Beyond the Bounds
チョイプラ・アモデウス筆塗りの話。
11月からこっち、あまりにいろいろ忙しくてブログも放置気味。そりゃそうだ、一応師走の繁忙期。平日は当然仕事、週末は家事やらクリスマス準備などで息子や甥っ子を連れてあっちへこっちへ。当然仕事上りは週末含めて体調回復に努めざるを得ず。
そんな中でもちまちまと塗ってきたチョイプラ・アモデウスがようやく形になりつつ。ディティールが細かいが、Q1のガンダムアーティファクトと似たような感じで非常にやりがいがある。
関節部分や各所のシリンダー処理をどうしようかと思ったが、正攻法ド直球でゴールドとシルバーの組み合わせで。脚と腕の付け根だけはブラスで少し色味を変え。
まだ墨入れもウェザリングもしていないうえ、作業デスクと部屋の照明が合わさった微妙な光の色合いで申し訳ない。雰囲気だけ感じていただければ。
これで高さが8cm程度の本当に「チョイプラ」。可動も最小限のほぼ固定モデルだけど、この立ち姿とデザインを味わうという点では非常に良いのではないでしょうか、と。
最近はガンプラも入手困難になりつつある中、いわゆる「それ以外」のメカに目が行くようになった。大資本の大量生産に勝つのは難しいけど、ちょっとニッチなアイテムで十分楽しむというのもいいでしょう。転売屋をすり抜ける感じである程度適正な値段で手に入るし。
境界線を作っていたわけではないけど、それを超えて少し違う世界を。
ちなみにタイトルの「Beyond the Bounds」は元はPS2ゲームの「ANUBIS -Zone Of The Enders-」のテーマ。あれから20年近く...アモデウスとジェフティにちょっと似たような空気を感じたので。
そんなことはどうでもいいさ
趣味のアレコレを考えたことをツラツラ。
前回のエントリで「いつまでも子供の頃のままの趣味の世界の重力に引かれていていいのか」という葛藤の末、結局はガンプラ買って帰った話を書いた。
三つ子の魂百式というのはよく言ったもんで、幼稚園くらいからプラモを触っていた昭和生まれにとって、ガンプラに限らず「プラモなら何でもいいじゃん」と開き直ることにした。ただし。
・プレミア価格で買わない。(転売屋に死を)
・時間がかかっても、極力作る。(積んで満足しない)
・並んで買うときに中学生以下の子供がいたらそっちに回す。
(新しい時代を作るのは、老人ではない!)
・楽しむなら全力で。(人と比べて勝手にへこまない)
という家中法度を自分の中で決めるに至る。
実は11月にTwitterを始めた。MSアンサンブルの担当さんのアカウントをフォローして情報を取りやすくする、というROMに近い使い方だが、たまに自分の作ったのをアップしたりはしている。ほかのモデラーさんの作品を観たりとか、いろんな発想をもらったりとか。まぁズブズブにハマるのは時間がないしそこまでじゃないんだが。
ただ、やっぱり上手い人や発想を見ると、自分の作品、というにはおこがましいブツをアップするのが気恥ずかしくなる瞬間がかなりある。別にコンテストに出すとかいいねやリツイートをたくさんもらいたいとか、フォロワー数を競ったりとかする気もないので全く問題ないのだが、ねえ。
翻ってこのブログ。今年に入ってからガンプラ部や模型部のグループを登録し、ちょっとだけアクセスが増えた。増えりゃ嬉しいもので、ちょっとしたことでも日記を上げるようになる。また読者の方もちょっと増えた。増えりゃ楽しいので、ささやかにそうした人たちの作品にもスターを付けに行く。これくらいの緩さでちょうどいい。模型系の方々はちゃんと日記も更新されているため、張り合いもあるというか。そりゃもちろんきちんと作品を仕上げている方々なので、いろいろ参考にさせてもらっておりますよっと。
そんな刺激をもらいながら、40代も中盤で模型の新たな楽しみを噛み締めている次第。収納場所に困ることも多々あれど、老眼の進行に逆行するように小さなモデルの筆塗りが楽しくて仕方ない。
難しいことは抜きにして、目の前の対象に集中するマインドフルネス。
それを俯瞰したとき、その対象を通じて何を考え、何を子供に伝えるべきか。
とても興味深い記事をnippperにて見つけて、そうだ、俺はこのことに違和感を感じていたんだと得心した次第。
最近のアニメを含む作品を見るにつけ、どんどんと残酷・残虐描写がひどくなっているように感じる。ガンダム系でも、そもそもコロニー落としなんて大量虐殺からスタートして、SEEDのサイクロプスやジェネシス、レクイエムなど大量破壊兵器の規模がドンドコ大きくなってきている。ドラマ・フィクションとはいえ、ふと現実に返ったときに「そうした兵器が現実にない(であろう)」ことと「それらの射線上に自分たちがいない」ことに安堵する。そう、キャラクターものの大半はそうした「誰かを傷つけ殺すためのもの」である。そこに至ったとき、子供にどう説明すべきかという命題にぶち当たった。
詳細は省くが、一頃息子がGP-02=サイサリスに興味を持ったことがある。GP-02といえばアトミックバズーカ。人類がすでに手にしている「核の火」である。フィクションの世界と、現実の世界。それらが使ってはならない理由、使われない世界にしなければならない理由、そして子供たちの世代にその世界を残してやらなければならないこと。風呂の中でのぼせそうになる程、息子と話をした。
ガンダムは史実ではない。だが、伝えるべき話の媒介として、フィクションが現実になったらというifを通じて次の世代に教えるには、身近でいいと思っている。それこそが富野御大の目指したものかもしれない。フィクションで済ませておけばいいものを、わざわざ現実の兵器にしてしまうやつらもいる時代だ。それが技術の進歩につながっていくのは事実ではあるが、技術を正しい方向へ使うのか、破滅の方向へ使うのか、常に問いかけることを伝えなければならない。
なーんて小難しいことを考えてしまう。
武装もりもりのプラモを作らないのは、実はそんな場所にいるから。そりゃ活劇の中でかっこええなあと思うものは単純に楽しんではいる。アホな話だが、フィクションの世界の中の「リアル」を考えたときに「この兵装は運用難しくね?」とか「携行できねぇだろコレ」とか、そんなことを思い始めてどんどんシンプルなメカに惹かれ始める。F91やレッドフレームの素体、ZプラスもC1が好きなのはそのため。ガンダム以外ではそれこそ「なっちん」やトップのアモデウス、ボトムズを遅ればせながら見直したり。マクロス系も爆装なしのシンプルな姿に惹かれ始める。
グルグルグル。
いいや、楽しいと思えばそれでいい。カッコいいと思えばそれでいい。楽しむことを小難しく考えるのは悪い癖だ。
そんなことはどうでもいいさ。
こんな曲です。「そんなことはどうでもいいさ」。
月の繭
「富野由悠季の世界」を観覧(鑑賞)した話。
道立近代美術館で開催中の「富野由悠季の世界」を観てきて思うことを長文で。
何を思ったか、北大植物園の場所を会場である近代美術館と思い込み、その周辺に駐車してさあ出発。前夜の雪が残る歩道に足を取られながら進むが...着かない。アレっと思いGoogleマップを開くと、随分遠い。しまった...しかし先週特定保健指導を受けて少しでも歩数を稼ぐための神の啓示と思い直し、歩く。
北一条通りをひたすら西に。GO West。着かない。そりゃそうだ、地下鉄で2駅分。ドライ路面ならなんてことはないのだが、除雪の入っていない歩道は足を取られまくる。約20分ほど歩いてようやく到着したのがトップの画像というわけで。
会場は大混雑というわけでもないが、ほどほどの人出。年配の男性・女性、明らかにオタク系とわかるような風貌の男たち、意外にも親子連れなど、世代も分散していた。
展示物は、幼少期の御大の作文や影響を受けた様々な要素(父君の仕事やそれに伴う知識、SFに対する知見、学生時代の絵など)に始まり、虫プロ参加後の駆け出し期、メインで演出を行い始めた「海のトリトン」「勇者ライディーン」「ザンボット3」に続いていく。ライディーンが自分の生まれる前の作品だと初めて知る。俺が覚えているのは再放送だったってことだな。
いよいよ初代ガンダムのコーナーから。ガンダムエース誌などでも見たことがある「ガンボーイ」の企画書の現物や、モビルスーツのラフ、登場人物の相関図など、本物の資料が並ぶ。商業作品を作るということの大変さ、それも40年も前に企画されていたものだと思うと、確かにこれだけの設定を下敷きに作り上げたのは画期的なものだったと偲ばれる。
そこからは「伝説巨人イデオン」。「皆殺しの富野」の異名を得るきっかけになった作品だと思っていたが、確かにテレビ版のラストは両方の陣営が「滅亡した」と取れる終わり方。しかし劇場版のラストシーンを解説とともに見れば「輪廻転生」によるつながりが見えてくる。
80年代ゾーンに入り、「ザブングル」「ダンバイン」「エルガイム」へと続く。「イデオン」から打って変わった快活な活劇、その後も続くバイストンウェルの物語、別の作家に引き継いだペンタゴナワールド。そこから「Zガンダム」「ZZガンダム」へと引き戻され、「逆シャア」「F91」の劇場版に取り掛かり、90年代に「Vガンダム」へ。
そこからガンダムを手掛けることは少なくなっていく。実質的には「ターンエー」と「Gレコ」になるのだろう。途中で「新訳Z」か。「ブレンパワード」や「キングゲイナー」、「リーンの翼」はさすがにすべてを追えていない。今回ほぼ初めて内容を知ったくらい(リーンの翼はガンAで連載していたが)。ラストは「Gレコ」の設定資料などで終わる。
昭和の後半、テレビが一般の娯楽として定着しつつある時代に、しかし「テレビの漫画」と言われ「子供の見るもの」としか認知されていなかった「アニメ」を映画的な表現作品に昇華させた御大。もちろん彼一人だけではなく、時代の必然というか様々な出会いの中でのことなんだけど、この展覧会で御大の伝えようとしているものの「軸」のようなものを何となく感じた気がする。
それは、「人が生きること」と「その過程で味わわなければならない痛み」、「それを乗り越えた先に何を感じ生きるべきか」という問いかけなんじゃないかと。戦後日本の中で、失われかけている家族とのつながり、その家族もただ幸せのかたちだけでなく割り切れないものがある。戦争の善悪、人類の増加と過ち、それでもなお次世代へ託すべき我々世代の希望といったもの。それらがない交ぜになって、「アニメ」という媒体をして伝えようとするからこそ、ただ甘いだけではない、時に劇物の激しさを持った言葉=富野節が人の心に血を流さんばかりの爪痕を残そうとする。
「大人」と呼ばれる我々世代が、本当は過ちに気づき、贖罪し、それを繰り返させないために次世代へ伝えるべきなのだ。そしてその次世代が育っていくために、いつまでも揺り籠の中で閉じこもるのではなく、自らの手で痛みを、人の心の温もりを感じて、人が人として生きるために大切なものは何か、自分で考え得た答えを以て更に次の世代へつないでいく...。
そのメッセージは、まさしくシャアが叫んだ熱情であり、アムロが信じた人の心の光であり、イデの力が成しえた輪廻の先であるのだろう。そして今の閉塞した世界すら、人は乗り越えて活力を捨てることなく生きていけると願ったのが「Gレコ」なのかもしれない。
それを感じた時、我々世代のなんと幼いことかと恥じ入ることになる。「ガンダム」というコンテンツの殻に閉じこもり、一年戦争の二次創作を再三続け、しかし御大が伝えようとしたメッセージを何とか解釈して伝播させようという試みはどれだけあるのか。それは自分にも向けるべき批判であり、子を持つ親として猛省した。
40年だぞ、40年。初代ガンダムを神格化して今なおプラモだので40年前のキャラクターを焼き直して、それをありがたがっているのだ。宇宙世紀史が一部の人間の間で現実の世界史と並ばんとするほどの広がりを見せているが、それを超えようという作品が40年現れていない。実際にはあるのかもしれないが、商業主義か個人の偏執が強すぎたのか、後の世代にまでつながるほどの作品が数えるほどしか残っていないのだ。
今の40代から50代以上が経済力を持ち、大人向けとされる高額なアイテムをバカスカ買えるからこそ、そこをターゲットに手を変え品を変え繰り返されるエコシステム。そこに今の子供たちに対して真剣に向き合い、2020年代から先を生きるためのメッセージはあるのか?
まさに6歳の息子が見ているアニメですら、我々世代に向けたオマージュやネタが仕込まれていて、純粋に子供たちがそのまま見て何等かのメッセージを受け止めているのかと疑問になる。このままでいいのか...? 子育てしていて切実に思うが、子供は大人の本気を見抜くし、真摯に伝えなければ伝わらないのは大人と変わりないんだぞ。
グルグルと考えながら、物販コーナーへ。
会場限定ガンプラが、とりあえず転売屋の餌食にならず常識的な数積まれているのを見て、まぁ美術館でまでそんな奴らが現れたらいよいよ日本はダメだと思うところ、まだ捨てたもんじゃないなと。
ここまで考えた後で、でも物販でガンプラってのもなあ...と何気なく手に取り箱のサイドを見た。そこに書かれていた御大の言葉を見て、苦笑い。
「カッコいいよね!! この時代の究極かと思えたF91!!
この物語で化けさせきれなかった無念さがある。」
やっぱり御大はすげえな。悔しかっただろうな。「ガンダムのトミノ」がずっとついて回る。F91は商業的にもそれほどじゃなかったと言われている。TVシリーズ化を断念した作品だ。しかし公開から30年経った今、ボックス横に印刷された「カッコいいよね!!」というこの一行で、過去は過去として飲み込み、関わったであろう様々な人の呪縛を解いてしまう。こんな80歳に、我々はいつか追いつけるだろうか。
結局、買ったよ。F91、好きだもん。ラストシーン手前で毎回泣くほど。
ともかくも、美術館・展覧会でここまで時間をかけて観て・考えたのは45年間で初めてだったというお話。でした。
Desert Arrow
チョイプラ・なっちんサンドイエロー塗装の話。
勤労感謝の日。日ごろお疲れ様、俺。というわけで昼下がりから途中になっていたチョイプラ・なっちん(サンドイエロー)を筆塗り全塗装。
前回の日記で買ってきたコトブキヤの1/35なっちんがグレーVerだったため、このまま親亀子亀でもいいかなぁと思ったが、こいつは便宜上「息子の」なっちん。オーダーはサンドイエローでかっこよく、だったので思い直し基本に戻る。
さて、サンプルの画像は結構な「黄色」に見えるのだが、砂漠戦仕様ということでベージュ系に仕上げる。全体を一気にZANDRI DUSTで塗り上げ、設定画のブラウンをAV-88とMOUNFANG BROWNで塗り分け。あとはブラックの部分や関節部分などを細かに塗ってお手軽仕上げ。
ウェザリングも入れようと思ったが、泥濘地や森林などと違って乾燥してるんじゃないか、と思いプレーンな仕上げに留める。肩関節にあたる部分をRUNELOAD BRASSにしたが、砂の入り込みを防ぐシーリングをイメージしてGREY SEERのままがよかったかなぁ...と思ったがまあいいだろう。
今回は前のレッドショルダー仕様と違い微妙にホワイトのラインを入れるなど設定画を参考にしたディティールにしてみた。粗は残るが老眼にはこれが限界。最近日が落ちるのが早くて、手元の灯りが心もとなくなるのよ。
ここで日没コールド。晩飯の準備も始まりそうだったのでゲームセットとす。キッチンテーブルでも臭いが全く気にならないマテリアル(リモネンセメントやシタデルカラー)のみでお届けしております。
ともかくも、無事に砂漠仕様のなっちん、ひとまず完成。その気になれば半日で塗装まで終われるのがいいですな。フォルムもサイズも愛でたいレベルなので、気が付いたらつい増えているかもしれん、チョイプラシリーズ。ああ、来月はコマンドフォークト、来年はRSCやブルーティッシュドッグが展開されるらしいし、ちょっと気になるシリーズになってきましたな。
個人的にはガシャプラのボトムズシリーズをはじめ、常時販売アイテムとして出してほしいのだがいかがか。あとはメカコレでマクロスVF大全とか。ガンプラ以外の、かつて立体化できなかったものが最近はリリースされているので、シリーズ展開できそうなものは結構あると思うのだが。特に量産機、コレクションしやすいスケール展開で...。
妄想紙芝居が始まりそうなのでこの辺で。
今宵、月が見えずとも
月食見逃した夜と1/35「なっちん(グレーVer.)」の話。
色々と立て込んでいるこの秋。仕事も私事もギチギチでなかなか趣味の時間も取れん。そんな金曜、なにやら月食だったとか。残業の帰り道、見上げた空は少し雲の残る空から満月。ああ、月食終わってやんの。
ささくれる心を抱えたまま、ふらりとホビーショップへ。本州ではすでに週明けくらいに発売されていたらしい1/35「なっちん(グレーVer.)」を入手。北海道は時差がすごいのか。
個人的には緑にしようと思っていたが、これはこれで都市迷彩っぽくてよし。てかそこまで大きくないから、いずれ作ったら緑も...というのも良いだろう。うん。
その前に、息子がパチ組して仕上げを丸投げしてきたチョイプラ版なっちんのサンドイエローをどう仕上げるか、だな。
この大きさなので、筆塗りでサラサラ遊べるのがいいですな。1/35のもどうやらとても出来がいいらしいので楽しみ。
小さな楽しみを積み重ねていこう。
THE DEMON OF THE ROUND TABLE
今更ながら「エリア88」全巻購入した話
もう先月の話になるが、ブックオフにふらりと立ち寄ったときに文庫サイズの「エリア88」を発見。といっても全13巻(オリジナルは20巻以上だが、文庫版は再編)のうち半分程度。それでも、原作から40年以上、この文庫版だって発売から30年近く経過していて、よくこれだけまとまって売っているもんだ。
このスコラ文庫とやら、実は以前同じく新谷かおる先生の「ガッデム」も揃えていた関係で、本棚が非常にまとまりよく。
しかして、ブックオフで手に入った現物は約半分。残りの半分はブックオフオンラインとアマゾンでバラバラと入手。飛び飛びの巻を個別に探し、ほぼ定価のものから1冊2円(!!!)という眉唾のものまで、注文して待つこと10日ほど。ついに全巻がそろった。
まともに通しで読んだことがなかったが、そうかこういう話だったのか。なかなか重たい。しかしこれがネットも何もない、東西冷戦の真っただ中に描かれた作品というのはやはりすごい。40年経った今読んでも(もちろん航空好きというのを差し引いても)、鑑賞に堪える。トンデモ兵器や設定ももちろん活劇として必要なエッセンス。のちのエースコンバットにも生かされたあれこれも、ようやく謎が解けた。
今年の冬は、メカコレマクロスだのモビルスーツアンサンブルだのチョイプラだののほかに、チョコエッグ戦闘機シリーズのリメイクの楽しみもできたな。
こんだけあるんだもん。F-20は最低でもやりたいよな。あとクフィルがあんだけ活躍してるとは。そんな初冬の一幕。
ンマヤ・ンマヤ
12回目の「結婚式記念日」の話。
というわけで無事に「結婚式」記念日。入籍日と結婚式の日が別の場合、どっちが結婚記念日になるのか? と思い続けて早12年。まあ楽しみは多い方がいいかと両方ささやかに祝う(といっても大したことはしないのだが)ことにして12年。寛大な嫁さんのおかげでなんとかやれてますハイ。
そんな今日だが、その嫁さんはよんどころない事情により民間試験の本番。そして危なげなく合格してきた様子(当日その場で合否がわかる試験)。そりゃささやかなお祝いせにゃならんだろう。
というわけで、前から気になっていたが行ったことのなかった「エスパーイトウ」に行ってきた。
嫁さんはもともと「デートでカレーはないわ」と付き合い始めに言っていたが、スープカレー(確かクレイジースパイス)に連れて行ってドはまり。結婚前に一人暮らししていたころは、一人で店のスタンプカードがたまるくらい通いつめるほどハマっていた。子供が生まれてからはなかなか連れて行くわけにいかず、行けて年に数回。ただ今日は試験会場が寒かったらしく体を温める意味でもスパイス摂取。ちなみに俺はザンギにしたが、嫁さんは期間限定のパリパリチキンにガーリックチップを乗せたスタミナ系。本人は臭いが気になるとのたまったが、どうせあとは帰宅するだけ、しかも旦那の前だもの気にするなと。
ここしばらく、家族の在り方についていろいろと考える機会が多くなった。自分の家族、会社の部下の家族含め。それでも、なんとかかんとか今の形をお互いに大事に思いながら、守っていこうと決めた。
スープをすすりながら、嫁がつぶやく。
「いろんな人のおかげで、幸せといえる生活ができてるよね」
それがわかる嫁だからこそ、一緒になったんだ。
今後ともよろしく。嫁。