえで成り立つものだし、興味がなければ接することもない。エンタテインメントはすべて大なり小なりそういうものだと思っている。

 

 さてそんな自分、プロレスは苦手だ。

 自分は子供の頃、人一倍体が小さくてよくプロレスの技をかけられていた。ガタイのいい同級生にはパロスペシャルだのスリーパーホールドだので痛めつけられ、フォールされようものなら跳ね返すことは無理。必然的に打撃技で返すようになり、急所を狙うフルコンタクトで一撃必殺。そこは小学生の力で遊びの範疇だ。相手が「痛い」といえば当然「ゴメン!!!」で慰め仲直り。互いの物理的な痛みを知っていたから。 

 

 だけど、そのプロレスを見せるレスラーの人たちがすごいというのは知っている。

 

 技をかけてかけられて、ケガをしない・させない。そのためにすさまじいトレーニングを積んでいる。ヒールとベビーフェイスの「配役」があって、それぞれが「演者」であり「競技者」でもあると。憎々しい振る舞いもあくまで「演技」であり、リングを降りファンから離れたプライベートではおそらく「普通の人」だ。

 

 エンタテインメントは、誰もが秘密を口に出さず、「虚構」だとわかったうえで楽しむものではなかったか。

 

 富士額のネズミの中には時給で働く誰かが入っているけど、その「夢の国」に年間パスポートで入りびたる人たちは「そういう生き物だ」と含み笑いをして楽しむ。 

 教育に悪いと敬遠されたコントの神様たちは、時が過ぎてその笑いがいかに緻密に作られていたかを周囲の証言で知らしめ、失われたその技術はもう取り戻すことができない。

 

「虚構」と「現実」の区別ができず、手前勝手な正義で自慰を続けた結果、虚構を楽しむ手段をことごとく殺し続けたのだ。

 

 そして今度は、手前勝手な自慰行為で本当に人を殺してしまった。

 自分はやっていない、そんなつもりはなかった、ではない。悪意を向けたすべての人間が等しく「殺人者」だ。

 直接の原因はこれからの捜査による。だけどどこぞのテレビ番組出演で受けたバッシングが大きな要因であると想像せざるを得ない。そしてそのテレビ番組こそ「虚構」であり、それを差し引いて見るべきであり、「台本の有無」など今更論じて何になる。

 

 現に彼女はいなくなってしまったのだ。

 

 自分は亡くなった方と面識はない。そして世間一般バッシングを受ける「有名人」の人とも当然直接の面識はない。どんな人となりかもわかるわけがない。だからこそ、たとえその人がSNSをやっていようとも、悪意を向けることはない。直接面識がない以上、自分が知るその人のイメージはあくまで「テレビやメディアに切り取られ編集され加工された」イメージでしかない。本当に直接その相手と関わり受けた印象こそが「現実」であり、しかしそれは「自分が感じた印象」でしかない。

 

 そう、あくまで「主観」なのだ。

 その「主観」が絶対的な正義だなどと誰が言いきれるか。

 

「人を撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」

 

 自分のこのブログですら、単なる自慰行為に過ぎない。だけど、息子や自分の関わる人たちに呼びかけることはできる。自分が悪意の連鎖の始まりにならぬよう。その「善意」による行動は誰かを救うためのものか、自己満足を満たすだけの「悪意」に変質していないかを問おう。

 

 そしてその先に、確実に心を持った「人間」が存在することを伝えよう。

 

 心に「花」を。

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キリンジをファミコンアレンジ 「悪玉」